斉藤由貴の不倫発覚釈明会見からみる、不倫しても「叩かれづらい人」の特徴
世の中には、叩かれる不倫と、そうでもない不倫が存在する。
【写真】不倫発覚釈明会見での斉藤由貴、少女のような真っ白なワンピース姿
不倫しても叩かれづらい斉藤由貴
前者に比べ、後者は珍しいが、そのレアケースが斉藤由貴(53)だろう。2017年に世間をにぎわせた不倫は、24年ぶり3回目。甲子園の出場校紹介みたいだが、実際、不倫界の強豪だ。その相手も最初が尾崎豊で2度目が川崎麻世と、なかなか豪華。おかげで川崎の妻だったカイヤがブレイクしたりした。一般人の医師が相手だった3度目でも、彼がパンティーをかぶった写真が流出するというインパクト大のエピソードが飛び出したものだ。
とまあ、派手な不倫を繰り返しつつ、今も女優として活躍中。現在は『警視庁・捜査一課長2020』(テレビ朝日系)『竜の道 二つの顔の復讐者』(フジテレビ系)にレギュラー出演している。
この打たれ強さ(?)はどういうことなのか。その鍵となるのが、2度目の不倫のとき、彼女が会見で口にした言葉だ。
「前の人とのことがあったにもかかわらず、本当に学ばない人間なんだなと自分のことながら悲しい気持ちです」
自嘲まじりの反省の弁だが、注目したいのは「学ばない」という表現。これは芸能人の場合、必ずしもマイナスなことではない。というのも、人間は現実を学ぶことで夢をあきらめる。いわば、ロマンチストではいられなくなり、夢を見せる力も衰えがちだ。
それゆえ、長く活躍する芸能人にはロマンチストであり続けるタイプが多く、そのなかに不倫を大目に見てもらえる人がときどきいる。例えば、火野正平。“昭和のプレーボーイ”と呼ばれ、どの愛人からも恨まれていないというレジェンドだ。
彼は今、旅番組で自転車に乗りながら、昆虫を見つけて大はしゃぎしたりしている。旅先で近寄ってくる女性には「俺と握手すると、妊娠するぞ」などと相変わらずスケベなことも言うのだが、このどこか“永遠の少年”っぽいところが、不倫でもプラスに働いてきたのだろう。
また、コロナ禍での不祥事ですっかり落ちぶれた石田純一にしても、不倫からは復活できていた。これは周囲に乗せられて都知事選に出馬しそうになるような無邪気なロマンチシズムが意外とニクめなかったからかもしれない。
斉藤にも“夢見る夢子ちゃん”みたいなところがあり、それは一貫して変わらない。10代から20代にかけて何度か取材した際、彼女は文学や映画に描かれる背徳への憧れをよく口にした。
ふだんはキリスト教徒としてストイックに生きているぶん、たまに羽目をはずしたくなるわけだ。そして「学ばない」ことを反省する。とはいえ、その経験を活かし、怪演と呼ばれる仕事もこなすようになってきた。ある意味、生産的な不倫なのである。
なお、彼女はアイドル時代「性的な感じ」で見られることが「生理的に受けつけなかった」とも言う。不倫とは矛盾するようだが、その恋愛はけっこうプラトニック志向でもあった。それは尾崎について「同志みたい」、川崎について「傷をなめ合う仲」と語ったことからもうかがえる。前出の火野もそうだが、肉体的快楽だけを求めているわけではないことは、世間にもなんとなく伝わるのではないか。
不倫のイメージを分けるのは、そんなロマンチシズムの有無。ロマンチシズムのかけらもないような不倫(例・渡部建)は、やはり叩かれるだけなのだ。