ふだんは見せないけど大盤振る舞い、パンツチラチラ公式写真集
パンチラだけで2万人動員とは快挙である。
2015年2月に1週間開催された写真展「パンチラ2015」の公式写真集が、2万人動員の勢いに乗って発売された。
サブタイトルが「スカートの中は、宇宙である」という「パンチラ2015公式写真集」は、伝説と化した写真展に出品された、30名以上の参加者による写真やイラストによるさまざまなパンチラの記録だ。
カバーはなぜか腹チラ写真だが、めくると、表紙モデルであり、このプロジェクトの広報でもあるショートボブのナマダさんのチラ、チラ、チラ、チラ、チラ・・・が続く。わーい。頭のなかで、しょこたんでんぱ組 『PUNCH LINE!』が大音量で流れ出した。
太ももとおなかの肉付きが富士山の初雪冠みたいな嬉しさを呼び起こすコスプレーヤーのナマダさんは、ふだんはパンツを見せないひとだそうで、それがここでは大盤振る舞い。ああ、だから表紙だけは腹チラなのだろうか。
そのナマダさんの眼鏡バージョンの扉写真ではじまるインタビューで、世間の「パンチラ」愛を俯瞰したあとは、ひたすら30点ほどのパンチラ作品を堪能する構成。
夕暮れの川辺で女子同士のパンチラ撮影、コインランドリーで、ブランコから飛び降りる瞬間、緊縛、オン・ザ・Tシャツでうろうろ、階段の下から、カバンにスカートがひっかかって・・・。
本の宣伝文句には「『パンチラ』という祈りにも似た銀河系のテーマへの憧憬、羨望、煌き、希望、刹那その他を一枚の紙にこめた作品群」とある。テーマは「恥ずかしさ」で統一されているとはいえ、それでも無数のシチュエーションや感情が各自の「パンチラ」には存在し、男女差、年齢差などでも至福のパンチラの瞬間は違うのだなと1ページ、1ページ見入ってしまう。
作品の脇には、制作者の署名とプロフィール、Twitterのアカウントが入っている。アカウントはこの展示がTwitterで盛り上がったかららしいが、こういったデータが入ることで、「パンチラ」に挑んだ戦士たちに妙な尊敬と共感を覚えるのだった。
女の子たちは力を抜いて撮っている感じがするのに対して、男のひとのほうが、気負って集中力をこれでもかと高めている感じがするなあなんて分析してみようかとも思ったが、それ以上は思考を停止し、パンチラに集中することにした。
なぜなら、各々考え抜かれたシュチュエーションがあるにもかかわらず、ただ、1点、かすかな布片に吸い込まれてしまうのが、パンチラのすごいところだから。それもほぼ白というところで、まさにホワイトホールだ。
「パンチライン」とは落ちとか決め台詞とかいう意味の言葉で、「パンチラ」にもやっぱりそういう一点突破のものすごいパワーが満ち満ちている。
そんなに凄いのに、インタビューでナマダさんは「パンチラ」はアートとして捉えるよりも、「バカなことを一生懸命やるのが個人的に面白いだけなんですよ」とあっけらかんとしたもの。
やっぱり、高尚なものでなくて、童心という初々しさみたいなところに「パンチラ」の尊さがあるのかもしれない。
考えるな、感じろ。
大切なものが、その一点にある。
(木俣冬)
2015年2月に1週間開催された写真展「パンチラ2015」の公式写真集が、2万人動員の勢いに乗って発売された。
サブタイトルが「スカートの中は、宇宙である」という「パンチラ2015公式写真集」は、伝説と化した写真展に出品された、30名以上の参加者による写真やイラストによるさまざまなパンチラの記録だ。
カバーはなぜか腹チラ写真だが、めくると、表紙モデルであり、このプロジェクトの広報でもあるショートボブのナマダさんのチラ、チラ、チラ、チラ、チラ・・・が続く。わーい。頭のなかで、しょこたんでんぱ組 『PUNCH LINE!』が大音量で流れ出した。
だから表紙だけは腹チラなのか
太ももとおなかの肉付きが富士山の初雪冠みたいな嬉しさを呼び起こすコスプレーヤーのナマダさんは、ふだんはパンツを見せないひとだそうで、それがここでは大盤振る舞い。ああ、だから表紙だけは腹チラなのだろうか。
そのナマダさんの眼鏡バージョンの扉写真ではじまるインタビューで、世間の「パンチラ」愛を俯瞰したあとは、ひたすら30点ほどのパンチラ作品を堪能する構成。
夕暮れの川辺で女子同士のパンチラ撮影、コインランドリーで、ブランコから飛び降りる瞬間、緊縛、オン・ザ・Tシャツでうろうろ、階段の下から、カバンにスカートがひっかかって・・・。
本の宣伝文句には「『パンチラ』という祈りにも似た銀河系のテーマへの憧憬、羨望、煌き、希望、刹那その他を一枚の紙にこめた作品群」とある。テーマは「恥ずかしさ」で統一されているとはいえ、それでも無数のシチュエーションや感情が各自の「パンチラ」には存在し、男女差、年齢差などでも至福のパンチラの瞬間は違うのだなと1ページ、1ページ見入ってしまう。
作品の脇には、制作者の署名とプロフィール、Twitterのアカウントが入っている。アカウントはこの展示がTwitterで盛り上がったかららしいが、こういったデータが入ることで、「パンチラ」に挑んだ戦士たちに妙な尊敬と共感を覚えるのだった。
女の子たちは力を抜いて撮っている感じがするのに対して、男のひとのほうが、気負って集中力をこれでもかと高めている感じがするなあなんて分析してみようかとも思ったが、それ以上は思考を停止し、パンチラに集中することにした。
なぜなら、各々考え抜かれたシュチュエーションがあるにもかかわらず、ただ、1点、かすかな布片に吸い込まれてしまうのが、パンチラのすごいところだから。それもほぼ白というところで、まさにホワイトホールだ。
「パンチラ」の尊さ
「パンチライン」とは落ちとか決め台詞とかいう意味の言葉で、「パンチラ」にもやっぱりそういう一点突破のものすごいパワーが満ち満ちている。
そんなに凄いのに、インタビューでナマダさんは「パンチラ」はアートとして捉えるよりも、「バカなことを一生懸命やるのが個人的に面白いだけなんですよ」とあっけらかんとしたもの。
やっぱり、高尚なものでなくて、童心という初々しさみたいなところに「パンチラ」の尊さがあるのかもしれない。
考えるな、感じろ。
大切なものが、その一点にある。
(木俣冬)