月刊誌「創」が迫る「黒子のバスケ」脅迫事件。被告の冒頭意見陳述全文を読む
「黒子のバスケ」脅迫事件の初公判で、渡邊博史被告が読み上げた冒頭意見陳述の全文が、月刊誌「創」5・6月合併号
に掲載されている。
編集長篠田博之が本号に先立ちYahoo!ニュースで公開した記事は、4月7日現在、前後半合わせて3万件以上ものツイートがなされるなど、大きな話題となった。
「創」2013年4月号、12月号、2014年1月号、2月号をもとに、事件のあらましと篠田が公開に至った経緯を追っていこう。
2009年に「週刊少年ジャンプ」で連載がスタートし、今や看板作品のひとつとなっているバスケットマンガ「黒子のバスケ」。
この作品を巡る一連の脅迫事件は、アニメ化された2012年に始まった。
10月12日夜。作者の藤巻忠俊が在籍していた上智大学の四谷キャンパスで、硫化水素の臭いのする容器が発見される。なかには手紙が。そこには「藤巻忠俊が憎い」「漫画をやめろ」という趣旨の文言が書かれていた。怪我人はなかった。
10月26日。2ちゃんねる「大学学部・研究板」に「喪服の死神」を名乗る人物による書き込みがあった。動機は「端的に言えば復讐」と語る。この書き込みが渡邊被告によるものかはまだ判明していないが、バスケのユニフォーム姿フェチであることを明かすなど、陳述文との共通点も多い。
以降、出版社や同人誌即売会の会場などに「黒子のバスケ」関連の書籍発行、イベントを中止するように要求する脅迫状が送られる。
同年末の「コミックマーケット83」において、主催する「コミックマーケット準備会」は、会場運営会社への脅迫を受けて、交渉の末「黒子のバスケ」の二次創作作品を扱わないことを決定。
「創」2013年3月号に掲載された昼間たかしによる取材記事によると、サークルへの参加料返金などの対応をした「準備会」だけでも、1000万円の被害となったという。
その後も、多くのイベントが中止に追いやられたが、4月から約半年間は目立った動きはなかった。
だが、アニメ第二期の放映が始まった2013年10月、再び「喪服の死神」が動き始める。
今度は書店やコンビニなどの小売店にも、大量の脅迫状が次々と届いた。関連商品のウエハースに毒を入れたとも書かれており、撤去する事態となった。
同じ頃、「創」編集部に分厚い封筒が送られている。
なかにはマスコミや関係各所に送った脅迫状一式と「毒入り」ウエハースのサンプル、そして篠田へ宛てた手紙が封入されていた。
「おそらく大手メディアは犯行声明文などは公表しないと思うんや」「もし他のメディアで公表しないようならお前らで公表してもらえんか」
文体は「グリコ・森永事件」の犯人「かい人21面相」のパロディーを思わせる関西弁。「喪服の死神」の他に「怪人801面相」や「黒報隊」などと複数の名前を用いており、複数での犯行を匂わせていた。
「創」はこの事件以前から、奈良小1女児殺害事件の小林薫や、和歌山毒入りカレー事件の林眞須美の手記を公開してきたという実績がある。篠田と渡邊被告との関係は、2013年12月号で犯人からの手紙や脅迫状を部分的に公開し、次号にまたがる特集記事を組んだことから始まる。
2013年12月15日。渡邊被告が威力業務妨害の疑いで逮捕された。
篠田はその2日後、面会のため警察署へと向かう。
2014年2月号には、「『黒子のバスケ』脅迫犯が私に語った衝撃の真相」と題された篠田による記事が掲載されている。
それによれば、面会に訪れた篠田に向かって、渡邊被告は「実は僕は『創』の熱心な読者じゃないんです」と、謝ったという。世間に対しての謝罪ではない。そして、2ちゃんねるで自分が「在日」だという中傷がなされていると思うが「俺は在日ではない」ので機会があったら言って欲しい、と頼んでいる。
渡邊被告は、警察が自宅に踏み込んできたら硫化水素で自殺するつもりだったと、篠田に語った。
2014年3月13日。初公判。渡邊被告は自らの希望で陳述文を朗読し始めた。
しかし、途中で裁判長から「15分間にしてください」と制され、後半を省略せざるを得なかった。陳述文を受け取った篠田は、「この事件について多くの人に考えてもらうために」、また、「公判の内容は新聞・テレビで報道されていますが、ごく一部のみ切り取って報じられているため、内容が正しく伝えられていない気がします」という理由から、全文を公開するにいたったのである。
5・6月合併号では、はてなブックマークやツイッター上に寄せられた反響の声が紹介されている他、精神科医の香山リカと、社会運動家の雨宮処凛による論評も寄せられている。
渡邊被告は陳述文のなかで、今回の事件を「人生格差犯罪」と命名している。
雨宮は、3月に発売された『死刑のための殺人 土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録』
をひきながら、「孤独な誰か」の暴発に怯える社会を思う。
