THE RAMPAGE 与那嶺瑠唯

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 2024年に結成10周年を迎え、ドーム公演『THE RAMPAGE LIMITED LIVE 2024 *p(R)ojectR® at TOKYO DOME』を大成功に終えたばかりのTHE RAMPAGE。16人によるEXILE TRIBE屈指のダイナミックなパフォーマンスの人気は海を越え、アジアでの公演も増えてきた今、リアルサウンドではTHE RAMPAGEメンバーへのリレーインタビューを企画。アニバーサリーを迎えた活動への素直な心境、メンバーとの思い出などを語ってもらった。第8回となる今回は、パフォーマーの与那嶺瑠唯が登場する。(編集部)

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得意を活かして、表現の幅を広げる“ディレクター”的存在に

――THE RAMPAGEは結成10周年を迎えました。グループとして強く成長・進化を感じた瞬間はどんな時でしょうか。

与那嶺瑠唯(以下、与那嶺):ライブツアーが終わった後は、毎回のようにグループとしての成長を実感します。ツアーごとにコンセプトを決めて、それを踏まえて各メンバーが自分なりの想いや目標を掲げてステージに上がっていくんですけど、各自の目標達成とグループ全体で表現したいものが完成してバシッとハマると、成長への大きな手応えを得られるんです。ライブをやるたびに、チーム全体のスキルや士気、表現力が上がっていると感じます。

――10年間で、個人としての成長や変化を感じた瞬間も教えてください。

与那嶺:自分自身を深く知って、グループの中での役割を固めていく10年だったと感じています。活動する中で、表現の大切さや自分が発する言葉についてくる責任の重さを学び、「THE RAMPAGEの与那嶺瑠唯」が作られたという感覚です。例えば、自分はダンスが大好きなので、いろいろなジャンルを学んできました。そこを強みにして、今ではグループのダンスの質を高め、表現の幅を広げる“ディレクター”のような役割を担えていると思っています。

 あとは、グループのポジティブな空気づくりにも一役買っている気がします。自分の中でも日頃から「ポジティブにありたい」という気持ちがあるので、そういう明るいエナジーをメンバーのみんなに与えることができているんじゃないかと思います。

――特に印象に残っているライブ、またはターニングポイントになったと思うライブを教えてください。

与那嶺:一番印象に残っているのは『THE RAMPAGE LIVE TOUR 2019 “THROW YA FIST”』です。グループ初のアリーナツアーで、それまで開催していたホールツアーとはまた一味違った経験ができました。アリーナは会場がすごく広いので、演出としてやれることがたくさんある一方で、お客さんを置いてけぼりにしない仕掛けを作ることもすごく重要です。なので、ステージを広く使って客席の近くに行くことを考えたり、いろいろある選択肢の中から引き算してベストな演出を探ったりして、来てくださる皆さんにどうやったら喜んでもらえるのかを考えながらライブを作っていきました。試行錯誤を経て迎えた当日、ステージから見えたのは、それまで見たことのない壮観な景色で、特に思い出に残っているツアーの1つですね。

 あと、ターニングポイントになったのは『THE RAMPAGE LIVE TOUR 2021 "REBOOT" ~WAY TO THE GLORY~』での、グループ初の東京ドーム単独公演です。その時はまだコロナ禍で、キャパシティも会場の定員の半分、声出しもできないライブだったんですけど、東京ドームという大きなステージで単独ライブができて、得るものがたくさんありました。力不足を感じた一方で、この公演の中でファンの皆さんに自分たちのエンタテインメントを届けられた実感もあって、良い意味で“パンチを食らった”ライブになりましたね。この公演をきっかけに、THE RAMPAGEとしての表現の仕方、エンタテインメントのあり方を深く追求することになったので、本当に大きな転機になったと感じています。

