フランス国籍だという、その18歳の少年は“イスマエル”と名乗った。つい先日、イタリアのアマチュア・リーグにあって、まあまあの強豪チーム「ヴェンティミリア」のユース・チームの入団テストを受けに来た。なかなか上手そうだったので、クラブ側は火曜日の夜にトップチームの練習へ参加させることにした。

 その夜、一通りの軽いアップをこなした後、ミニゲームが行われた。ゲーム中の接触プレーでイスマエルは転倒した。足首が痛むと言う。チームは彼を一時ロッカールームへ下がらせた。

 5分たった。戻らない。
 10分たった。戻らない。
 15分たった。あいつ、かなり痛めたんだな。
 ミニゲームは白熱し、やがて誰もが彼のことを忘れた。

 ミニゲームが終わり、ロッカールームへ全員が引き上げてくると、イスマエルはいなかった。全員分の携帯も、財布もなかった。ついでに駐車場に停めてあった車のうち、最も高価だったゴルフGTもなかった。

 監督以下、全員が呆気に取られながら、数日前にTVで放映された、1本の古い映画を思い出した。スタローン、ペレ、ボビー・ムーアらが競演した『勝利への脱出』(1980年/米)だ。スタローンらは、サッカーの親善試合を利用して、ナチス収容所からの脱出を図り、混乱に乗じて見事成功する。
 高速道路A10にのって、まんまと逃げた“イスマエル”の行方は今もわからない。