1万7000年前の人類が残した壁画が多数描かれた「ラスコー洞窟」の謎とは?
人類は古代から「絵」を愛してきたことがわかっており、その証拠が壁画として現代にまで残っています。1万7000年前の人新世と呼ばれる時代の人類が多数の壁画を残した「ラスコー洞窟」の来歴と謎について、科学系YouTubeチャンネルのKurzgesagtがアニメーションムービーで解説しています。
The Past We Can Never Return To - The Anthropocene Reviewed - YouTube
最終的に飼い犬は救助されましたが、その翌日にラビダッド氏は、友人3人を引き連れて飼い犬が入っていった穴を調べようと決心します。
実際に穴の中に入っていったラビダット氏らが見たものとは、洞窟の壁一面に描かれた壁画でした。
洞窟の中には、馬や雄鹿、バイソンなど動物の壁画が900点近くもあった上に、中にはケブカサイなどの絶滅した種の壁画も存在しました。これらの壁画は中空の骨とみられる細い管を通して赤色・黄色・黒色の鉱物顔料を吹きかけるという手法で描かれており、鮮やかな色合いで、描写も精緻なものでした。調査の結果、これらの壁画は少なくとも1万7000年以上前に描かれたものだと判定されました。この洞窟は、今ではラスコー洞窟として知られています。
ラビダット氏らのグループのうち、2人は洞窟の中で見た芸術に深く感動し、1年以上にわたって入り口付近でキャンプを続けて洞窟を守りました。
第二次世界大戦後にはフランス政府が洞窟の保守を引き継ぎ、1948年には一般公開に至りました。同年に洞窟を訪れたピカソが「我々は新しいものを何一つとして発明していない」と言い残したことも知られています。
ラスコー洞窟の壁画には多くの謎があります。その一つが、旧石器時代の人類にとって主要な食糧だったはずのトナカイの絵が存在しないということ。また、壁画を描くスペースは十分残されているのにも関わらず、足場を構築しないと届かないような位置に壁画が描かれている理由についてもわかっていません。そのほかにも、動物の壁画が宗教的な意味合いで描かれたのか、はたまた「この動物は危険だ」というような実用的な意図を元に描かれたのかといった、「壁画を描いた動機」についても謎が残されています。
ラスコー洞窟には動物の他にも「解釈不能な図形」の壁画が1000点以上も描かれていましたが、現代人にとって意味がわかる図形の壁画も多数残されています。意味がわかる図形の壁画として代表的なものが「手形」です。これらの手形は、洞窟の壁面に押し当てた手の上に顔料を吹き付けて描かれたとみられています。
手形の壁画は、遠い過去の生活を物語るものです。3本指や4本指の手形が多いという点からは、ラスコー洞窟に住んでいた人新世時代の人類にとって凍傷で指を失うことは一般的だったことが推測できます。
ラスコー洞窟に壁画が描かれた時代においては、出産時に死亡する女性の割合は4分の1にも達し、5歳未満で死亡する子どもは5割以上に達したと見積もられています。
しかし、残された壁画を見ると、残された手形は私たちの手とほとんど同じ形であり、過去の人類も我々とよく似ていたことがよくわかります。さらに、当時は食料と水に余裕がなかったと考えられるにも関わらず、人新世時代の人類は壁画を描くことに時間を割いていました。
ラスコー洞窟に残された手形のほとんどが、指同士の間を開けています。現代でもほとんどの人が指同士の間を開けた手形を取る傾向があるというのは奇妙な一致です。
しかし、現代と過去では「手形を取る動機」が異なっていたという意見も存在します。一部の考古学者は、「古代人は狩猟に関する儀式の一環として手形を取っていた」という説を唱えています。
ラスコー洞窟に存在する壁画は、考古学に重要なものです。しかし、人の呼気に含まれる二酸化炭素によってカビや地衣類が生長し、壁画が急激に劣化したという事件以降、ラスコー洞窟は一般公開されなくなりました。1983年以降は、ラスコー洞窟の壁画を綿密に再現したレプリカ洞窟「ラスコー2」が観光客向けに公開されています。
ラスコー洞窟を発見したラビダット氏ら4人のうち2人が1年以上にわたって洞窟保護に身をささげたことを思えば、「本物のラスコー洞窟が劣化しないように閉鎖する」という決断は仕方のないものだといえます。
ラスコー洞窟は今も存在していますが、一般人が中に入ることは不可能です。ラスコー2に存在する手形は精巧ですが偽物であり、「人新世時代の人類の手」をうかがい知ることはできません。現在ラスコー2で公開されている手形は、もはや再び見ることができない手形の思い出のようなものです。