世界有数のものづくり大国、日本。その成長の歴史は、機械を作る機械である「工作機械」をリードしてきたファナックを抜きに語れない。同社はiPhoneの筐体を作る工作機械をはじめ、ロボット市場で8割の世界シェアをもつ。アメリカの当局も認めたその技術戦略とは――。

※本稿は、柴田友厚『日本のものづくりを支えた ファナックとインテルの戦略』(光文社新書)の第1章「世界最強の裏方産業はどのようにして生まれたのか」の一部を再編集したものです。

産業用ロボット大手ファナックの中央テクニカルセンターを視察する安倍晋三首相(右から3人目)とインドのモディ首相(同2人目)=2018年10月28日、山梨県忍野村(写真=時事通信フォト)

■日本が誇る世界最強の産業は工作機械だった

日本で世界一の競争力を持つ産業は一体何だろうかと問われると、おそらく多くの日本人は自動車産業だと答えるのではないだろうか。確かに、日本における自動車産業の存在感はとても大きいものがあるが、国別生産高では多くの場合、米国の後塵を拝してきた。

あまり知られてはいないが、この四半世紀、一貫して世界最大の生産高を誇ってきた産業がある。それが工作機械産業だ。表1が示すように、日本の工作機械産業は1982年に米国とドイツを抜いて世界一の生産高に躍り出て以来、2008年のリーマンショックまで、なんと27年間にわたって世界一の生産高を守り続けた。

現在では、中国が日本とドイツを抜いて世界一の生産高を誇っている。これには理由がある。

リーマンショックが起こると、世界の主要各国は、需要減少に対応するために大規模な財政出動や金融緩和に踏み切った。その中で特に中国政府は、4兆元(当時のレートで約60兆円)もの膨大な景気対策を打ち出し、世界の需要を下支えしたのだ。

その旺盛な公共投資やインフラ開発に後押しされて、中国の工作機械の生産高は世界一となったのである。

しかし、技術力では先進国とまだ大きな開きがある。技術力の客観的評価は困難な側面があるために主観的評価にならざるをえないのだが、中国を始めとする新興国メーカーの工作機械と日米欧先進国の工作機械の間には技術水準にまだ大きな格差がある、というのが現場を知る経営者の共通した認識である。

その意味では、日本の工作機械産業は現在でも依然として世界最強といってもよいだろう。

27年間にわたって世界一の生産高を守り続けた産業はこれまでなかったし、これからも生まれないのではないだろうか。

■70年代から成長する国際競争力

また、輸出比率と輸入依存度の観点からも、日本の工作機械産業の国際競争力の向上を観察できる。表2は、日本の工作機械の輸出比率と輸入依存度の金額ベースの推移を示したものだ。輸出比率とは、生産高のうち、輸出高の比率を示している。一方、輸入依存度とは、内需のうち、輸入高の割合を示している。

表が示すように、日本の工作機械産業は、50年代は欧米から多くの工作機械を輸入する産業だった。特に55年頃の輸入依存度は、なんと5割を超えていた。しかし、70年代から80年代にかけて輸入依存度は低下してゆく。

輸入依存度の低下と相反するように急速に上昇していったのが、輸出比率である。特に90年代以降は、生産高の半分以上を輸出する産業へと変貌した。

表をよく見ると、2000年前後に輸入依存度が少し上昇していることに気づく。この頃は、日本の工作機械メーカーのアジア新興国への進出が加速していった時期だが、そこで生産された機械が国内に輸入され始めたことを示している。

このように日本の工作機械産業は、生産高および輸出入比率両方の観点からも、70年代後半から80年代にかけて、その多くを海外に輸出できるだけの技術力を持った産業へと発展し、国際競争力を高めてきたことがわかる。

ファナックの「産業革命以来最大」の技術革新

日本の工作機械産業が70年代以降次第にキャッチアップして、高い競争力を持つに至ったのには、もちろん様々な要因がある。いうまでもなく、工作機械メーカー自身のキャッチアップに向けた不断の努力は不可欠であった。

