サブカルチャーとは何か。NHK教育話題の番組『ニッポン戦後サブカルチャー史』書籍化の企み
NHK教育で今年8月から10月にかけて、劇作家の宮沢章夫を講師に放送された「ニッポン戦後サブカルチャー史」が、番組終了からまもなくして書籍化(宮沢とNHK「ニッポン戦後サブカルチャー史」制作班による共著)された。
いや、厳密にいえばこれは単なる番組の書籍化ではない。本書には、宮沢と番組で共演していた風間俊介はじめ若い世代とのやりとりや、番組中にVTRが流された各時代の当事者たちのインタビューなどは収録されていない。それどころか、テレビ番組発の本にもかかわらず、図版が一切載っていないのだ。放送大学のテキストだって、もっと図版が載ってるだろうに。
本文にあたる宮沢の手になるテキストも、彼が番組中で話したことを文章に起こしたというよりは、逆に、ここに書かれたことをもとに番組で講義したといったほうが近いように思う。番組づくりにあたって、各回の概要を示した宮沢によるノートといってもいいかもしれない。
だからといって、番組を見た人が書籍版『ニッポン戦後サブカルチャー史』を読む意味がないというわけではけっしてない。むしろ、サブカルチャーについて読者が自分なりに考えるには、このぐらいシンプルなほうがいいように思った。
番組のほうは、さすがNHKだけあって、たくさんの事柄をとりあげながらも、とてもよく整理されていて、わかりやすかった。若い世代の出演者もみな才気煥発で、その発言に感心させられたことも少なくない。だが、それがくせものなのだ。あまりにも整理されすぎていると、見終わったあと、それで満足してしまいがちだからだ。
その点、シンプルなテキストと、全体の半分以上にわたって関連年表(「サブカルチャーの履歴書1945-2014」)を収載した書籍版は、これだけで十分に、サブカルチャー史をたどる指針というか、地図として“使える”はずだ。率直にいえば、本文に詳細に付された注釈さえ不要と思った。だって、読んでいてわからない言葉があっても、いまならネットで検索すればいいんだから。
本書の内容についても少し紹介しておこう。番組では1950年代から2000年代までを10回に分けてたどっていたが、それは本書の第1章から第6章までの内容に相当する。ただ、書籍版にはその前に「サブカルチャーとは何か」と題する序章が設けられている。考えたら、番組ではサブカルチャーの定義についてはあまり触れられていなかった。まあ定義を映像で表現するのは難しいし、それだけで1時間持たせるのは難しいだろうから、この点は書籍版ならではといえる。
それ以降の章では、たとえば、第1章のなかで「一九五六年の世界――ニューレフトの萌芽」と題して、左翼運動についてとりあげているのが目を引く。1970年代初めぐらいまで、左翼運動はサブカルチャーと切っても切れない関係にあったのだから当然の言及だろう。このあたりについては、坪内祐三の『昭和の子供だ君たちも』をあわせて読むとさらに理解が深まると思う。同書は戦後の日本の若者文化の根拠となるものが、「主義」から「趣味」へと変化していく過程をたどり、『ニッポン戦後カルチャー史』の内容と重なる部分も多い。
宮沢の語るサブカルチャー史ではまた、各時代ごとにカルチャーの中心になる場所が存在することが強調されている。1960年代でいえばそれは新宿であり、1980年代には渋谷へと移った。宮沢がユニークなのは、そうした変化を地図上に線を引いたりしながら説明しているところだ。
たとえば、カルチャーの中心が新宿から渋谷へと移っていく過程を、あいだに原宿を置くことで、それら3点を結ぶ道路の名前から「明治通り史観」と名づけている(第4章)。あるいは、90年代の章で郊外の広がりに言及したくだりでは、国道16号線がとりあげられる(第5章)。宮沢は大学時代、この16号線をバスに乗って八王子から学校まで通っていた。その外側には当時は山しかなかったはずなのに、それが最近、16号線をとりあげたテレビのドキュメンタリーを見たら、住宅地が広がっていて驚いたという。
