電通マンが休職して-8℃の極寒100日修行を敢行 そこで得た結論とは
仕事において、意気込みと結果がかならずしもリンクしないのは誰もが感じているところ。
力んだり、気負いこんだりすれば、視野は狭くなるばかり。逆に、力を抜いて状況を俯瞰したり、課題や問題に抗うのではなく、あえて流れに身を任せてみると、思いのほかいい結果が出ることがある。
電通でクリエイティブディレクターとして活躍しながら高野山で真言密教を学び、阿闍梨の位を授かるという異色の経歴を持つ元井康夫氏の『「がんばらない」という智恵〜自分でできる働き方改革〜』(辰巳出版刊)は、力を入れるばかりでなく、力を「抜く」働き方を指南する一冊。
抗わず、戦わず、こだわらずに成果を出す。そんな働き方ができたら最高だ。今回はご本人にお話をうかがい、その秘訣を教えていただいた。その後編をお届けする。
元井康夫さんインタビュー前編を読む
■電通クリエイティブディレクターが高野山で身につけた新たな価値観とは
――また、元井さんのキャリアでユニークなのが、仕事を休職して、高野山での修業生活に入られたことです。この修行生活が仕事観や人生観に与えた影響についてお話をうかがえればと思います。
元井:「ここがこうよかった」という明快なものはないのですが、あえて言うなら「我慢する」ということを覚えた気がします。
高野山って、恐ろしく寒いんですよ。私が高野山に入った時は−8℃くらいまで下がる時期だったのですが、そこで朝3時に起きて水をかぶって、ぺらぺらの僧服一枚着ただけで雑巾がけをして、掃除をして、寒いところでお経を読んだり、何時間も座禅を組んで、夜は隙間風の入る宿坊で、せんべい布団1枚で眠る、という生活をずっと続けるわけです。手はあかぎれ、しもやけだらけになりますし、身体はがちがちに固まります。寝てもまったく休まりません。もちろん、どの行程を1回休んでも修行者としては失格です。そんなですから、よほど強い気持ちがないと、すぐ帰りたくなるんです。
――そもそも、どうして高野山に入られたのですか?
元井:子どもの頃から「神秘体験」に憧れていたんです。今でも人文的な意味での「神秘主義」や「瞑想」は好きなのですが、こういう領域の一つの極点というのが「神秘体験」なんです。これをどうにかして自分もしてみたかったので、体験できそうな場所を探したところ、高野山に行き着いた。実際に行ってみたら、今お話ししたような生活で、神秘体験とはほど遠かったわけですが(笑)。
――途中で帰りたくならなかったのですか?
元井:「来るところを間違えた」とは思いましたよ。だけど、当時39歳で、会社では部長になる直前で、家も買ってしまって、子どもが2人いて、という環境で、みんなに拝み倒してわがままを聞いてもらったので、気軽に「やめました」と帰れる状態ではなかったんですよね。
でも、ここでこの生活を我慢していても神秘体験なんてできるわけがないということもわかっているわけです。だから、修行を終えて帰る時のことしか考えてなかったですよ。100日間の修行の間、毎秒そのことを考えていました。
――そんな修行を100日間やり遂げたとなると、世の中の見方や価値観が変わりそうです。
元井:それはありますね。ある目的があったとして「こういうことをすれば実現できるだろう」と考えるのが一般的だと思うのですが、修行を終えた後は「結局はなるようにしかならないんだ」という価値観・努力観がなんとなく身についていた気がします。
高野山の修行があまりにつらいので、「こんなところに100日もいていいんだろうか」とか「家もそんなに長く空けていてはダメなんじゃないか」とか「体を壊すんじゃないか」とか、色々と考えるわけです。なにかにつけて山を降りる理由を考える。人間はそういうふうにできているんです。
だけど、途中からそういうのも考えなくなっていくんですね。もちろん、毎日つらいのですが、つらいからどうだというのは考えなくなる。
――仕事に関してはその価値観の変化は影響しましたか?
元井:物事を一歩引いた目で見るようにはなったと思います。何か問題に巻き込まれても、どこか冷静といいますか、「問題の渦中にいる自分」を俯瞰的に見るようになったと思いますね。
最悪な状況であっても、その状況にいる自分を「まあ、こんなもんかな」と見るくせがついたのは高野山に行ってからだったと思います。
――個人的には人間関係の章に学びが多かったです。特に「怒られ上手になる」「威張らない」などは歳を重ねるごとに大事になることなのかもしれません。年齢を重ねても謙虚でいるための秘訣はありますか?
