クリス・ペプラー、声の仕事の原点は広告制作にあった!?
3月1日の「おとなりさん」(文化放送)、午前9時台『教えて!全国☆ラジオスター』のコーナーに、「SAPPORO BEER OTOAJITO」、「SAISON CARD TOKIO HOT 100」(ともにJ-WAVE)からクリス・ペプラーさんが登場した。J-WAVEを長く支えるベテランが、ラジオ番組を始めるまでの経緯を語った。
山根良顕「J-WAVEは開局時点から出ているんですよね?」
クリス・ぺプラー「そうですね。1988年の10月、開局した翌日からでした。生放送をしましたね」
山根「それまでにパーソナリティはどこかでしていたんですか?」
クリス「声の仕事、CMの声とかは既にやっていたんです。以前、歌手の杏里さんがFM東京(現:TOKYO FM)で番組を持っていて、彼女がレコーディングで1ヶ月、アメリカに行くと。録音番組で4回分、日本にいないので誰かサブでやってくれないか、ということで(頼まれた)。僕、杏里の友人だったんです」
山根「あ、友人」
クリス「(代理を頼むなら)クリスにやってもらいたい、と打診したら、杏里の番組のディレクターが『いいんじゃないの』と言ってくださって、4回収録をしたんですね。これが1988年1月か2月だったかな。4回目が終わったあと、『3月いっぱいで僕はここを辞める。10月から新しいFM局がスタートするんだよ。そのときにやらない?』と言われたのが最初(自分の番組を持つきっかけ)です。そのディレクターだった方はJ-WAVEの初代編成局長になられた。いちばんの直接な理由はそれですね」
坂口愛美「へえ~!」
山根「杏里さんと友人であったとしても、それまでの『声の仕事をしていた』というのは……」
クリス「広告制作プロダクションでVP(企業ビデオ)を担当していたんです。その構成をしていました」
山根「出役じゃない?」
クリス「どちらかというとライターでした。構成を担当していたんですけど、ディレクターが『おまえ、日本語も英語もできるし、ナレーションやってみないか?』と。それが海外向けのVP、日本の企業を海外に紹介するためのビデオでした」
山根「それなら翻訳してしゃべれるし……」
クリス「普通はナレーターを呼ぶ場合、向こう(海外)の方を招くわけだけど、ニュアンスを伝えるのが面倒なわけです。『おまえなら手っ取り早くできるじゃん』みたいな。それで英語のナレーションをやるようになって。ちょうどそのときバイリンガルブームだったんですよ。CMに重宝された時期があって、声の仕事もやるようになったという感じですね」