七夕だから!奇妙な「背番号77」をつけた7人のスターたち

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本日、7月7日は七夕。

五節句の一つで、織姫と彦星が一年で唯一会うことができると日と伝えられる。

そこで、珍しい「背番号77」をつけたことがある有名選手をまとめてみた。

マルセロ・ブロゾヴィッチ

インテルを縁の下で支えるクロアチア代表MF。

派手さはないが、玄人好みの職人的選手であり、海外では「世界で最も過小評価されている」とも。

代表チームでは11番をつけているが、クラブではディナモ・ザグレブ時代から77番を着用。

「77番にした理由をよく聞かれる。シンプルさ。11番が空いてなかった。だから、似ている77番にしたんだ」そう。

ジャンルイージ・ブッフォン

44歳になった現在も現役でプレーを続ける元イタリア代表守護神。

パルマに所属した2000-01シーズンに77番をつけた。当初、パルマラストイヤーになるこの年に背番号を88に変更しようとしていた。

しかし、欧州において「8」はネオナチに関係の深い番号であり、反発を受ける形で「77」にしたそう(※アルファベットの8番目はH。88=HHでHeil Hitlerを想起させる)。

なお、パルマに戻った現在は1番をつけている。

リカルド・クアレズマ

伝家の宝刀であるアウトサイドキックを武器に暴れたポルトガル代表FW。

7番を愛する選手だが、インテル時代の2008-09シーズンには77番を選んだ。当時、7番をつけていたのは、ポルトガル代表の大先輩ルイス・フィーゴ。

代表チームには同世代のクリスティアーノ・ロナウドもいたため、7番をつける機会は多くなかった。

ナニ

クアレズマと同じくスポルティングが輩出したポルトガル代表FW。

彼は代表でもクラブでも17番を好んでつけたが、2014年に古巣スポルティングへ復帰した際には「77」をチョイスした。

現在所属するヴェネツィアでは20番を着用。そのヴェネツィアでは、名波浩が7番をつけたことがある。

ホセ・カジェホン

レアル・マドリーでもプレーしたスペイン人アタッカー。双子の兄弟ホセもサッカー選手だ。

ナポリでは7番として活躍したが、2020年に移籍したフィオレンティーナでは77番を選択。その理由は、7番を愛するフランク・リベリがいたため。

「リベリと話した。7番は彼がふさわしい、自分は77ががいい」と話しており、リベリが退団した翌シーズンにその番号を受け継いだ。

エルナン・クレスポ

セリエAとプレミアリーグで活躍したアルゼンチン代表ストライカー。

2010年1月に34歳で古巣パルマに復帰した際、77番を選んだ。これは、パルマのウルトラスグループ「Boys」の創設年(1977年)に由来するもの。

「Boysからこの番号をつけてほしいと頼まれた。この番号をつければ、ピッチ上でいつも彼らがそばにいるように感じられる。彼らへの贈り物であり、自分への贈り物でもある」と話していた。

翌シーズンからは9番に変更したので、77番をつけたのは半年間だけ。

ヘンリフ・ムヒタリャン

ドルトムント、マンチェスター・ユナイテッド、アーセナルでもプレーしたアルメニア人アタッカー。

アーセナル時代から7番をつけ始め、ローマでは77番をつけた。

この夏にフリー移籍したインテルには77を愛するブロゾヴィッチがいるため、何番を選ぶのか注目だ。

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なお、Jリーグやラ・リーガ、プレミアリーグ、リーグアン、ブンデスリーガでは、トップチームの選手が77番をつけることはルール的に原則不可能。セリエAの選手が多いのはそのせいもある。