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 阪神のオーナー付顧問に就いた前監督、岡田彰布が高知・安芸にやって来た。車から降りた姿でまず驚いたのは、体操服(トレーニングウエア)を着て、運動靴を履いていたことである。

 顧問という肩書はフロントの職務で、てっきり軽装の私服だと思い込んでいた。たとえば、大リーグで見てきたゼネラルマネジャー(GM)の格好を連想していた。

 しかし、同じGMでも1994年オフ、ロッテで日本プロ野球界初のGMとなった広岡達朗は、同じように体操服でグラウンドに出ていた。そして時折、ゴロ捕球の動作を示すなど、選手に実技指導を行っていた。

 広岡も岡田も身なりや服装にこだわる早大OBである。飛田穂洲以来の伝統のしきたりもある。グラウンドに出るのに、ズボンに革靴ではいけないと思ったのだろうか。

 チームづくりを行う指揮官は「菜っ葉服を着て行え」と語っていたのは西本幸雄だ。阪急、近鉄を球団初優勝に導いた情熱の監督だった。菜っ葉服とは工事労働者などが着る薄青色の作業服のことだ。選手と汗と泥にまみれる姿勢を意味する。

 顧問として岡田が汗と泥にまみれる指導を行うことなどない。問題にしているのは姿勢である。

 作家・眉村卓が「気力が体裁をつくるのではなく、体裁が気力をつくることもある」と語っている。毎日新聞夕刊の『新幸福論』2009年10月16日付にあった。

 眉村は最愛の妻を亡くし、寂しく独りで過ごしていた。だが「生活にボロを出さないようにと思うと、どこか頑張るでしょ」と、身なりを整えることが気力につながると感じるようになった。

 むろん、逆もまた真なり。気力が体裁や服装を呼んでいるのである。

 10月のクライマックスシリーズ前から体調を崩していた岡田は息苦しく、苦しんでいた。実際、決戦に臨めるほどの気力はなかったと、いまあらためて思う。

 あれから1カ月。たばこをやめ、実に元気になった。球団本部長・嶌村聡に服装について聞くと「やはり、グラウンドに出るには、この格好と自分で旅行かばんに詰めたのでしょう」と話した。

 この日、岡田はマスコミに応対しなかった。室内で、リハビリの日課にしているエアロバイクをこぎ、笑顔で球場を後にした。ただ、あの体操服は自分の運動のためだけの服装ではなかったと思っている。 =敬称略= (編集委員)