ベストセラーを生み出す6つの条件『完本 ベストセラーの戦後史』
NHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」は、いまでも人形や主題歌がCMで起用されるなど、名作として知られる。その放送が始まったのは、いまからちょうど50年前の1964年4月で、脚本を井上ひさしと山元護久が共同執筆した。このとき、山元とともに30歳になろうとしていた井上は、「ひょうたん島」が始まって、これでどうやら筆一本でやっていけそうだとの見通しが立ったという。
この年は井上の個人史のみならず社会史のうえでも、新潟地震や東京の空前の水不足、東海道新幹線の開業などいろんな出来事があった。それにもかかわらず、1964年=昭和39年は、まずもって東京オリンピックと大島みち子の年だったと、井上はその著書『ベストセラーの戦後史』に書き記す。
いまとなっては、東京オリンピックはともかく大島みち子って誰? と思われるかもしれない。じつはこの女性は、前年の昭和38年8月に21歳の若さで亡くなっている。軟骨肉腫という難病に侵されていた大島は闘病中、河野実という青年と何度も手紙を交わしており、これが彼女の死後まもなくして『愛と死をみつめて』という本にまとめられた。同書は翌39年にかけて大ベストセラーとなり、テレビドラマ化、さらには吉永小百合・浜田光夫の名コンビで映画化もされ、青山和子の歌った同名の主題歌も大ヒット、年末のレコード大賞も受賞している。こうして見ると、たしかに井上はじめ当時の日本人に、『愛と死をみつめて』とその著者の残した記憶がいかに強烈なものだったかうかがえよう。
井上ひさしが2010年に75歳で亡くなってから、今月9日で4年が経った。その著書で、先頃刊行された『完本 ベストセラーの戦後史』は、もともと上下巻だった前掲書を合本のうえ文庫化したものだ。そこでは、昭和20年から52年までのベストセラーが毎年1冊ずつ(ただし昭和44年と47年については2冊)とりあげられている。
本書で井上はたびたび、ベストセラーのベストセラーたるゆえんは何か、私見を披露している。たとえば昭和23年のくだりの冒頭では、《ベストセラーの型(パタン)は、おそらく次の六種でほとんど尽くされるのではあるまいか》として、以下のように分類してみせる。
【1】セックスもの
【2】真相はこうだ、もの
【3】愛と死もの
【4】人生論もの
【5】実用書もの
【6】占い、予言もの
前出の『愛と死をみつめて』、あるいは後年の『世界の中心で、愛をさけぶ』などは、まさに【3】の「愛と死もの」にあたる。ほかにも、近年のヒット作、阿川佐和子の『聞く力』は【5】ということになるだろうし、相変わらずベストセラーはたいてい6つのうちのいずれかに当てはめることができそうだ。
井上はさらに「これらの型をすべて兼ね備えた書物があればドッと売れるだろうし、ロングセラーとして後世までも売れ続けることだろう」と書いている。もちろん、「そんな途方もない書物」が出版されたことはいまだかつてない。ただし、6つの型のうちセッ クスものを除くすべての型を完備した書物がこれまで1冊だけ世に出現したことがある……として、ようやく話題は、昭和23年のベストセラー『愛情はふる星のごとく』に移る。これは、戦時下での国際スパイ事件「ゾルゲ事件」に関与して処刑されたジャーナリスト・尾崎秀実の獄中書簡集だ。
『愛情はふる星のごとく』の内容については本書を読んでいただくとして、ここで注目したいのは、「ベストセラーの条件を兼ね備えた本がこれまでに一冊だけある」と断じた井上の紹介のしかただ。こんなふうに書かれたら、読者はどうしたってその本に関心を持たざるをえない。これぞまさに井上一流のテクニックであろう。本書『完本 ベストセラーの戦後史』には、随所にそんな技や芸、ときには遊びも見られ、グイグイと引きこまれてしまう。しかも1冊の本につき、内容のみならず、それにまつわるさまざまな話が盛りこまれていて、1章1章が濃い。ここで井上のひそみにならって、本書にはどのような要素が含まれるか、あえて3つに分類してみたい。
