映画「ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古」
渋谷シアター・イメージフォーラムにてロードショー公開中
9/26まで 11:15/13:15  9/27〜 11:15/21:15 9/27(土)TOHO シネマズ梅田/2TOHO シネマズ西宮ほか、全国順次公開
(C)Brook Productions/Daniel Bardou

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演劇界の巨匠ピーター・ブルック。
彼の創作現場を、息子が撮影したドキュメンタリー映画が公開中だ。
邦題は「ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古」。
原題は「PeterBrook:The Tightrope」。
何もない空間に、見えないロープが張られる。
役者は、架空のロープを渡る。
ピーター・ブルックが、それについて語る。
ストレートで、透明な言葉だ。

たとえば、こうなふうに。

“綱渡り”という些細な動きに必要なのは身体的なことだけではない。役者や舞台に関わるすべての人と、自分が完全に一体になること。それはつまり想像力がすべてということだ。

ああ。こうやって書き写していると、「抽象的すぎて、わからないよ!」という感じではある。
だが、映画で、ピーター・ブルックがしゃべる姿と共に言葉を聞いているときは、なんだか伝わってくるのだ。
いつ、どういうタイミングで、どのように、それを語るのか。そのことが説得力となるような言葉なのだ。

映画のパンフレットからピーター・ブルックの言葉をいくつか引用しよう。

火の中を歩くには、痛みや恐怖といった敵に打ち勝つ努力が必要だ。新しいテンポを生み出すんだよ。歩き方や動きもすべて違うテンポだ。それが新しい力となる。同じことを繰り返していてはダメだ。

世界観に没入している感覚を喜びに変えるんだ。これが芝居の喜びだ。舞台の一部となって目と耳で感じるんだ。

感動は長くは続かない。役者が動き出せば装飾は邪魔になる。人はなにか意味を“匂わされる”方が、次の展開を期待し興味を持ち続けられる。幕が開いた瞬間あとの展開が見えてはダメだ。ワクワクさせるんだ。

映像は、2週間にわたるワークショップの様子と、ピーター・ブルックのインタビューで構成されている。
とてもシンプルな86分間のドキュメンタリーだ。
だが、各国から集まった俳優たちの個性は、ロープを渡る演技を見るだけで、伝わってくる。
ピーター・ブルックが語るのは、演技に関することなのだが、演技以外の「人生の名言」のようにも響く。

あまりに早く終わり方を決めてしまうと、人は探究をやめてしまう。自分自身の可能性が失われてしまうのだ。

困難な経験を通して我々が得るものは決してネガティブなものではなく、課された課題に立ち戻る喜びだ。

ピーター・ブルックの著書『秘密は何もない』からも言葉を引いてみよう。

予想外のものを認めたがらないという、人間にありがちな傾向は、必ず、私たちが実現しうる世界を狭めてしまうのです。

綿密な稽古を繰り返し、上演経験を積むことによってのみ、俳優に向かってこう言えるようになるのです―安全を求めたりしなければ、真の創造性が空間を満たすようになるのだ、と。

深みに留まり過ぎると退屈になることがあります。浅いところに留まり過ぎると、やがて凡庸になります。高みに留まりすぎるのは、耐えられないかもしれません。私たちはたえず動いているべきなのです。

『なにもない空間』で、演劇についてピーター・ブルックはこう語っている。

日常生活においては<もしも>は虚構だ。演劇においては<もしも>は実験だ。
日常生活においては<もしも>は逃避だ。演劇においては<もしも>は真実だ。
わたしたちがこの真実を信じる気になった時、演劇と人生は一つになる。
(米光一成)