香山は、「生まれたときから罰を受けている」という感覚に注目し、幼少期の親による虐待の可能性を指摘する。
篠田は、「黒子のバスケ」の主人公、地味で影の薄い「黒子テツヤ」のキャラクター性に渡邊被告が関心を持ったのではないかと推測する。
「週刊朝日」2014年1月3日号によれば、渡邊被告は高校卒業後、アニメの専門学校に入るも、一年ほどで中退したとされている。派遣労働者となり、近所付き合いはなかった。
陳述文では、年収が200万円を超えたことは一度もなく、月収が20万円を超えたことも数回しかない。
彼は、格差社会を象徴する典型的な人物のような気もしてくる。
だが社会だけが原因ではない。それは、本人が一番よく理解している。
《自分の人生と犯行動機を身も蓋もなく客観的に表現しますと「10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして『人生オワタ』状態になっていることに気がついて発狂し、自身のコンプレックスをくすぐる成功者を発見して、妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れた」ということになります。これで間違いありません。実に噴飯ものの動機なのです。》(陳述文)
犯行が再び激化する直前の、2013年9月。藤巻忠俊は「ダ・ヴィンチ」11月号のインタビューに応えている。
マンガが描きたい。両親の反対を押し切り、上智大学を中退した。自信はあった。
ところが、集英社への初めての持ち込みは、賞にかすりもしなかった。実家を飛び出し、派遣のアルバイトをして、食いつないだ。その間も、マンガはかなりのペースで描いていたという。
黒子テツヤについての言及もある。
「普通のマンガの主人公は、何かしら特別な才能を持ってたり、単純に言うと天才だったりします。でも、決して才能には恵まれていないし身体能力も低い、脇役みたいな人間でも頑張れば主役になれるんだよ、ということがやりたかったんです」
渡邊被告がこのインタビューを読んでいたかどうか、私には分からない。
「僕自身に圧倒的な才能というか、たった一人でマンガを描く実力がないのは分かっているんですよ。ただ、これは父親の教えというか、昔言われたことですごく印象に残っていることなんですが、自分にできないことは無理にやろうとするんじゃなくて、得意な人に助けてもらえばいいって。周りに助けてもらえていること、助けてもらうことに抵抗がない性格だったのは、良かったかなと思います」
(HK 吉岡命・遠藤譲)
※「創」バックナンバー入手方法は創出版ホームページまで。
に掲載されている。
編集長篠田博之が本号に先立ちYahoo!ニュースで公開した記事は、4月7日現在、前後半合わせて3万件以上ものツイートがなされるなど、大きな話題となった。
「創」2013年4月号、12月号、2014年1月号、2月号をもとに、事件のあらましと篠田が公開に至った経緯を追っていこう。
この作品を巡る一連の脅迫事件は、アニメ化された2012年に始まった。
10月12日夜。作者の藤巻忠俊が在籍していた上智大学の四谷キャンパスで、硫化水素の臭いのする容器が発見される。なかには手紙が。そこには「藤巻忠俊が憎い」「漫画をやめろ」という趣旨の文言が書かれていた。怪我人はなかった。
10月26日。2ちゃんねる「大学学部・研究板」に「喪服の死神」を名乗る人物による書き込みがあった。動機は「端的に言えば復讐」と語る。この書き込みが渡邊被告によるものかはまだ判明していないが、バスケのユニフォーム姿フェチであることを明かすなど、陳述文との共通点も多い。
以降、出版社や同人誌即売会の会場などに「黒子のバスケ」関連の書籍発行、イベントを中止するように要求する脅迫状が送られる。
同年末の「コミックマーケット83」において、主催する「コミックマーケット準備会」は、会場運営会社への脅迫を受けて、交渉の末「黒子のバスケ」の二次創作作品を扱わないことを決定。
「創」2013年3月号に掲載された昼間たかしによる取材記事によると、サークルへの参加料返金などの対応をした「準備会」だけでも、1000万円の被害となったという。
その後も、多くのイベントが中止に追いやられたが、4月から約半年間は目立った動きはなかった。
だが、アニメ第二期の放映が始まった2013年10月、再び「喪服の死神」が動き始める。
今度は書店やコンビニなどの小売店にも、大量の脅迫状が次々と届いた。関連商品のウエハースに毒を入れたとも書かれており、撤去する事態となった。
同じ頃、「創」編集部に分厚い封筒が送られている。
なかにはマスコミや関係各所に送った脅迫状一式と「毒入り」ウエハースのサンプル、そして篠田へ宛てた手紙が封入されていた。
「おそらく大手メディアは犯行声明文などは公表しないと思うんや」「もし他のメディアで公表しないようならお前らで公表してもらえんか」
