起きている間に得たスキルを睡眠により自分のものにしている大谷翔平選手(写真:ZUMA Press/アフロ)

投打二刀流の活躍でスポーツ選手として史上最高額の契約を勝ち取るなど唯一無二の存在である大谷翔平選手は毎晩10時間眠り、しかも昼間も時には自分専用のマットレスを球場に持ち込んでまでたっぷりと昼寝をとる「長眠」の実践者で知られています。

ただ寝ているだけで成功するわけではありません。起きている間のトレーニングで脳と身体を極限まで追い込むことで、眠っている時間さえもトレーニングの一環としてフル活用し、脳や運動神経、筋肉の急激な成長を促しているのです。本稿では、14万人以上の睡眠改善に関わってきたスリープコーチの角谷リョウ氏の著作『一日の休息を最高の成果に変える睡眠戦略』から一部抜粋、再構成のうえ、ビジネスパーソンこそ取り入れたい長時間睡眠について解説します。

1日10時間の睡眠に加えて、練習の合間に「昼寝」

長時間睡眠(長眠)のすごさを、今ほどみなさんに理解していただきやすいタイミングはかつてなかったでしょう。

二刀流でメジャーリーグを席巻し、スポーツ史上最大の契約を勝ち取った大谷翔平選手、そして史上初めて将棋界の主要8タイトルを独占した藤井聡太八冠という、現代の日本が誇る若き2大スターの睡眠法こそが、長眠だからです。

大谷選手、藤井八冠とも1日10時間の睡眠に加えて、練習の合間や対局中にしっかりと昼寝をしていることが知られています。人類が生んだ最高の頭脳の一人、アルベルト・アインシュタインも1日10時間睡眠の長眠実践者でした。

長眠は、自分自身をものすごいスピードで成長させ、その道のスペシャリストへと変革させる戦略なのです。

「夢の世界」も成長の機会と捉える

ではなぜ、長く眠ることが急激な成長につながるのでしょうか。長眠のポイントの一つとなるのが「レム睡眠」の効果です。「レム睡眠」の間、筋肉は完全に弛緩していますが、脳は活発に活動しています。

普通の人にとって、この状態のとき脳内で起きたことは、ただの夢です。空を飛べたり、魔法や怪力が使えたりと、自分の身体とはかけ離れた経験をすることも珍しくありません。

しかし、起きている間に極限まで突きつめたトレーニングを行い、脳と筋肉が完全にシンクロした状態で眠りに就くと、「レム睡眠」状態の脳は本当に体を動かしているのと同じ感覚で活動を続けるようになります。

実際には体を動かしていなくても、脳内に起きているときの感覚が強く残っていることで、いわば夢の中でバーチャルなトレーニングを続けられるわけです。

もちろん、筋肉は完全に休んでいますから疲れるどころか疲労が回復していきますし、夢の中でいくら練習してもけがの心配はありません。

脳内でなら、実際にやったらけがにつながってしまうような動きもノーリスクで試すことができますから、成長のために不可欠な試行錯誤の範囲は現実よりも広くなります。

長眠はアスリートや棋士など特殊な職業の人にしか使えないわけではありません。たとえば自分が海外に留学または転勤して、日本人が全くいない環境に置かれたと想像してみてください。

寝る直前までがんがん外国語で話しかけられ、四苦八苦しながらそれに返答し、あるいは自身の主張を必死で伝え、疲れ切って眠りに就いたとしたら。きっとそのまま、外国語で夢を見てしまうのではないでしょうか。

そしてその夢の中で、意地悪な質問を小粋なジョークで切り返せたり、会心のプレゼンで自分の思いを相手に伝えられたりしたら、翌朝からの自分にも生きてくると思いませんか。

起きている間に極限まで自分自身を追い込むことで、夢の世界までも自分の成長に活用するのが、長眠なのです。

夢から覚めたら大技ができるように!

もう1つ、長眠のカギを握るのが、最新研究で明らかになってきた「浅いノンレム睡眠」の効果です。

睡眠は「レム睡眠」「浅いノンレム睡眠」「深いノンレム睡眠」の3つに大別されます。

このうち、「浅いノンレム睡眠」は睡眠全体の50〜60%を占めるにもかかわらず、これまでその働きについてはよく分かっていませんでした。「浅いノンレム睡眠」の最中に「睡眠紡錘波」と呼ばれる特殊な波形の脳波が現れることが知られています。

最新の研究では、この睡眠紡錘波が出ている間は、起きている間に学習したことを脳に定着させたり、運動神経を発達させたりする効果が高まっていることがわかってきました。

一般に「運動神経がいい」という言葉は運動能力が高い人のことを指しますが、脳科学の世界で「運動神経」は、脳からの指示を筋肉に伝える神経のことをいいます。

「浅いノンレム睡眠」は、まず脳が学んだ動きやちょっとしたコツをしっかりと脳内に定着させ、さらにその指示を素早く的確に筋肉へと伝える神経を成長させます。その結果、現実の練習で手に入れたり、夢の中のバーチャル練習でつかんだりしたスキルを、翌日以降も再現できる状態を作ってくれるわけです。

友人の新聞記者から、こんな話を聞いたことがあります。若手のスノーボード選手が最高難度の大技を習得しようとしていたときのこと。何カ月も練習していて、あと少しのところでできなかった大技に、彼は夢の中で初めて成功しました。目覚めて「なんだ、夢かぁ」とがっかりしていたら、翌朝から本当にその大技ができるようになっていたそうです。

まさに、「レム睡眠」中のバーチャルトレーニングの成果を、「浅いノンレム睡眠」が体に定着させた事例だと思います。

1日をどういう気持ちで終わらせるか

レム睡眠は筋肉が休んでいるものの、脳は活発に活動している状態とお伝えしました。この状態をうまく使えば、これまで「できない」とか「苦手だ」と思い込んでいたことを克服することも可能です。

たとえば、クモが苦手な人がいるとします。この人に、寝る直前まで「クモは安全な生き物だ」「クモは害虫を駆除するなど、世の中の役に立っている」「クモの側から人間に危害を加えてくることはない」といった情報を与え続けたうえで、眠りについてもらいます。


これを繰り返すうちに、クモを苦手とは感じなくなり、毛むくじゃらのクモを手に乗せられるようになるという例が実際に報告されています。これは、睡眠中に「クモは安全だ」という知識が定着し、脳内でクモを触るという行動を体験した結果だと考えられます。

このメカニズムは、何度チャレンジしても越えられない壁が現れたとき、それを乗り越えるために役立ちます。乗り越えるべき壁があるとき、意識すればするほどその壁が高く感じられてしまったという経験はありませんか。「越えられない」という経験を重ねるうちに、潜在意識の中で壁の存在感が増してしまっているという心理状態が考えられます。

そういうとき、とことんまでやってみて、その日はダメでも「自分にはできる。必ずできる」と信じて1日を終えてみましょう。「できる」という気持ちのまま夢の世界で壁に臨み、脳内で乗り越えてしまえば、現実にも好影響がでるはずです。

大谷翔平選手は、シーズン中に全く新しい球種を習得するなど驚異的な学習能力で知られています。トレーニングで自分を追い込み、その日はできなくても「自分には必ずできる」といういいイメージを持って1日を終える。

その結果、夢の中で壁を乗り越え、睡眠中にそれが脳に定着する――。大谷選手の成長が止まらない理由が、そこにあるかもしれません。

(角谷 リョウ : 上級睡眠健康指導士)