元井:それは単純です。たとえば40歳で部長になるという目標がある人は、39歳でそれが狙えるポジションにいると増長するんですよ。何か言われると「ふざけるな、何年この仕事をしていると思っているんだ」となりやすい。
だけど、同じ39歳でも55歳で社長になろうと思っている人は、人から苦言を呈されたら、むしろありがたいと感じるはずです。結論を言うと、目標を高く遠くに置いておけば、いつまでも謙虚にいられるということです。
――また、「無理難題を言う人には2パターンある」というのも勉強になりました。「無理難題を言って、相手がどれくらい自分の言うことを聞くか試している人」と「自分の意見が常に正しいように感じている人」の2通りがいるということがわかると、そういう人に出くわしても冷静に対処できる気がしました。
元井:びびる必要はなくて、冷静にやれることとやれないことを伝えればいいんです。威圧的な物言いをする人間に会うと、どうしてもびびってしまうのは人間なので仕方ないことです。そんな時は、びびっている自分を俯瞰して「あ、今びびっているな。普通だな」と思えばいい。びびらない方がおかしいんですから。
――本書を通して、仕事を通して自分をアピールしたいという「我」の存在が、いかに仕事の邪魔をするかがよくわかりました。ただ、「我」は自分を向上させるために必要なものでもあります。このバランスをどうとっていけばいいのでしょうか。
元井:エゴには「いいエゴ」とそうでないエゴがあります。仏教の言葉で「小我」と「大我」というのがありますが、自分のためだけではなくて、周りの人のためにこれをやってやろう、というのが「大我」で、これは悪いものではありません。
対して、私がいた広告の世界には、ある広告がヒットすると「あれは俺の仕事だ」と威張る人がたくさん出てくるんです。「俺の仕事」といっても、宣伝部長がこうしろといったコピーがそのまま出ているかもしれないし、広告制作に様々な人が関わるなかの一人でしかありません。こうやって出しゃばる人が持ち合わせているのが「小我」であって、これはよくない我だと思います。
――最後になりますが、今回の本の読者の方々にメッセージをお願いいたします。
元井:タイトルに「がんばらない」とありますが、「仕事を捨てろ」という意味ではありません。
私は彫刻をやるのですが、彫刻には2つの制作方法があります。一つはモデリングといって、粘土をつけ足して形にしていく方法で、もう一つはカッティングといって、ノミで石や木を削っていくやり方です。
モデリングは言ってみれば「足し算」で、カッティングは「引き算」です。人生を生きるうえでも、仕事をするうえでもこれらは両方必要なのですが、多くの人は「足し算」の方ばかりしがちなんです。何かを足していく方法ばかりになってしまう。
それだけではなくて、「引き算」のやり方もぜひ覚えていただきたいのですが、こちらは智恵がいります。世の中のことや人間のことを理解して、見極めないといけません。その智恵を身につけるために、この本を役立てていただけたらうれしいですね。
(新刊JP編集部)
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■電通クリエイティブディレクターが高野山で身につけた新たな価値観とは
――また、元井さんのキャリアでユニークなのが、仕事を休職して、高野山での修業生活に入られたことです。この修行生活が仕事観や人生観に与えた影響についてお話をうかがえればと思います。
元井:「ここがこうよかった」という明快なものはないのですが、あえて言うなら「我慢する」ということを覚えた気がします。
高野山って、恐ろしく寒いんですよ。私が高野山に入った時は−8℃くらいまで下がる時期だったのですが、そこで朝3時に起きて水をかぶって、ぺらぺらの僧服一枚着ただけで雑巾がけをして、掃除をして、寒いところでお経を読んだり、何時間も座禅を組んで、夜は隙間風の入る宿坊で、せんべい布団1枚で眠る、という生活をずっと続けるわけです。手はあかぎれ、しもやけだらけになりますし、身体はがちがちに固まります。寝てもまったく休まりません。もちろん、どの行程を1回休んでも修行者としては失格です。そんなですから、よほど強い気持ちがないと、すぐ帰りたくなるんです。
――そもそも、どうして高野山に入られたのですか?
元井:子どもの頃から「神秘体験」に憧れていたんです。今でも人文的な意味での「神秘主義」や「瞑想」は好きなのですが、こういう領域の一つの極点というのが「神秘体験」なんです。これをどうにかして自分もしてみたかったので、体験できそうな場所を探したところ、高野山に行き着いた。実際に行ってみたら、今お話ししたような生活で、神秘体験とはほど遠かったわけですが(笑)。
――途中で帰りたくならなかったのですか?