文体は「グリコ・森永事件」の犯人「かい人21面相」のパロディーを思わせる関西弁。「喪服の死神」の他に「怪人801面相」や「黒報隊」などと複数の名前を用いており、複数での犯行を匂わせていた。
「創」はこの事件以前から、奈良小1女児殺害事件の小林薫や、和歌山毒入りカレー事件の林眞須美の手記を公開してきたという実績がある。篠田と渡邊被告との関係は、2013年12月号で犯人からの手紙や脅迫状を部分的に公開し、次号にまたがる特集記事を組んだことから始まる。
2013年12月15日。渡邊被告が威力業務妨害の疑いで逮捕された。
篠田はその2日後、面会のため警察署へと向かう。
2014年2月号には、「『黒子のバスケ』脅迫犯が私に語った衝撃の真相」と題された篠田による記事が掲載されている。
それによれば、面会に訪れた篠田に向かって、渡邊被告は「実は僕は『創』の熱心な読者じゃないんです」と、謝ったという。世間に対しての謝罪ではない。そして、2ちゃんねるで自分が「在日」だという中傷がなされていると思うが「俺は在日ではない」ので機会があったら言って欲しい、と頼んでいる。
渡邊被告は、警察が自宅に踏み込んできたら硫化水素で自殺するつもりだったと、篠田に語った。
2014年3月13日。初公判。渡邊被告は自らの希望で陳述文を朗読し始めた。
しかし、途中で裁判長から「15分間にしてください」と制され、後半を省略せざるを得なかった。陳述文を受け取った篠田は、「この事件について多くの人に考えてもらうために」、また、「公判の内容は新聞・テレビで報道されていますが、ごく一部のみ切り取って報じられているため、内容が正しく伝えられていない気がします」という理由から、全文を公開するにいたったのである。
5・6月合併号では、はてなブックマークやツイッター上に寄せられた反響の声が紹介されている他、精神科医の香山リカと、社会運動家の雨宮処凛による論評も寄せられている。
渡邊被告は陳述文のなかで、今回の事件を「人生格差犯罪」と命名している。
雨宮は、3月に発売された『死刑のための殺人 土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録』
をひきながら、「孤独な誰か」の暴発に怯える社会を思う。
香山は、「生まれたときから罰を受けている」という感覚に注目し、幼少期の親による虐待の可能性を指摘する。
篠田は、「黒子のバスケ」の主人公、地味で影の薄い「黒子テツヤ」のキャラクター性に渡邊被告が関心を持ったのではないかと推測する。
「週刊朝日」2014年1月3日号によれば、渡邊被告は高校卒業後、アニメの専門学校に入るも、一年ほどで中退したとされている。派遣労働者となり、近所付き合いはなかった。
陳述文では、年収が200万円を超えたことは一度もなく、月収が20万円を超えたことも数回しかない。
彼は、格差社会を象徴する典型的な人物のような気もしてくる。
だが社会だけが原因ではない。それは、本人が一番よく理解している。
《自分の人生と犯行動機を身も蓋もなく客観的に表現しますと「10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして『人生オワタ』状態になっていることに気がついて発狂し、自身のコンプレックスをくすぐる成功者を発見して、妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れた」ということになります。これで間違いありません。実に噴飯ものの動機なのです。》(陳述文)
犯行が再び激化する直前の、2013年9月。藤巻忠俊は「ダ・ヴィンチ」11月号のインタビューに応えている。
マンガが描きたい。両親の反対を押し切り、上智大学を中退した。自信はあった。
ところが、集英社への初めての持ち込みは、賞にかすりもしなかった。実家を飛び出し、派遣のアルバイトをして、食いつないだ。その間も、マンガはかなりのペースで描いていたという。
黒子テツヤについての言及もある。
「普通のマンガの主人公は、何かしら特別な才能を持ってたり、単純に言うと天才だったりします。でも、決して才能には恵まれていないし身体能力も低い、脇役みたいな人間でも頑張れば主役になれるんだよ、ということがやりたかったんです」
渡邊被告がこのインタビューを読んでいたかどうか、私には分からない。
「僕自身に圧倒的な才能というか、たった一人でマンガを描く実力がないのは分かっているんですよ。ただ、これは父親の教えというか、昔言われたことですごく印象に残っていることなんですが、自分にできないことは無理にやろうとするんじゃなくて、得意な人に助けてもらえばいいって。周りに助けてもらえていること、助けてもらうことに抵抗がない性格だったのは、良かったかなと思います」
(HK 吉岡命・遠藤譲)
※「創」バックナンバー入手方法は創出版ホームページまで。