注目の“川越ダービー”制したのは、1イニングで決めた市立川越 

力投を見せる坂本投手(川越工)

 [試合前には、「何もここ(大宮公園球場)でやらなくても、(川越)初雁球場でやればよかったのになぁ」などと話していた両監督である。そんな川越勢同士のベスト4を賭けた試合である。

 市立川越はかつて川越商時代の89年夏には甲子園出場を果たしている実績もある。今でも、地元では親しみを込めて「川商」と呼ぶ人もいるくらいだ。新井清司監督は、地域で愛される高校野球を目指している。また、川越工も60年代後半から70年代にかけて甲子園出場の実績があり、73年夏にはベスト4にまで進出を果たしている古豪である。当時から変わらない、「KAWAGOE KOGYO」の2段重ねの文字のユニフォームは伝統のものでもある。その後低迷期もあったが、「強い川工」を知る熊澤光監督が就任して以来、徐々に古豪復活を示し始めている。

 そんな、“川越ダービー”である。今月にも、練習試合を組んでいるというが、市内大会や地区ブロック予選でも何度も当たっている間柄でもあり、お互いに手の内を知っている同士でもある。

  川越工はエースナンバーをつけた坂本君、市立川越は背番号20ながら新井監督の期待も大きい永光君が先発マウンドに立った。坂本君は、ストレートの伸びがよく、時にズバッと目を見張らせるような球を投げ込んでくる。永光君は、長身で角度を意識して投げ下ろしてきていたが、心配された立ち上がりも失策の走者を出しただけでまずまずのスタートだった。こうして、試合は投手戦になるのかなという感じで始まった。 先制したのは川越工で3回、四球の9番長谷川君を送って、2番安藤君が右前打してつなぐと、ここで熊澤監督が最も信頼できる打者として評価している太田君が、期待に応えて右前打して帰した。しかし、一塁走者は三塁で刺され、太田君もその後二塁盗塁失敗で、結局この回1点止まりだった。

 

駄目押しの3ランを放った沢田選手(市立川越)

その裏、市立川越もすぐに反撃。9番前村君が巧みなバント安打で出ると、四球とバントで一死二、三塁とすると3番丹羽君が中前打して二者が帰って逆転。さらに富岡 弥夏君も右前打してつなぐと、死球もあって満塁となる。ここで、気持ちもいくらか焦ったのか、坂本君はボークを冒してしまい、3点目が入る。ここで「しまった!」という気持ちの出てしまった坂本君は、沢田君に対して不用意に投げ込んでしまったのだが、それを逃さなかった沢田君は逆風の中99メートルある右翼スタンドに放り込む文句なしの3ラン。こういうパンチ力のある打者が6番に控えているところに、今季の市立川越の強さがあるのかもしれない。

 このリードで楽になった永光君は、5回に2点を失ったものの、予定していた5イニングをしっかりと投げ切った。そして、6回からは登坂航大君につないだ。登坂君は、ある程度は走者を出しながらも、そこから粘り強さが持ち味でもある。9回も、先頭の岸村君に内野安打されて出塁を許したものの、しっかりと併殺で切り抜けて難を逃れた。こうして、市立川越が3回の6点をキープしてそのまま逃げ切った。

 新井監督は、「わかりやすい試合でしょう。ウチは、いつも結構こんな感じでビッグイニングが出来ちゃうんだよね」と、笑いながら話していた。「継投は予定通りで、9回はもし1点取られたら(エースの)上條もいけるように準備はしていたんですけれども、使わずにすみましたね」と、ほぼイメージ通りの戦いぶりに満足していた。これで準優勝した昨秋に続いてのベスト4進出である。「何だかわからないけど、負けないんだよね」と言うように、安定したチーム力だということを証明した。

 3回の1イニングで敗れた川越工の熊澤監督は、「坂本がねぇ、もう少し踏ん張ってくれないと…。球そのものはいいものを持っていると思うんですけれども、技術云々というよりも、精神的な部分なんでしょうか。ボークで動揺して、それで甘く入ってしまって次で一発ということですからね」と、メンタル面の強化を課題にあげていた。それでも、公式戦初登板となった、リリーフした小澤君の好投には、「夏に向けて、小澤が出てきてくれて、今日もこうやっていい投球してくれたことは大きい」と、満足していた。

 1イニングで敗れはしたものの、「徐々にイメージしているチームに近づいてきているかなという感じはありますね」と、手ごたえは感じているようだ。かつて、坂戸西監督時代には佐藤 充(中日)を育てるなど、投手作りには定評のある熊澤監督だ。夏へ向けての期待も高まる。

(文=手束 仁)