JK広報室委嘱式の様子

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■「JK」というグレーな言葉

愛知県豊橋市が、110周年事業の一環として6月9日に「豊橋市役所JK広報室」なるプロジェクトを発足し、その顧問を務めさせていただくことになりまし た。福井県鯖江市の「JK課」での実績や経験をもとに、企画段階からお手伝いさせていただいてます(鯖江市役所JK課の成果ついてはこちらの記事を参照:http://president.jp/articles/-/17337)。

この「JK広報室」が発足するにあたって、鯖江の発足時と同じように「性産業を連想させる可能性があり、公共事業でJKという言葉は不適切で名称を変更すべき」という申し立てが20名の中高年の女性により行われ、ニュースで話題になりました。

「JK」という言葉の捉え方については、世代や立場によってかなり異なるようで、これが適切な言葉なのかどうなのか、ルーツにもいろいろな説があって、正直白黒の判断はなかなかできません。言ってみれば、評価の定まっていない「言葉のグレーゾーン」です。

そんな中で僕や市役所の担当職員が最も大切にしているのは、事業の当事者である女子高生たちの気持ちや「モチベーション」にどのように影響するか、ということです。まちの活動に、若者に楽しく主体的に参加してもらうのは、なかなか難しい。

ところが、たくさんの若者と接しているうちに、その多くが、お金などの報酬や、表彰されるといった栄誉を手にすることよりも、「これは自分のものなんだ。自分がつくっていくものなんだ」という「当事者意識」を持てる環境や体験を強く求めていて、そういうものには夢中になって参加するという傾向が見えてきました。

もし、プロジェクトに参加する当の女子高生たちが「JK」という言葉に抵抗や不快感を持っていたのなら、名称は当然見直すべきです。しかし、鯖江市の場合でも、豊橋市の場合でも、当の女子高生たちが口をそろえて「JKという名称だから、参加してみたい。自分たちの感覚に近くて、楽しそうだからやってみたい」「女子高生課という名前だったら参加したくなかった」と言っているので、それは尊重するべきだし、出発点にするべきだと思うのです。

出発点というのは、みんなが議論するきっかけになるということです。今回の名称をめぐるニュースに対しても、ネットの反応や市役所への問い合わせは、まさに賛否両論でした。すぐに無難に結論づけることよりも、両論ある中で、行政の政策や地域活動のあり方などが見直されていくことが大切です。それは時に痛く、そして難しいことですが、僕たちはその難しさに対応できる柔軟性を時代に試されているのだと思います。

■PRの「本来の意味」とは

豊橋の「JK広報室」も鯖江市の事業と同様に、地域の女子高生(JK)が中心となり、それを大人が手伝っていくという市民協働事業です。大人が用意したプログラムを「こなす」というような職場体験やインターンシップとは違って、あくまでもメンバーが考えたものや思いついたことを尊重しつつ、それが実現・発展するように大人たちが協力していくということです。

ただ、今回の豊橋の事業では、主に「広報」を行うというのが特徴になっています。しかし、広報というのとても誤解されやすい言葉です。

「広報」は、もともとは「PR」という言葉の和訳からきています。そして、その和訳の“不完全形”なのです。そもそも、「PR」という言葉を正しく理解している人はあまりいません。PRは「Public Relations(パブリックリレーションズ)」の略で、1950年代にアメリカから民主主義の促進のために輸入された概念です。

パブリックリレーションズを直訳すると「公の関係性」ですが、民主的な社会をつくるために、政府や自治体と国民・市民が「双方向のコミュニケーション」によって関係性を深めていきましょう、というような意味だとされています。

戦時中の日本では、国(というか軍)が決めた方針は、国民・市民に対して一方的に発信され、否応なしに押し付けられていました。国民が、それに正面から意見・反論する余地なんてまったく無かったわけです。今回のJK広報室の場合のように、市民が名称変更を申し立てる、というようなこともそもそも不可能でした。

戦後、民主的な社会を目指した日本は、国や自治体がただ一方的に情報発信するのではなく、国民・市民から意見がフィードバックされるような双方向の仕組みをつくり、そこから「議論」が生まれる公共社会を目指したようです。それが、パブリックリレーションズ(PR)の原型です。

そのときの「PR」の日本語訳が、「広報と広聴」でした。「広く報じ、広く聴く」という双方向性を意味する言葉です。ところが、それがいつの間にか片割れは省略され、「PR=広報」と訳されることが多くなってしまいました。しかし、これでは本来の意味を成していません。

そのような背景の名残から、一部の県庁や市役所には今でも「広報広聴課」という名称のセクションがあります。実は、豊橋市もそのひとつでした。

■グレーゾーンが「広聴」を盛り上げる

豊橋市にも、「広報」以上に「広聴」に力を入れていこうという理念があるようです。しかし、人口が37万人以上もいる中核市にとって、広く一般市民の声が聞こえるようにしていくというのは、簡単なことではありません。

今回の名称変更の申し立てのように、プロや専門家の市民グループが意見や反論を上げるということは、比較的やりやすい社会になっていると思います。新聞も、ちゃんとそれを報じています。しかし、そこまでは行動できない一般市民のちょっとした思いや考えは、なかなか表面化されません。もしかすると、そこにもいろいろなヒントやアイディアがあるかもしれないし、単に賛成か反対かだけではなく、「こういう場合にはこうしてみては?」という新しい選択肢が含まれていることも考えられます。

ところが、広報官がマイクを向けて「では意見やアイディアをどうぞ」と言ったところで、市民からそれがパッと出てくるはずはありません。街中に目安箱を設けても、自分の意見がちゃんとまとまってなければ、なかなかそういうところには投書しづらい……。

僕は、市民の声を「広聴」するために必要なものは、日常的で気軽な「おしゃべりの空間」を再現することだと思っています。そして、それを可能にしてくれるのが、今回のJK広報室のJKたちではないかと期待しているのです。

彼女たちがまちに出て活動をすれば、世代を超えたいろいろな市民とたくさんの「おしゃべり」が生まれます。そこには、豊橋市やその事業への意見や考えなども、当然含まれているはずです。そしてそのやりとりは、分かりやすい日常的な言葉で行われます。でなければ、JKとの「おしゃべり」は成立しません。だからこそ、正面衝突喧嘩上等の言論バトルではなく、話しやすくて楽しいコミュニケーションが可能になります。

もちろん、そこでも事業や名称に対する批判的な意見はあると思います。なにせ、「JK」という名称は「言葉のグレーゾーン」であり、プロジェクトまだまだ未完成状態です。しかし、それがいいのです。「商品PR」という言葉も、完成した商品ではなく、あえて未完成で不完全な状態の商品を消費者に使ってもらい、そこからどんどん意見を聞いて良くしていこうという活動から生まれました。さらに、「未完成状態」に関わった消費者は、自分が一緒に育てたという想いが生まれ、その後熱烈なファンになることが多いようです。

これから、JK広報室のメンバーたちが、豊橋のまちなかでどのような新しい市民コミュニケーションを生みだし、どのような変化を起こしていくのか、楽しみでなりません。

(若新雄純=文)