ニルヴァーナ、本当のラストライブを回想
1994年3月1日、ドイツのミュンヘンでカート・コバーンが人前で披露した最後の曲「ハート・シェイプト・ボックス」を回想する。
アンプラグド・ライブがニルヴァーナの最後のライブのように紹介されることが多いが、実際はその1993年11月18日のMTVの(アンプラグド・ライブの)撮影の後、1ヶ月のアメリカツアーを行い、さらに翌2月にはヨーロッパに向かった。チェリストのメロラ・クリーガーが前年のロリ・ゴールドストンに変わりこのツアーに参加し、デイヴ・グロールが担当していたコーラスをサポート・ギタリストのパット・スメアが引き継ぐこととなった。
ライブであれこれやることはこの頃のカート・コバーンにとって最も重要なことではなかった。夫婦関係の悪化が広く報道される中、コートニー・ラヴはこのツアーのためにヨーロッパに来ることはなく2人は結婚2周年の記念日を別の大陸で過ごした。カートはツアーが進むにつれて病人のようにどんどん顔色が悪くなり、間もなく声が出なくなってしまった。医者から気管支炎および咽頭炎と診断され長期休養を強く勧められたがカートは耳を貸さずツアーを続けた。
ニルヴァーナの最後のライブは1994年3月1日、ドイツのミュンヘンの飛行機の格納庫のような3050人収容の会場、ターミナル1で行われた。場内の音の反響は最悪でロックのライブの理想的な会場からは大きくかけ離れていたが、カートはサウンドチェックに不参加であったためライブが始まるまでそれに気づくことはなかった。ニルヴァーナはザ・カーズの「マイ・ベスト・フレンズ・ガール」の皮肉を込めたカバーでライブの幕を開け、「カム・アズ・ユー・アー」では電気が落ちたため曲を初めからやり直した。オーディエンスにもカートが声にひどい問題を抱えていることは明白であった。
最初の数曲は地元のテレビ放送用にカメラが回されていたがそれ以外のその夜の映像は表には出ていない。これはその時の「ハート・シェイプト・ボックス」の音源だ。そのライブの最後の曲、すなわちカート・コバーンが人前で演奏した人生最後の曲である。彼がサビの「hey wait」のところで高音を出そうと苦しそうにしているのは聞くに堪えなく、曲の後の方では諦めてその部分を低い声で歌っている。
曲は唸るようなフィードバックで締めくくられ、カートはオーディエンスに感謝の言葉を述べている。カートがツアーを続けられるような状態でないことは明らかで残りの数公演はキャンセルとなった。そして、彼は翌月亡くなった。2014年のロックの殿堂授賞式までデイヴ・グロールとクリス・ノヴォゼリックが一緒に人前でニルヴァーナの曲を演奏することはなかった。
アンプラグド・ライブがニルヴァーナの最後のライブのように紹介されることが多いが、実際はその1993年11月18日のMTVの(アンプラグド・ライブの)撮影の後、1ヶ月のアメリカツアーを行い、さらに翌2月にはヨーロッパに向かった。チェリストのメロラ・クリーガーが前年のロリ・ゴールドストンに変わりこのツアーに参加し、デイヴ・グロールが担当していたコーラスをサポート・ギタリストのパット・スメアが引き継ぐこととなった。
ニルヴァーナの最後のライブは1994年3月1日、ドイツのミュンヘンの飛行機の格納庫のような3050人収容の会場、ターミナル1で行われた。場内の音の反響は最悪でロックのライブの理想的な会場からは大きくかけ離れていたが、カートはサウンドチェックに不参加であったためライブが始まるまでそれに気づくことはなかった。ニルヴァーナはザ・カーズの「マイ・ベスト・フレンズ・ガール」の皮肉を込めたカバーでライブの幕を開け、「カム・アズ・ユー・アー」では電気が落ちたため曲を初めからやり直した。オーディエンスにもカートが声にひどい問題を抱えていることは明白であった。
最初の数曲は地元のテレビ放送用にカメラが回されていたがそれ以外のその夜の映像は表には出ていない。これはその時の「ハート・シェイプト・ボックス」の音源だ。そのライブの最後の曲、すなわちカート・コバーンが人前で演奏した人生最後の曲である。彼がサビの「hey wait」のところで高音を出そうと苦しそうにしているのは聞くに堪えなく、曲の後の方では諦めてその部分を低い声で歌っている。
曲は唸るようなフィードバックで締めくくられ、カートはオーディエンスに感謝の言葉を述べている。カートがツアーを続けられるような状態でないことは明らかで残りの数公演はキャンセルとなった。そして、彼は翌月亡くなった。2014年のロックの殿堂授賞式までデイヴ・グロールとクリス・ノヴォゼリックが一緒に人前でニルヴァーナの曲を演奏することはなかった。