『乙嫁語り』森薫/エンターブレイン

写真拡大

マンガ大賞2014が3月27日に発表された。大賞は、森薫の『乙嫁語り』。3年前と昨年、同賞にノミネートされていた。その2回では惜しくも大賞作に及ばず、2位となったが、今回ようやく大賞を獲得した。発表後のツイートなどを見ても、「よかった。やっと!」という声にときどき「あれ? まだ取ってなかったっけ?」という声が混じっていた。ある意味「取って当然」と思われていた『乙嫁語り』とはどんな作品なのか。

舞台は19世紀後半の中央アジア。半定住・半遊牧の一族からアミル(20歳・♀)が、定住型の一族の跡継ぎ・カルルク(12歳・♂)のもとへと嫁いできた──。

物語はこんな場面から始まる。第一話では、嫁いできたばかりのアミルが一人で馬を駆り、狩りに出る場面が描かれる。

こともなげに馬を駆って狩りに出た妻と、その身を案ずる12歳の夫。セリフのない6ページが美しい。仮に同じことを描こうとしたとき、映像ならば殺伐としたシーンになりかねず、文字だけでは伝わるように描ききるのが難しい。しかもこの6ページの間で、夫婦間の愛情がほのかに育まれたことが伝わってくる。

この作品の特徴として、しばしば絢爛豪華な衣装や布地、装飾品の描き込みが挙げられる。もちろんそうした工芸品の美しさに手が止まるページも数多い。第3話などは、冒頭の見開きをはじめ、圧倒されるような表現が次々に現れ、ついつい見惚れてしまう。読んでいると気づかぬうちに、広大な草原や遙かなる山々が描かれたコマをぼうっと見ていることもある。山を登る途中、ふと遠くに目を向けた時のように、心休まる情景が描かれている。

『乙嫁語り』に描かれているのは、単なる光景──シーンではない。木々や山々の描写にも心を動かす表現があり、一皿の食べ物にも「食卓の肖像」が込められている。この物語は美しく、愛情にあふれている。しかしときに殺伐として残酷でもある。森薫は「生きる」ことのまわりにあるすべてを精緻で流麗な絵に乗せて、読者の目の前に淡々と置いていく。置かれたものをどうやって手に取るかは読者次第だ。

『3月のライオン』『銀の匙』『海街diary』、そして今年の『乙嫁語り』──。震災前後からのマンガ大賞の受賞作を並べて読むと、通底するテーマがどこか似通っていることに気づく。いずれも地縁や血縁といったコミュニティを舞台とし、あたたかな「家族の肖像」「食卓の情景」が描かれている。

例えば「食」ならば、『3月のライオン』のカレー(唐揚げ&温泉タマゴのせ)、『銀の匙』の石窯ピザ、『海街diary』のアジフライ定食──。いずれも湯気の向こうに「人」が見え、やたらにうまそうなのも共通している。

『乙嫁語り』にも「食卓の情景」はそこかしこに登場する。ウサギのスープ、串焼き、肉うどん、焼き飯──。他の大賞受賞作に登場したメニューに負けず劣らず、やたらとうまそうだ。濃密な人間関係のなかで「食」が果たす役割は大きい。だからこそ、描き手は要所に「食」を忍ばせる。

授賞式で森薫は、「執筆中は作品にどっぷり入って描いている。描き終えて外に出ると現代に戻ってきたことに『あっ!』と思う」と言った(3巻あとがきにも載録)。『乙嫁語り』に流れる時間を、現代人がふだんから体感することは難しい。だが、作中の世界に没入するだけでも、日常の見え方は変わる。そこから東京へと戻ってきたときに見える新鮮な景色は、僕らにとって現実からは得られないリアルだ。
(松浦達也)