こうした具体的な地名をあげての記述から、私は宮沢が15年ほど前に書いた「新宿のサウナで中上健次を見る」というエッセイを思い出した。1999年に池袋で起きた通り魔事件をとりあげたこのエッセイは一種のルポルタージュとしても面白いのだが、そこで宮沢は、インターネットの普及によって、あらゆる土地から歴史や風土などといったトポス(場所性)が失われたことを示唆していた。そこに残されたのは、どこでもなく、どこにでもある土地や都市だというのだ。
「新宿のサウナで中上健次を見る」は、エッセイ集『牛乳の作法』に収められた一編である。同書の収録作でいえば「六本木WAVEが消えた」で書かれた内容は、『ニッポン戦後サブカルチャー史』でも「80年代が終わった実感」としてあらためて語られている(第5章)。このほかにも、今回の番組および書籍には、過去に宮沢が書いていたことを思い起こさせる箇所が結構あって、昔からの読者にはそれを見つけるのも楽しかった。番組の第3回では、赤塚不二夫のマンガ『天才バカボン』から、太田省吾の戯曲による舞台『水の駅』との共通性を見出すくだりがあったが、あれもたしか20年ほど前の「スタジオボイス」誌のマンガ特集で、宮沢が書いていたことだった(ただし残念ながら書籍版ではこの箇所はカットされている)。
思えば、エッセイのなかに登場する宮沢章夫は、街中をひたすらに歩いている人という印象が強い。さっき『ニッポン戦後サブカルチャー史』を地図にたとえてみたが、本書は宮沢が街を歩くなかで得た着想をもとに描かれた、文字どおりの地図だともいえるかもしれない。
■『ニッポン戦後サブカルチャー史』目次より
・序章 サブカルチャーとは何か
・第1章 五〇年代にサブカルチャーの萌芽を見る
・第2章 六〇年代の表現者たち 大島渚、新宿、『カムイ伝』
・第3章 極私的、七〇年代雑誌・音楽変遷史
・第4章 セゾンとYMOで八〇年代を語る
・第5章 「サブカル」の出現と岡崎京子
・第6章 それぞれのサブカルチャー
(近藤正高)
いや、厳密にいえばこれは単なる番組の書籍化ではない。本書には、宮沢と番組で共演していた風間俊介はじめ若い世代とのやりとりや、番組中にVTRが流された各時代の当事者たちのインタビューなどは収録されていない。それどころか、テレビ番組発の本にもかかわらず、図版が一切載っていないのだ。放送大学のテキストだって、もっと図版が載ってるだろうに。
だからといって、番組を見た人が書籍版『ニッポン戦後サブカルチャー史』を読む意味がないというわけではけっしてない。むしろ、サブカルチャーについて読者が自分なりに考えるには、このぐらいシンプルなほうがいいように思った。
番組のほうは、さすがNHKだけあって、たくさんの事柄をとりあげながらも、とてもよく整理されていて、わかりやすかった。若い世代の出演者もみな才気煥発で、その発言に感心させられたことも少なくない。だが、それがくせものなのだ。あまりにも整理されすぎていると、見終わったあと、それで満足してしまいがちだからだ。
その点、シンプルなテキストと、全体の半分以上にわたって関連年表(「サブカルチャーの履歴書1945-2014」)を収載した書籍版は、これだけで十分に、サブカルチャー史をたどる指針というか、地図として“使える”はずだ。率直にいえば、本文に詳細に付された注釈さえ不要と思った。だって、読んでいてわからない言葉があっても、いまならネットで検索すればいいんだから。
