■山形でのキャリアは、いったん幕引きとなる

11月13日、日曜日。午前10時からの全体練習が終わり、プレーが気になった選手に15分ほど個人指導をつけ、中井川茂敏GMと30分以上立ち話で情報交換し、メディアの囲み取材で15分話したあと、ようやくサポーターの前にたどり着いたのは午後1時過ぎ。長時間待たされてなお、帰らずに待ち続けた50人ほどのサポーターとていねいに言葉をかわしていった。

なかに顔なじみのサポーターは何人もいて、「おお、久しぶり」と小林監督のほうから声をかける光景もあった。洋梨のラ・フランスを差し入れに持参したサポーターとの会話では、自分を指差し、「用無し、用無し」と自虐ネタで笑わせた。会話が弾むなか、来るべきときを悟り、涙を流しながら話す人もいた。この日のファンサービスは約30分。最後の一人までていねいに対応するのは、けっして特別なことではない。飾らない人柄に、多くの人が引き込まれていった。

翌日の14日、クラブは小林監督と来シーズンの契約を結ばないことを公表した。08年の就任から4シーズン、J1と2度のJ1残留を果たし、大きな影響力を持つ存在となった小林監督だが、山形でのキャリアは今年でいったんの幕引きとなる。

■「お父さんみたいな人」

山形全県をホームタウンとするモンテディオは競合するJクラブや他のスポーツチームがなく、試合や関連イベントの様子は、NHKと民放の計5局がこぞって放送し、地元紙やスポーツ紙でも常に報道される存在だ。この4年間は、小林監督の親しみやすいパーソナリティが山形のお茶の間に浸透した時期でもあった。

毎年8月に行われる山形の一大イベント「山形花笠パレード」では見よう見まねで花笠踊りを踊ってみせ、雪が降ればスコップを手に練習場の雪かき作業を他のスタッフとともに行った。クラブ全体で取り組んだ棚田再生事業では、あるメディアから渡された「JA」マーク入りの帽子をためらうことなくかぶり、田植えにいそしんだ。スマートなカッコよさは感じさせないものの、どれも地元の人かと見まごうほどに馴染んでいる。それをテレビなどで目にした人たちとの距離をぐっと縮める、不思議な魅力があった。

秋葉勝は小林監督を「お父さんみたいな人」と評したが、チームが実績を積み上げていくたびに、「選手たちのお父さん」は「山形県民のお父さん」になっていき、その親しみやすさをとおしてモンテディオが全県に普及していった。

■モンテディオが『山形』を全国に発信するメディアに

山形がJ1にいる間、中井川GMの手腕もあり、選手の待遇改善や周辺の環境整備も加速した。選手がそれまで家に持ち帰り自分で洗濯していた練習着はチームが一括で洗濯することになった。表面が硬く怪我の温床となっていた練習場「第3運動広場」は土を入れ替えてられて良好な状態となり、隣接する土地にさらにもう一面コートが増えた。

手狭だったクラブハウスは増築され、選手・スタッフ全員がそろってのミーティングはすし詰め状態から解放された。遠征時の移動の負担は軽減され、宿泊先のランクも上がっている。チームが結果を残した分、待遇や環境がよくなり、それがサッカーに取り組むモチベーションアップにつながっていく。プラスのスパイラルがうまく組み込まれていった。

また、スタジアムに隣接する6000台収容の駐車場が舗装・整備されたり、地元天童には地区ごとに「モンテ応援隊」が組織されたり、地元・天童市や山形市の宿泊施設がホームゲームとタイアップで特典を提供するなど、サポート体制が強化された。J1昇格とともに始めた自家用車用の「リボンマグネット」は3年目でさらにその台数を増やし、クラブが社団法人である強みを生かした「応援募金」でも義援金の総額は数千万円単位に上っている等々、J1効果をハード・ソフト両面の充実に着実につなげていった。