――10年の活動で、特に印象に残っているメンバーとのエピソードを教えてください。

与那嶺:1個挙げるとしたら、やっぱり寮生活ですかね。自分は沖縄から東京に出てきたのですが、寂しい想いをせずに生活できたのは、デビュー前からメンバーのみんなと寮で暮らしていたおかげだと思います。珍事件もたくさん起きて、本当に楽しかったです。火災報知器のエピソードは、何度思い出しても笑ってしまいます(笑)。自分は後藤拓磨くん、浦川翔平くんと同じ部屋で暮らしていて、本当は拓磨と翔平が同じ部屋の2段ベッドで寝る決まりだったんですけど、拓磨が「どうしても一人部屋が欲しい」と言うのでサービスルームをあてがっていたんです。ある時、早朝までMVを撮影した日に、火災報知器の点検が来たことがあって、でも、自分たちは朝6時くらいまで稼働してとても眠かったので、点検担当の方に詳しく案内せず、自由に部屋の中を回ってもらったら、突然、「わー!」と結構な音量の悲鳴が響いてきたんです。何が起きたかというと、点検の方が、サービスルームで拓磨が横たわっているのを見て驚いてしまったようで……。かなり狭い空間だったので、まさか扉を開けて人がいると思わなかったんでしょうね(笑)。こういう珍事件が、寮の中ではいろいろ起きていました。

――この10年の活動で、最も驚いたこと・予想外に嬉しかったことは何でしょう?

与那嶺:子どもの頃から憧れていたアーティストと同じステージに立てたことは、本当に嬉しい出来事でした。出演したタイのイベントで、僕がアーティストを目指すきっかけになったBIGBANGのSOLさんにお会いすることができたんです。僕は特にSOLさんの影響を強く受けているのですが、『TAEYANG 2017 WORLD TOUR IN JAPAN -SOL STADIUM LIVE-』ぶりに現地で彼のパフォーマンスを観ることができて、本当に痺れました。同じステージに立てたことは、すごく感慨深かったです。実はSOLさんの楽屋が自分たちの楽屋のすぐ近くにあったんですけど、用もないのに楽屋から出て、「SOLさんが通らないかな」とドキドキしながら周辺をうろうろしていました(笑)。僕らのステージが終わった後、SOLさんに挨拶することができてとても嬉しかったです。

――2024年現在の気分で、特に思い入れの深いTHE RAMPAGEの1曲を教えてください。

与那嶺:「24karats GOLD GENESIS」です。先輩グループのEXILEから代々受け継がれてきた「24karats」というシリーズを、EXILEやEXILE TRIBE名義以外のアーティストではTHE RAMPAGEが初めて継承して、LDHのエンタテインメントや“EXILE魂”を受け継ぐことができました。RAVERS(ファンの呼称)の皆さんにも、喜んでいただけたんじゃないかなと思います。

――10周年の先へ進んでいくにあたり、これから目標に掲げていることを教えてください。

与那嶺:グループとしては、ドームツアーを実現することです。海外公演も増えているので、いつかアジアツアーも開催したいです。THE RAMPAGEのエンタテインメントを、海外にも届けていきたいと思っています。

 個人としては、「沖縄への恩返し」を1つのテーマに据えたいと思っています。今年8月に神谷健太と『THE RAMPAGE うちなーぐちかるた ハイサイコンビの想い出ガイドブック付き』を出したのですが、それが沖縄の皆さんも含めて各所で好評だったので、沖縄にある素敵な景色や人のあたたかさ、住みやすさ、おもしろい場所、僕の地元の豊見城市の魅力などをもっと伝えていけるように頑張りたいです。沖縄の子どもたちの夢も、応援できるようになりたいなと思います。

 あとは、いずれダンス&ボーカルグループやソロアーティストのプロデュースも手がけてみたいです。実は今も、日頃からいろいろと妄想しながら、構想を練っているんですよ(笑)。 いつか機会ができたら、挑戦したいと思います!

(取材=市岡光子)