立ち直りのきっかけを与えたのは、実は畑違いの人物だった。スポーツ紙の五輪担当記者が明かす。
 「ニースで行われた世界選手権の後、浅田は新横浜プリンスホテルスケートセンターを拠点とする佐藤信夫コーチのもとでジャンプの立て直しを図っていたのですが、跳べない原因が母を失ったメンタル面にもあり、上手くいかなかった。海外に新たなコーチを求めることも考えたようですが、バンクーバー五輪で銀メダルに終わったタラソワコーチとのコンビ失敗から、『日本語でコミュニケーションがとれない外国人コーチは無理』と、こちらもNG。そこで思いついたのが体操だった。浅田は姉の舞とともに、昨年の世界選手権で前人未到の個人3連覇を成し遂げた体操の内村航平のもとを訪ねた。体操は氷と床の違いがあってもスピード、ひねり、3回転技もあり共通点が多い。そのコツのようなことを教えてもらったようです。ダイエットについても内村選手は1日に1食主義。そこに大きなヒントを得たようで、交際がはじまったという話です」

 内村は8月のロンドン五輪で日本人選手では28年ぶりとなる個人総合の金メダルを獲得。浅田も「向上」をテーマに6月のハンガリー合宿、7月の日本代表合宿で本来のジャンプを取り戻し、2014年のソチ五輪(ロシア)に挑む決意をした。「裏コーチ」とでもいうべき、心の支えが出来たからだ。
 「中国杯のフリーは白鳥の湖で滑ったのですが、白白鳥(善玉)と黒白鳥(悪役)を見事に演じ分けていた。いつも思っていたのですが、安藤選手やキム・ヨナ選手にはいいセックスをしているな、という大人の色気を感じるのに、真央ちゃんにはこの部分が欠けていた。これまで付き合った相手は高橋、小塚崇彦といった連盟ご推奨の安全パイばかり。一方、1歳上の内村選手には日体大時代から交際していた彼女がいたのですが、ロンドン五輪を前にした7月頃に『体操に専念したい』との理由で突然別れたそうです。その原因が真央ちゃんにあるのではとの噂もあり、いまでも写真誌が執拗にマークしているそうです」(大手広告代理店社員)

 内村は11月4日に行われた全日本選手権に出場し、中国杯の浅田とダブルウィンを飾るはずだったが、右肩と右足首を痛め、個人種目を欠場。それでも団体戦の一部種目に出場したのは、上海で頑張る浅田へエールを送るためだったのか。
 「今回の浅田の衣装は、安藤美姫並みの切れ込みハイレグにしました。演技中Tバック状態になるセクシーさです。私生活でもお色気下着を好んで穿いている。内村とはよほどいい関係なのでしょう」(連盟関係者)

 ソチ五輪に向けて心も体も好発射した。

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