40代になって感じるようになった幸せについてモデル・冨永愛さんが語った(写真:谷川真紀子撮影)

15歳でのモデルデビューから26年。トップモデル、子育てと仕事の両立、俳優業、社会貢献活動、新会社設立……と、ますます活躍の場を広げる冨永愛さんが、新著『冨永 愛 新・幸福論 生きたいように生きる』を上梓した。40代になったからこそ見えてきたものとは? 冨永さんの幸せを引き寄せる秘訣について聞いた。

40代になってわかるようになった「幸せ」

日本を代表する世界的トップモデルとしてキャリア絶頂期の22歳で出産し、子育てと仕事を両立させながら、年を重ねるごとに美しさに磨きをかけてきた冨永愛さん。


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2023年にはNHKドラマ『大奥』で徳川吉宗役として初時代劇で初主演の大役を務め、モデルとしては12年ぶりにパリでオートクチュールのランウェイに復活。

同年7月にはモデルやアーティストたちのセカンドキャリアを支援する新会社を設立するなど、40代になってもその活躍はとどまるところを知らない。

しかし、そんな冨永さんでも、自分自身が「割と幸せ」と感じられるようになったのはつい最近のことだという。

「そこに至ったのには、たぶん、これまで生きてきて経験を重ねたからこそ、そう感じられたんだと思う」

冨永さんのこれまでの道のりは、戦いと挑戦の連続だった。「普通の家」ではない家庭環境、容姿へのコンプレックス、世界で活躍するようになってからもアジア人への差別や偏見と常に戦いながら、道を切り開いてきた。

「幸せを感じられるようになっても、まだ(原動力の)7割は怒りかな」と笑うが、それでも幸せを実感できるようになってから、言動や思考回路は変化したという。

「『これがこうなったら、こうなるだろうな』というのが、自分の経験上、ちょっとだけ予測がつくようになり、その対処ができるようになった。自分の性格もなんとなくわかってきて、 以前と比べて楽になったかもって、ふとした時に感じるようになりました」

【写真】「生き方に正しいも間違いもない。生きたいように生きればいい」を体現するモデル冨永愛さん(5枚)

これをしたら自分がすごく辛くなるだろうと思うことは、避けることができる。自分からあえて突っ込む必要がある時は突っ込む。そんな加減がわかってきたのが、最近だという。


【ヘア&メイク】美舟(SIGNO)【スタイリング】SOHEI YOSHIDA(SIGNO)【衣装協力(シャツ、パンツ、シューズ、アクセサリー)】すべてバーバリー /バーバリー・ジャパン(写真:谷川真紀子撮影)

「20代の時って、常に100%の力でどれだけ忙しく世界中を飛び回っていても、折れないんですよね。若いから、疲れ知らずというか。30代になると心が折れそうなタイミングが突然やってくるようになった。それが40代になった今は『これ、折れそうだな』という感覚が予測できる」

大切にしたい「心の余力」

折れそうにならないために、冨永さんが心がけているのは「余力、余白を残しておくこと」。

「それこそ『大奥』に出演した時は、主役というポジションも何もかも初めてのことで配分がわからなかったから、もう100%どころか、常に120%で挑んでいたので、折れそうなギリギリの状態だった。なので、今はちゃんとお休みを取ったり、自然の中に行ったりする余力は残しておこうと心がけています」

冨永さんのいう余力は、「心の余力」だという。

「時間と心ってリンクしてるじゃないですか。だからまずは時間をとって、心のバランスを整える。

本来だったら、40代以降って予測できないことばっかりのはずなんですよね。今ちょうどプレ更年期だし、その先には更年期がやって来るし。これから先、もう20代のエネルギーが戻らないことだけはわかっているから」

「子育ても仕事も100%手に入れるのは不可能」

私たちから見える冨永さんは、いつも美しく、真っ直ぐで、ストイック。高いプロ意識を持ち、いつも新たな挑戦を続けている。しかし、当然ながらその裏ではさまざまな葛藤を抱え、それらを乗り越えて今がある。

現代の女性がほしいと願う、すべての成功を手に入れているかのように見える冨永さんだが、「子育ても仕事も100%手に入れるのは不可能」だと断言する。

「出産も、育児中の休業も、後悔はまったくない。でも確実に失ったものはある」と冨永さん。


おだやかな笑顔を見せる冨永愛さん(写真:谷川真紀子撮影)

「出産にしても、モデルは見た目を一番気にする仕事なので、お腹が大きかったらできないこともあるし、フィジカル的に飛行機で移動する仕事はできない。だからこそ、断らざるを得なかったいくつもの仕事がある。出産で休んだのは半年間でしたけど、モデルとしてのピーク時に出産したから。それを取り戻すことはできませんね」

30代では子どもとの時間を優先するため、約3年間休業した。「納得はしてる。でも、確実に失ったものはあるなという感じが、自分の中にはある。これは悔いというものではなく、女性特有の悩みでもあると今は捉えています」

「もちろん、失ったものがあるから得られる幸せもある。でも、失うものなんてないほうがいいに決まっているじゃないですか。失うからこその幸せって、そんな自虐的な幸せ、今の時代にはいらない気がする。

これからは、失わずにどう得ていくか、という考え方のほうがいい。それを達成するには、やはり受け入れる側の社会がどう変わっていくか、みんなの考え方がどう変わっていくかということが大切で、大きな意味を持つと思います」

