「自分の口で『やめる』と言えることは幸せなことなんじゃないかってね。まだまだ単位不足かもしれないけど」(秋山幸二『卒業』より)。

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前代未聞の「守備妨害」というエンディングで福岡ソフトバンクホークスの優勝が決まった2014年のプロ野球日本シリーズ。だが、前代未聞はもう1つある。

この日本シリーズを最後に勇退することが決まっていたソフトバンクの秋山幸二監督。過去、日本シリーズを指揮して勇退したケースは、1954年の中日・天知俊一監督がいるが、勇退を表明したあとに日本一になったのは、今回の秋山監督がプロ野球史上初になる。

「福岡の地で3連勝できた。ファンの皆さんの前で日本一になれたのはうれしい。最高です」
そう語った秋山監督は、有終の美を飾るべく、ファンの前で10回も胴上げされた。

リーグ優勝したときは涙を流していたが、今回は涙がなかった。それどころか、シリーズ中、何度となくベンチの様子がカメラに抜かれても、そこにはあいかわらず若々しく、そして戦う監督とは思えないほど穏やかな姿があった。

なぜ、結果を残したのに監督を退くのか? 決断の裏には何があったのか? そのヒントになりそうな記述が、2002年の現役引退後に刊行された自著『卒業』(西日本新聞社)の中にある。

本書の中では、自身のことを《無口で寡黙でシャイ……。現役時代、わたしは周囲からこう呼ばれていた。いつも淡々とプレーし、グラウンドでは喜怒哀楽を出さない男の代名詞ともいわれた》と冷静に自己分析している秋山。

ただ、普段の寡黙ぶりとは裏腹に、現役引退を決意した理由はしっかり記されている。

《わたしがそうだったように、若い連中は、常に先輩の背中を見ている、その背中を見ながら、何かを感じとろうとしている。だから、わたしは後輩たちに、胸を張って自分の背中を見せられないと思ったときにユニフォームを脱ごうと決めていた。背中に自身を持てなくなった自分がこのままいても、チームに決していい影響は与えないし、将来ある他の選手の邪魔になるだけだ。やめるなら一日でも一時間でも早い方がいい》

今回の監督退任に関しても、やはり肉体的・精神的に戦う姿勢を見せることができなくなった、ということが大きいのではないだろうか。

本書では、秋山幸二の生い立ちから現役引退までの野球人生が赤裸々に語られている。その中には、秋山が生まれる前に亡くなった7つ上の兄のエピソードも収められている。「幸二」とは、亡くなった兄の分まで二倍幸せになってほしい、という願いが込められた名前なのだ。

また、秋山には姉もいたが、彼が中学生のときに17歳の若さでこの世を去っている。さらに秋山自身も4歳のときに自家中毒にかかり、一週間生死の境をさまよったことがあるという。

幼少期から「人の生死」と向き合ってきた秋山。
今回の監督退任の理由にひとつは、病床の妻を看病するため、とも一部報道では言われている。▼妻が病に倒れて3年…秋山監督、今後は家族との時間を大事に(スポーツニッポン10月14日)

秋山の生い立ちや人生観を知れば、なおさら奥さんのそばにいたい、という決断の重さも伝わってくるはずだ。

ちなみに本書のタイトル『卒業』は、現役引退を決意した際、当時まだ6歳だった娘に、どう説明すれば後ろ向きな意味にならずに伝えることができるのかを思案した結果、導いた言葉だ。

今から12年前の2002年10月6日に行われた引退試合でも、「これで野球選手を卒業します」とファンの前で挨拶をしている。

一方で、今回ニッカンスポーツに寄せていた手記によると、監督業は「卒業」ではなく「リセット」だという。では、その先にはどんな道があるのか?

『卒業』の中で、6歳の娘・真凛ちゃんが語ったエピソードが実にかわいい。
《「じゃあ、パパは卒業したら、何になるの」(中略)「マリンは、アイスクリーム屋さんとか花屋さんがいいなと思うよ。パパはどう?」》

アイスクリーム屋でも花屋でもどんな道を選ぶにせよ、ひとまずはお疲れさまでした。
(オグマナオト)