【1】「稀代の読書家」(帯の文句より)による書評集としての要素
【2】昭和20年から52年までの戦後の世相・風俗史としての要素
【3】著者・井上ひさしの自伝としての要素
【1】書評集として読むと、先にあげたテクニックにしてもそうだが、文章を書くうえで学ぶところも多い。もちろん井上にしても文章術を一朝一夕にして身につけたわけではない。そのことは清水幾太郎『論文の書き方』(昭和34年)をとりあげたくだりを読んでいてもあきらかだ。そこではたとえば、彼が同書から学んだこととして以下のようなことが紹介されている。
《たとえば、日本語の語順では重要なものが後に来るというような指摘は衝撃的であった。(中略)重要なものが後から来るとどうなるか、読者や聴衆は、その文の方向が最後まではっきりしないので絶えず宙吊りの状態に置かれてイライラし、前に聞いたり読んだりした言葉を保持しようとして、グッタリと疲れてしまう。となるとどのような文章が望ましいか。「私は、……」で始めて、いろいろと書いた末に、「……と信ずる。」と結ぶよりは、「私の信ずるところでは……」と初めに書いてしまった方がいい、とこの本は教えてくれた。つまり、根本的なルールとしては、句点の多い文章を書くこと、すなわち短い文を積み上げるのが日本語には適(あ)っているというのである》
何とも、すぐに実践できそうな術である。なお井上はこの『論文の書き方』をとりあげるにあたり、昭和34年4月10日の皇太子(現・天皇)の結婚祝賀パレードの光景を描くところから始めている。これは私の分類のうち【2】の要素に相当しよう。そして、井上が祝賀パレードを、当時住んでいた四ツ谷駅前にあるカトリック系出版社兼書店の2階から眺めていたという自分語りは、もちろん【3】にあたる。
井上は当時20代半ば、また妙なところに住んでいたものだと思うが、これには理由がある。彼はそれまで浅草のストリップ小屋(浅草フランス座)の文芸部に勤めていたが、さまざまな事情からクビになってしまう。それを、学生時代から世話になっていたイタリア人の神父(パードレ)たちが憐れんで、例の出版社兼書店の一室を貸し、さらには夜警の仕事も与えて給料まで払ってくれたのだった。夜警といっても、戸締りにさえ気を配れば、あとはとくにすることもない。井上は暇にあかせて乱読、さらには放送局の募集するラジオドラマの脚本をせっせと書いては投稿していた。ここから井上は放送作家となる糸口をつかんだのである。
井上の自伝に相当する箇所は、ほかの章でも折に触れて登場する。上智大学に復学したのちフランス座で働き始めた頃の話は、『太陽の季節』(昭和31年)で颯爽とデビューした2歳上の石原慎太郎への羨望と嫉妬とともに語られているし、さかのぼって、仙台での中学・高校時代の思い出は、ちょうど同時期に仙台で医大生時代を送っていた北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』(昭和43年)のくだりでつづられている。同じ文章では、井上が放送作家時代にかかわったテレビのドキュメンタリー番組に、北杜夫を引っ張り出したときのこぼれ話も披露され、二度も三度もおいしい。
ときに話が重くなっても、ストンと落としてしまうのもやはり井上ならではだ。池田大作『人間革命』(昭和41年)を辛辣ともいえる筆致で評したところで、冗談とも本気ともつかない一文で締めているところがそうだし、あるいは、有吉佐和子『恍惚の人』(昭和47年)のくだりで、後年の高齢化社会を予見するかのような同書の内容を紹介し、読者を深刻な気分にさせたところへ、井上が有吉を怒らせたという迷エピソードでオチをつけていたのには、つい吹き出してしまった。
