彼らのような選手が加われば戦力アップにはなるのだが…
 最近、五輪代表に早くオーバーエイジ(OA)の選手を合流させろ、という声が目立つ。そんな世論に背中を押されるように「あくまで幹はU−23の選手で」と語っていた反町監督も、OA枠の使用を示唆した。

 確かに日本の現有戦力を総ざらいすれば、今の五輪用チームに加えて役に立ちそうな人材は何人か思い当たる。例えば闘莉王なら守備の要としてイニシアティブを取るだろうし、松井大輔なら攻撃にアクセントをもたらし、中村俊輔をつれてくれば確実に得点力は増すだろう。
 だがまず考えなければいけないのは、五輪に出すことが彼らにとってプラスになるのか、ということだ。五輪の時期は、ちょうど欧州のシーズン開幕直前になる。せっかく現地でレギュラーの選手が、五輪のために抜ければ、確実に出遅れを招く。一方、ただでも故障がちな闘莉王が、過密日程の浦和と五輪チームを掛け持てば、どういう事態を招くかは容易に想像がつく。
 
 基本的に五輪は地域予選の段階で役割を終えている。欧州ならU−21選手権、アジアならU−22の対抗戦という図式になるわけだが、つまり年齢別としては最後の大会。本来ならU−23選手権が開催されて然るべきだが、最高レベルを求めるIOC(国際五輪委員会)の要請に対する折衷案として、FIFAがOA枠を用意した。この時点で選手権という意義は薄れ、中途半端な国際大会と化している。
 純粋なU−23選手権だったバルセロナ五輪での熱の入り方に比べれば、96年アトランタ大会以降はチームや選手ごとにモチベーションに差異が生じた。実際IOCの思惑通りに、ほとんどの国はOA枠を使用しているが、それがフル代表の強化に役立っているかと言えば、まったく疑わしい。
 
 アルゼンチンのOA候補としてリケルメ(ボカ・ジュニアーズ)やマスチェラーノ(リヴァプール)の名前が挙がっているが、今後フル代表でも主軸になりそうなマスチェラーノはともかく、今更リケルメを使って勝っても、得られるのはその場限りの充足感でしかない。むしろこうして、直前に華やかな有名選手が合流し即席チームを構成していく様は、夏のオールスターのようで、お祭り色が強い。
 
 何よりこうした舞台で結果を追求する意味が曖昧だ。なるほどメダルを獲れば、サッカー界の活性化には繋がる。日本は五輪が大好きな国民だけに、熱狂ムードに取り残されてしまうデメリットも無視はできないだろう。だが純粋にフル代表を強くするという究極の目的を最優先させるなら、日本の現状を鑑みても、OAを使って結果に固執するメリットは、あまり見当たらない。
 
 歴代の指揮官たちは「1つでも多く厳しい試合を経験させてあげたい」と繰り返してきたが、それが目的なら同等以上の経験ができている欧州組は呼ぶのはナンセンス。また逆算して次のW杯で主力になりそうだが、国際舞台での経験値が不足している選手がいるなら使ってみるのもいいが、いったいそういう素材がどれだけいるのだろうか。
 
 日本代表の岡田監督の目標は、2010年のW杯で世界を驚かせることだというし、日本協会も最低決勝トーナメント進出を目標に掲げている。それならまず見極めるべきなのは、OAとアンダーエイジの潜在能力の比較だろう。
 現在日本サッカー界は過渡期にある。いくら組織力を高めたところで、現有戦力のままでは2年後のW杯での目標達成は見えてこない。
 
 ましてOA枠の招集は現フル代表の主力以外が対象となるという。24歳以上でフル代表の主力になっていない選手を加えることで、23歳以下の可能性を削ることが、いかに愚かなことかは自明の理だ。(了)

加部究(かべ きわむ)
スポーツライター。ワールドカップは1986年大会から6大会連続して取材。近著に『サッカー移民』(双葉社刊)。
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