後悔もあったけれど自分の信じた道を行く

著書の中でも、「『こうあるべき』から抜け出す」ことを語る一方で、性教育やジェンダー、親ガチャなど現代の問題を冨永さんなりの視点で咀嚼(そしゃく)し、「これからの時代の女性たちへ」向けてメッセージを送っている。

「誰もが生い立ちや環境に縛られているけれど、そこから解放されることが『生きたいように生きる』ということではない。ある程度の縛りは、きっとみんなある。私自身も全部捨てられたわけではないし、できてはいない。その中で自分がどういう風に生きていきたいのかと考えて続けていくことに意味があるんじゃないかな。


努力を重ねながらも自分の生きたい道を進んでいるという(写真:谷川真紀子撮影)

今まで後悔してきたことももちろんあるし、これは違ったんじゃないかなと思うジャッジもある。その気持ちを乗り越えて、自分が自分を信じて生きていけるようになることが、きっと幸せにつながっていくんだと思う」

冨永さんは2023年7月、モデルやアーティストらのキャリアステージをサポートする新会社Crossover(クロスオーバー)を設立した。「モデルの寿命は3年」といわれた時代にデビューし、26年間活躍を続ける中で“才能あるモデルたちを使い捨てにしないために”、セカンドキャリアを見つけやすい世界にしたい。それを自分の人生の後半戦の重要な仕事の1つに位置付けた。

「自分だけのためではなく、後進や業界のことも考えていかなきゃいけない年齢になった。日本の中だけで考えても、モデル業界も20年以上前からずっと右肩下がりになっていて、モデルという職業に良い未来が見えてこないんですよね。

モデル一本だと生きづらい状況になっているけれど、自分はおかげさまでいろいろと活動させてもらっている。この経験をうまく、後に続く彼らのために活かせられればいいなという思いです」

「先は読まない」が準備はする

年齢を重ねるに従い、選択肢や可能性はどんどん狭まっていく。10代や20代に比べて、そう感じているミドル世代の人は少なくないだろう。しかし、「可能性はどの世代にでもあると思う。先は読めない。読みたくもない。流れに身を任せて、それを楽しみたいとずっと思っている」と冨永さん。


冨永 愛(とみなが・あい)/17歳でNYコレクションにてデビューして以後、世界の第一線でトップモデルとして活躍。モデルのほかテレビやラジオパーソナリティ、イベント、俳優などさまざまな分野にも精力的に挑戦。2023年から放送されたNHKドラマ10『大奥』では吉宗役として主演を務め話題となった。日本人として唯一無二のキャリアをもつスーパーモデルとして、チャリティ・社会貢献活動や日本の伝統文化を伝える活動など、その活躍の場をクリエイティブに広げている(写真:谷川真紀子撮影)

「2〜3年先ぐらいは読めるというか、考えているんですけど、その先は考えていない。考えられない。

その時に何があるかわからないし、どんな巡り合わせがあるかもわからない。それによってすごい運命って変わってしまうから。それこそ、本にも書いたように、もう一度出産するかもしれないし。

10年先の自分がわからないというのは、20代の時から一緒。そういう性格なんだなって、今は思っている。10年先の自分を知りたくないというか、どうでもいいじゃんって。過去の私は、今の自分をまったく予測していなかったわけだし」

一方、冨永さんは「これまでの人生はとんでもなく運に恵まれていた」というが、もちろんそれだけではない。

例えば、先述のドラマ『大奥』。

「ずっと時代劇に出演したかった。(中略)時代劇に出るなら馬に乗れた方がいい。剣も使えた方がいい。そう考えて、個人的に馬術や殺陣を習うようになった。なんのオファーもないのに、だ。でも、声がかかってからじゃ間に合わないから。」(『冨永 愛 新・幸福論 生きたいように生きる』から抜粋)

モデル業中心の生活の中で、なんの保証も、確約もない未来のために、馬術と殺陣を習う。その信念と行動力に、驚かずにはいられない。

「それって(未来の)予測ではなく、準備ですよね。なんか不思議なんですけど、勝手に自分を信じているところがあって。やれるでしょ、だからオファーが来るでしょって思ってた」

「生きたいように生きる」

予測はできないけれど、いつでも動ける状態は作る。だからこそ、チャンスがきた時にしっかりと掴むことができ、その結果「運が良かった」と言えるのだ。


「でも、仕事の準備はできていても、年齢を重ねる準備は全然できてないですね。今は、今の自分を健康に保つことで精一杯。女性ホルモンとか、プレ更年期とか、これからどうなっていくかはわからない。

とりあえず今の自分が健康で、ちゃんと働けて、ちゃんと遊べる体でいるっていうこと。

基本、私はもちろん仕事は大切だけれど、プライベートで遊ぶ時間も同じくらい大切。仕事のためだけに生きているわけではないから。息子ももうすぐ20歳になり、子育てもまもなく終わる。ここから自分の時間がもっと増えてくるから、ちゃんと遊べる自分でいたいと思う」

仕事も、プライベートも、まさに「生きたいように生きる」。人々が“冨永愛”に魅せられる理由が、この言葉には詰まっている。

【記事中写真すべて】ヘア&メイク:美舟(SIGNO)、スタイリング:SOHEI YOSHIDA(SIGNO)、衣装協力:シャツ、パンツ、シューズ、アクセサリーすべてバーバリー /バーバリー・ジャパン

【写真】「生き方に正しいも間違いもない。生きたいように生きればいい」を体現するモデル冨永愛さん(5枚)

(吉田 理栄子 : ライター/エディター)