中庸である。

 適度に常識的で、適度に実験をして、適度に結果を出している。しかしこれで世界がアッと驚くことはない。世界に出たら、むしろ予想通りのチームという印象で終わるだろう。

 言うまでもなく、岡田新体制の話である。

 そもそも一番驚いたのは、岡田監督が「世界を驚かせる」と言い出したことだった。

 世界を驚かせる監督というのは、もっと強烈な個性をサッカーに込めてくる。例えば、最近世界を驚かせたと言えば、ヒディンク、モウリーニョ、サッキ……、良くも悪くも就任した途端に前任者とは明らかに異なる方法論を提示している。あるいは、本気で驚かそうと考える監督も、なかなか中庸ではいられないものだ。日本代表の歴史を見ても、トルシエ、ジーコ、オシムと、いずれもそれまでの流れを寸断し、自分のアイデアを盛り込んだ。

 岡田監督も最初のチリ戦では、大木甲府色が滲み出たが、その後バランスを修正していくうちに、可もなく不可もなくに落ち着いてきた。裏返せば、それは日本サッカーが成熟した証とも言える。今の日本サッカーのレベルなら、いきなり選手を集めて試合をしても、この程度のパフォーマンスは可能。基本技術の平均値が上がり、こちらも良くも悪くもだが、全国的に常識が共有されている。
 
 むしろトルシエやオシムに比べ、岡田監督が就任してからの6試合には明確な違いが見える。それは誰が出ているかによる違いで、そういう意味では、どちらかというとジーコ寄りと見ることもできる。ジーコも集まった素材次第で戦い方が変わったが、岡田監督にはもう少し判り易い根拠があるということだろうか。

 しかし違いを生み出すのが人だとしたら、それこそアッと驚かせられるのも人を揃えられるワールドカップ等に限られる。ただし今度は、それなら今のやり方で本当に揃えたい人をフィットさせられるのか、という問題が浮上してくる。それもあって新体制は、欧州組が招集可能な6月まで未知数なのだ。
 
 東アジア選手権は、効果的な実験もあれば、首を傾げざるを得ないものもあった。山瀬、内田は定着していくのだろうが、それでいてあと1点が欲しい終盤に、最大の得点源の山瀬を外しパワープレーの方を信頼する不可思議な采配もあった。ポジティブな新発見としては、田代の1トップ、安田のサイドアタック。だがそれもまだバックアップのバリュエーションが広がったという程度の収穫でしかない。所属クラブでサイドバックの安田を2列目でしか使えないと判断するなら、逆になぜ招集するのかという疑問もある。そして加地の左起用は、メリットが見えてこない。
 
 しかし一方で非常に制約の多かった事情を考えれば、特にどん底の北朝鮮戦から中国戦への修正などは秀逸だった。あまり結果は気にしても仕方のない大会だが、田代のゴールがミスジャッジで取り消されなければ優勝していたわけである。要するに限られた戦力だったり、追い込まれた状態だったりすると、まずまず感心する作品をまとめ上げてくることを思えば、逆境の人、言い方を変えれば冷蔵庫の中身を見て、さっと何品か美味い物を作ってしまう料理上手な主婦タイプなのかもしれない。

 もちろん優秀な主婦も、高級シェフに変貌する可能性がないわけではない。だが主婦とシェフでは、似ているようでやはり違いがある。シェフには高級な食材を見極める眼力と、それを最適に調理するビジョン、技術、カリスマがある。つまりそれが世界を驚かせるための資質なのだという気もする。(了)

加部究(かべ きわむ)
スポーツライター。ワールドカップは1986年大会から6大会連続して取材。近著に『サッカー移民』(双葉社刊)。