本のセレクトにも井上のこだわりがうかがえて興味深い。小説が少ないのは意図的だろうが、ロングセラーとあわせて、刊行時には爆発的に売れながら、その後は歴史から忘れ去られてしまったような本にも目配りを忘れない。また昭和51年のベストセラーとして、当時のランキングに並ぶ村上龍『限りなく透明に近いブルー』でも司馬遼太郎『翔ぶが如く』でもなく、『四畳半襖の下張裁判・全記録』という、さほど売れたとは思えない本を選んでいるのも目を惹く。「表現の自由」が争点となった裁判の記録をとりあげたあたり、井上の強い思い入れがうかがえよう。
今回出た文庫版の巻末では、本書執筆にあたり井上がつけた「創作ノート」の一部が公開されている。井上の独特の味のある文字で書きつけられた覚書は、すべてがすべて原稿に反映されたわけではない。むしろ書き落とされたもののほうが多い。しかし、たとえ原稿に反映されずとも、そうした膨大な知識やアイデアの蓄積があるからこそ、文の一つひとつが確たるものとして浮かび上がるのだともいえる。大作家にしてこの努力。最近某所で新連載を始めた私もこれを見て、あわててノートを買い求め、思いつくがままにメモをつけ始めたのだった。
《なんだか締りのない終り方だが、これは『論文の書き方』の中の、文章は「スルリと始めて、プツンと終る方がよい」を杓子定規に守ったせいである》(本書より)
(近藤正高)
【『完本 ベストセラーの戦後史』でとりあげられている本】
■昭和20年代……『日米会話手帳』(20年)、『完全なる結婚』(21年)、『旋風二十年』(22年)、『愛情はふる星のごとく』(23年)、『この子を残して』(24年)、『宮本武蔵』(25年)、『ものの見方について』(26年)、『三等重役』(27年)、『光ほのかに』(28年)、『女性に関する十二章』(29年)
■昭和30年代……『広辞苑』(30年)、『太陽の季節』(31年)、『挽歌』(32年)、『経営学入門』(33年)、『論文の書き方』(34年)、『性生活の知恵』(35年)、『英語に強くなる本』(36年)、『易入門』(37年)、『危ない会社』(38年)、『愛と死をみつめて』(39年)
■昭和40年代……『おれについてこい!』(40年)、『人間革命』(41年)、『マクルーハンの世界』(42年)、『どくとるマンボウ青春記』(43年)、『都市の論理』(44年)、『知的生産の技術』(44年)、『心 いかに生きたらいいか』(45年)、『日本人とユダヤ人』(46年)、『日本列島改造論』(47年)、『恍惚の人』(47年)、『日本沈没』(48年)、『ノストラダムスの大予言』(49年)
■昭和50年代……『欽ドン』(50年)、『四畳半襖の下張裁判・全記録』(51年)、『間違いだらけのクルマ選び』(52年)
いまとなっては、東京オリンピックはともかく大島みち子って誰? と思われるかもしれない。じつはこの女性は、前年の昭和38年8月に21歳の若さで亡くなっている。軟骨肉腫という難病に侵されていた大島は闘病中、河野実という青年と何度も手紙を交わしており、これが彼女の死後まもなくして『愛と死をみつめて』という本にまとめられた。同書は翌39年にかけて大ベストセラーとなり、テレビドラマ化、さらには吉永小百合・浜田光夫の名コンビで映画化もされ、青山和子の歌った同名の主題歌も大ヒット、年末のレコード大賞も受賞している。こうして見ると、たしかに井上はじめ当時の日本人に、『愛と死をみつめて』とその著者の残した記憶がいかに強烈なものだったかうかがえよう。
井上ひさしが2010年に75歳で亡くなってから、今月9日で4年が経った。その著書で、先頃刊行された『完本 ベストセラーの戦後史』は、もともと上下巻だった前掲書を合本のうえ文庫化したものだ。そこでは、昭和20年から52年までのベストセラーが毎年1冊ずつ(ただし昭和44年と47年については2冊)とりあげられている。
本書で井上はたびたび、ベストセラーのベストセラーたるゆえんは何か、私見を披露している。たとえば昭和23年のくだりの冒頭では、《ベストセラーの型(パタン)は、おそらく次の六種でほとんど尽くされるのではあるまいか》として、以下のように分類してみせる。
【1】セックスもの
【2】真相はこうだ、もの
【3】愛と死もの
【4】人生論もの
【5】実用書もの
【6】占い、予言もの