元井:「来るところを間違えた」とは思いましたよ。だけど、当時39歳で、会社では部長になる直前で、家も買ってしまって、子どもが2人いて、という環境で、みんなに拝み倒してわがままを聞いてもらったので、気軽に「やめました」と帰れる状態ではなかったんですよね。
でも、ここでこの生活を我慢していても神秘体験なんてできるわけがないということもわかっているわけです。だから、修行を終えて帰る時のことしか考えてなかったですよ。100日間の修行の間、毎秒そのことを考えていました。
――そんな修行を100日間やり遂げたとなると、世の中の見方や価値観が変わりそうです。
元井:それはありますね。ある目的があったとして「こういうことをすれば実現できるだろう」と考えるのが一般的だと思うのですが、修行を終えた後は「結局はなるようにしかならないんだ」という価値観・努力観がなんとなく身についていた気がします。
高野山の修行があまりにつらいので、「こんなところに100日もいていいんだろうか」とか「家もそんなに長く空けていてはダメなんじゃないか」とか「体を壊すんじゃないか」とか、色々と考えるわけです。なにかにつけて山を降りる理由を考える。人間はそういうふうにできているんです。
だけど、途中からそういうのも考えなくなっていくんですね。もちろん、毎日つらいのですが、つらいからどうだというのは考えなくなる。
――仕事に関してはその価値観の変化は影響しましたか?
元井:物事を一歩引いた目で見るようにはなったと思います。何か問題に巻き込まれても、どこか冷静といいますか、「問題の渦中にいる自分」を俯瞰的に見るようになったと思いますね。
最悪な状況であっても、その状況にいる自分を「まあ、こんなもんかな」と見るくせがついたのは高野山に行ってからだったと思います。
――個人的には人間関係の章に学びが多かったです。特に「怒られ上手になる」「威張らない」などは歳を重ねるごとに大事になることなのかもしれません。年齢を重ねても謙虚でいるための秘訣はありますか?
元井:それは単純です。たとえば40歳で部長になるという目標がある人は、39歳でそれが狙えるポジションにいると増長するんですよ。何か言われると「ふざけるな、何年この仕事をしていると思っているんだ」となりやすい。
だけど、同じ39歳でも55歳で社長になろうと思っている人は、人から苦言を呈されたら、むしろありがたいと感じるはずです。結論を言うと、目標を高く遠くに置いておけば、いつまでも謙虚にいられるということです。
――また、「無理難題を言う人には2パターンある」というのも勉強になりました。「無理難題を言って、相手がどれくらい自分の言うことを聞くか試している人」と「自分の意見が常に正しいように感じている人」の2通りがいるということがわかると、そういう人に出くわしても冷静に対処できる気がしました。
元井:びびる必要はなくて、冷静にやれることとやれないことを伝えればいいんです。威圧的な物言いをする人間に会うと、どうしてもびびってしまうのは人間なので仕方ないことです。そんな時は、びびっている自分を俯瞰して「あ、今びびっているな。普通だな」と思えばいい。びびらない方がおかしいんですから。
――本書を通して、仕事を通して自分をアピールしたいという「我」の存在が、いかに仕事の邪魔をするかがよくわかりました。ただ、「我」は自分を向上させるために必要なものでもあります。このバランスをどうとっていけばいいのでしょうか。
元井:エゴには「いいエゴ」とそうでないエゴがあります。仏教の言葉で「小我」と「大我」というのがありますが、自分のためだけではなくて、周りの人のためにこれをやってやろう、というのが「大我」で、これは悪いものではありません。
対して、私がいた広告の世界には、ある広告がヒットすると「あれは俺の仕事だ」と威張る人がたくさん出てくるんです。「俺の仕事」といっても、宣伝部長がこうしろといったコピーがそのまま出ているかもしれないし、広告制作に様々な人が関わるなかの一人でしかありません。こうやって出しゃばる人が持ち合わせているのが「小我」であって、これはよくない我だと思います。
――最後になりますが、今回の本の読者の方々にメッセージをお願いいたします。
元井:タイトルに「がんばらない」とありますが、「仕事を捨てろ」という意味ではありません。
私は彫刻をやるのですが、彫刻には2つの制作方法があります。一つはモデリングといって、粘土をつけ足して形にしていく方法で、もう一つはカッティングといって、ノミで石や木を削っていくやり方です。
モデリングは言ってみれば「足し算」で、カッティングは「引き算」です。人生を生きるうえでも、仕事をするうえでもこれらは両方必要なのですが、多くの人は「足し算」の方ばかりしがちなんです。何かを足していく方法ばかりになってしまう。
それだけではなくて、「引き算」のやり方もぜひ覚えていただきたいのですが、こちらは智恵がいります。世の中のことや人間のことを理解して、見極めないといけません。その智恵を身につけるために、この本を役立てていただけたらうれしいですね。
(新刊JP編集部)
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