本書の内容についても少し紹介しておこう。番組では1950年代から2000年代までを10回に分けてたどっていたが、それは本書の第1章から第6章までの内容に相当する。ただ、書籍版にはその前に「サブカルチャーとは何か」と題する序章が設けられている。考えたら、番組ではサブカルチャーの定義についてはあまり触れられていなかった。まあ定義を映像で表現するのは難しいし、それだけで1時間持たせるのは難しいだろうから、この点は書籍版ならではといえる。
それ以降の章では、たとえば、第1章のなかで「一九五六年の世界――ニューレフトの萌芽」と題して、左翼運動についてとりあげているのが目を引く。1970年代初めぐらいまで、左翼運動はサブカルチャーと切っても切れない関係にあったのだから当然の言及だろう。このあたりについては、坪内祐三の『昭和の子供だ君たちも』をあわせて読むとさらに理解が深まると思う。同書は戦後の日本の若者文化の根拠となるものが、「主義」から「趣味」へと変化していく過程をたどり、『ニッポン戦後カルチャー史』の内容と重なる部分も多い。
宮沢の語るサブカルチャー史ではまた、各時代ごとにカルチャーの中心になる場所が存在することが強調されている。1960年代でいえばそれは新宿であり、1980年代には渋谷へと移った。宮沢がユニークなのは、そうした変化を地図上に線を引いたりしながら説明しているところだ。
たとえば、カルチャーの中心が新宿から渋谷へと移っていく過程を、あいだに原宿を置くことで、それら3点を結ぶ道路の名前から「明治通り史観」と名づけている(第4章)。あるいは、90年代の章で郊外の広がりに言及したくだりでは、国道16号線がとりあげられる(第5章)。宮沢は大学時代、この16号線をバスに乗って八王子から学校まで通っていた。その外側には当時は山しかなかったはずなのに、それが最近、16号線をとりあげたテレビのドキュメンタリーを見たら、住宅地が広がっていて驚いたという。
こうした具体的な地名をあげての記述から、私は宮沢が15年ほど前に書いた「新宿のサウナで中上健次を見る」というエッセイを思い出した。1999年に池袋で起きた通り魔事件をとりあげたこのエッセイは一種のルポルタージュとしても面白いのだが、そこで宮沢は、インターネットの普及によって、あらゆる土地から歴史や風土などといったトポス(場所性)が失われたことを示唆していた。そこに残されたのは、どこでもなく、どこにでもある土地や都市だというのだ。
「新宿のサウナで中上健次を見る」は、エッセイ集『牛乳の作法』に収められた一編である。同書の収録作でいえば「六本木WAVEが消えた」で書かれた内容は、『ニッポン戦後サブカルチャー史』でも「80年代が終わった実感」としてあらためて語られている(第5章)。このほかにも、今回の番組および書籍には、過去に宮沢が書いていたことを思い起こさせる箇所が結構あって、昔からの読者にはそれを見つけるのも楽しかった。番組の第3回では、赤塚不二夫のマンガ『天才バカボン』から、太田省吾の戯曲による舞台『水の駅』との共通性を見出すくだりがあったが、あれもたしか20年ほど前の「スタジオボイス」誌のマンガ特集で、宮沢が書いていたことだった(ただし残念ながら書籍版ではこの箇所はカットされている)。
思えば、エッセイのなかに登場する宮沢章夫は、街中をひたすらに歩いている人という印象が強い。さっき『ニッポン戦後サブカルチャー史』を地図にたとえてみたが、本書は宮沢が街を歩くなかで得た着想をもとに描かれた、文字どおりの地図だともいえるかもしれない。
■『ニッポン戦後サブカルチャー史』目次より
・序章 サブカルチャーとは何か
・第1章 五〇年代にサブカルチャーの萌芽を見る
・第2章 六〇年代の表現者たち 大島渚、新宿、『カムイ伝』
・第3章 極私的、七〇年代雑誌・音楽変遷史
・第4章 セゾンとYMOで八〇年代を語る
・第5章 「サブカル」の出現と岡崎京子
・第6章 それぞれのサブカルチャー
(近藤正高)