前出の『愛と死をみつめて』、あるいは後年の『世界の中心で、愛をさけぶ』などは、まさに【3】の「愛と死もの」にあたる。ほかにも、近年のヒット作、阿川佐和子の『聞く力』は【5】ということになるだろうし、相変わらずベストセラーはたいてい6つのうちのいずれかに当てはめることができそうだ。
井上はさらに「これらの型をすべて兼ね備えた書物があればドッと売れるだろうし、ロングセラーとして後世までも売れ続けることだろう」と書いている。もちろん、「そんな途方もない書物」が出版されたことはいまだかつてない。ただし、6つの型のうちセッ クスものを除くすべての型を完備した書物がこれまで1冊だけ世に出現したことがある……として、ようやく話題は、昭和23年のベストセラー『愛情はふる星のごとく』に移る。これは、戦時下での国際スパイ事件「ゾルゲ事件」に関与して処刑されたジャーナリスト・尾崎秀実の獄中書簡集だ。
『愛情はふる星のごとく』の内容については本書を読んでいただくとして、ここで注目したいのは、「ベストセラーの条件を兼ね備えた本がこれまでに一冊だけある」と断じた井上の紹介のしかただ。こんなふうに書かれたら、読者はどうしたってその本に関心を持たざるをえない。これぞまさに井上一流のテクニックであろう。本書『完本 ベストセラーの戦後史』には、随所にそんな技や芸、ときには遊びも見られ、グイグイと引きこまれてしまう。しかも1冊の本につき、内容のみならず、それにまつわるさまざまな話が盛りこまれていて、1章1章が濃い。ここで井上のひそみにならって、本書にはどのような要素が含まれるか、あえて3つに分類してみたい。
【1】「稀代の読書家」(帯の文句より)による書評集としての要素
【2】昭和20年から52年までの戦後の世相・風俗史としての要素
【3】著者・井上ひさしの自伝としての要素
【1】書評集として読むと、先にあげたテクニックにしてもそうだが、文章を書くうえで学ぶところも多い。もちろん井上にしても文章術を一朝一夕にして身につけたわけではない。そのことは清水幾太郎『論文の書き方』(昭和34年)をとりあげたくだりを読んでいてもあきらかだ。そこではたとえば、彼が同書から学んだこととして以下のようなことが紹介されている。
《たとえば、日本語の語順では重要なものが後に来るというような指摘は衝撃的であった。(中略)重要なものが後から来るとどうなるか、読者や聴衆は、その文の方向が最後まではっきりしないので絶えず宙吊りの状態に置かれてイライラし、前に聞いたり読んだりした言葉を保持しようとして、グッタリと疲れてしまう。となるとどのような文章が望ましいか。「私は、……」で始めて、いろいろと書いた末に、「……と信ずる。」と結ぶよりは、「私の信ずるところでは……」と初めに書いてしまった方がいい、とこの本は教えてくれた。つまり、根本的なルールとしては、句点の多い文章を書くこと、すなわち短い文を積み上げるのが日本語には適(あ)っているというのである》
何とも、すぐに実践できそうな術である。なお井上はこの『論文の書き方』をとりあげるにあたり、昭和34年4月10日の皇太子(現・天皇)の結婚祝賀パレードの光景を描くところから始めている。これは私の分類のうち【2】の要素に相当しよう。そして、井上が祝賀パレードを、当時住んでいた四ツ谷駅前にあるカトリック系出版社兼書店の2階から眺めていたという自分語りは、もちろん【3】にあたる。
井上は当時20代半ば、また妙なところに住んでいたものだと思うが、これには理由がある。彼はそれまで浅草のストリップ小屋(浅草フランス座)の文芸部に勤めていたが、さまざまな事情からクビになってしまう。それを、学生時代から世話になっていたイタリア人の神父(パードレ)たちが憐れんで、例の出版社兼書店の一室を貸し、さらには夜警の仕事も与えて給料まで払ってくれたのだった。夜警といっても、戸締りにさえ気を配れば、あとはとくにすることもない。井上は暇にあかせて乱読、さらには放送局の募集するラジオドラマの脚本をせっせと書いては投稿していた。ここから井上は放送作家となる糸口をつかんだのである。
井上の自伝に相当する箇所は、ほかの章でも折に触れて登場する。上智大学に復学したのちフランス座で働き始めた頃の話は、『太陽の季節』(昭和31年)で颯爽とデビューした2歳上の石原慎太郎への羨望と嫉妬とともに語られているし、さかのぼって、仙台での中学・高校時代の思い出は、ちょうど同時期に仙台で医大生時代を送っていた北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』(昭和43年)のくだりでつづられている。同じ文章では、井上が放送作家時代にかかわったテレビのドキュメンタリー番組に、北杜夫を引っ張り出したときのこぼれ話も披露され、二度も三度もおいしい。
ときに話が重くなっても、ストンと落としてしまうのもやはり井上ならではだ。池田大作『人間革命』(昭和41年)を辛辣ともいえる筆致で評したところで、冗談とも本気ともつかない一文で締めているところがそうだし、あるいは、有吉佐和子『恍惚の人』(昭和47年)のくだりで、後年の高齢化社会を予見するかのような同書の内容を紹介し、読者を深刻な気分にさせたところへ、井上が有吉を怒らせたという迷エピソードでオチをつけていたのには、つい吹き出してしまった。
本のセレクトにも井上のこだわりがうかがえて興味深い。小説が少ないのは意図的だろうが、ロングセラーとあわせて、刊行時には爆発的に売れながら、その後は歴史から忘れ去られてしまったような本にも目配りを忘れない。また昭和51年のベストセラーとして、当時のランキングに並ぶ村上龍『限りなく透明に近いブルー』でも司馬遼太郎『翔ぶが如く』でもなく、『四畳半襖の下張裁判・全記録』という、さほど売れたとは思えない本を選んでいるのも目を惹く。「表現の自由」が争点となった裁判の記録をとりあげたあたり、井上の強い思い入れがうかがえよう。
今回出た文庫版の巻末では、本書執筆にあたり井上がつけた「創作ノート」の一部が公開されている。井上の独特の味のある文字で書きつけられた覚書は、すべてがすべて原稿に反映されたわけではない。むしろ書き落とされたもののほうが多い。しかし、たとえ原稿に反映されずとも、そうした膨大な知識やアイデアの蓄積があるからこそ、文の一つひとつが確たるものとして浮かび上がるのだともいえる。大作家にしてこの努力。最近某所で新連載を始めた私もこれを見て、あわててノートを買い求め、思いつくがままにメモをつけ始めたのだった。
《なんだか締りのない終り方だが、これは『論文の書き方』の中の、文章は「スルリと始めて、プツンと終る方がよい」を杓子定規に守ったせいである》(本書より)
(近藤正高)
【『完本 ベストセラーの戦後史』でとりあげられている本】
■昭和20年代……『日米会話手帳』(20年)、『完全なる結婚』(21年)、『旋風二十年』(22年)、『愛情はふる星のごとく』(23年)、『この子を残して』(24年)、『宮本武蔵』(25年)、『ものの見方について』(26年)、『三等重役』(27年)、『光ほのかに』(28年)、『女性に関する十二章』(29年)
■昭和30年代……『広辞苑』(30年)、『太陽の季節』(31年)、『挽歌』(32年)、『経営学入門』(33年)、『論文の書き方』(34年)、『性生活の知恵』(35年)、『英語に強くなる本』(36年)、『易入門』(37年)、『危ない会社』(38年)、『愛と死をみつめて』(39年)
■昭和40年代……『おれについてこい!』(40年)、『人間革命』(41年)、『マクルーハンの世界』(42年)、『どくとるマンボウ青春記』(43年)、『都市の論理』(44年)、『知的生産の技術』(44年)、『心 いかに生きたらいいか』(45年)、『日本人とユダヤ人』(46年)、『日本列島改造論』(47年)、『恍惚の人』(47年)、『日本沈没』(48年)、『ノストラダムスの大予言』(49年)
■昭和50年代……『欽ドン』(50年)、『四畳半襖の下張裁判・全記録』(51年)、『間違いだらけのクルマ選び』(52年)