例えば、ライセンス契約を締結して、当時技術的に進んでいた米国の工作機械メーカーから熱心に技術導入を図ったり、先進的な工作機械のリバース・エンジニアリング(機械の構造を分解して技術情報を調査すること)にも熱心に取り組んだりした。また、自動車や家電等の優れたユーザー企業の存在も指摘されている。ユーザー企業からの高度な要請に応えようとすることで、技術は確かに磨かれるからだ。

しかし、その中で必ず言及しなければならないであろう最も重要な要因の一つは、CNC装置の工作機械への導入にいち早く成功したことである。工作機械産業において、それが産業革命以来最大の技術革新といわれている。

CNC装置は工作機械をコンピュータで自動制御する、頭脳部分であり司令塔のようなものである。CNC装置の開発を草創期からリードしたのは、富士通の社内新規事業として1956年に始まり、その後分社化して独立したファナックである。1972年に富士通本体から分離独立した際の社名は富士通ファナックだったが、その後1982年には社名をファナックに変更した。

ファナックはその創業初期にインテルと出会い、1975年にいち早くインテルのMPUを自社のCNC装置へ導入したが、それにより日本の工作機械の競争力を飛躍的に高めて顧客層を大きく拡張した。IBMがパソコンにインテルのMPUを初めて導入したのは1981年だったことを考えると、それがいかに早い先進的取り組みだったのかは容易に想像できるだろう。パソコン産業より、なんと6年も早くMPUを導入したのである。

■工作機械の技術がものづくりの水準を規定する

一国の工作機械産業の技術水準は、ものづくりの基盤技術を規定するといわれるが、これは具体的にはどういう意味だろうか。それは、工作機械の持つ母性原理と技術的収斂の2点によって説明できる。

生産される機械や部品の精度は、それを作り出す工作機械の精度によって決まる。つまり、作られる機械や部品は、それを作り出す工作機械の精度を超えることができない。これは、工作機械の「母性原理(copying principle)」と呼ばれる。それでは、このような工作機械はどのように作られるのだろうか。それを作るのも、また工作機械である。

ここでも再び母性原理が働く。つまり、精度が高い工作機械を作るためには、それ以上の精度を持った工作機械が必要になる。一国の工作機械産業の技術水準がものづくりの基盤技術を規定する一つの理由は、この母性原理にある。

もう一つの理由は、米国の技術史家ローゼンバーグが指摘した「技術的収斂(Technological convergence)装置」としての役割である。工作機械は「機械を作る機械」として、あらゆる産業のものづくりの現場で使われる。ということは、ある特定産業の特定用途を実現するために開発された工作機械の新しい技術や機能は、他産業でも使用されることでその性能や機能が他産業にまで波及するはずである。

すなわち、工作機械を経由して新しい技術が多くの産業に普及するのだ。そのために、多くの産業の技術水準が工作機械を経由してある一定範囲に収斂するというメカニズムが存在する。これが、技術的収斂という概念の意味である。

このように、工作機械は他産業にはない独自の役割と機能を持つことが明らかにされており、産業規模では計ることができない戦略的重要性を持つ。

■現在作られる工作機械のほとんどはNC装置付き

さて、このような特性を持つ工作機械には実に多種多様なものが存在する。工場内では様々な加工用途が生じるために、それに対応して様々な種類の工作機械が必要になるからだ。主要な工作機械として、旋盤(Lathes)、研削盤(Grinding machines)、そしてマシニングセンター(Machining center)などが知られている。表3は、2017年度の日本におけるNC(Numerical Control、数値制御)工作機械の機種別生産割合を表している。一口に工作機械といっても、実に様々な種類の機械が存在することがわかるだろう。

その中で、台数、金額ともに最大の機種はマシニングセンターで、工作機械全体の約4割を占めている。

マシニングセンターとは複数の刃物を自動交換できる装置を持ち、NC装置で読み込まれるプログラムに従って、穴あけや平面削りなど複数の異なる加工を1台で行う工作機械を指す。従来の工作機械が基本的に単一種類の加工を行っていたのに対して、複合加工を自動的に実現する機械であり、NC装置の出現によって誕生した。

次に多い機種はNC旋盤で、全体の約3割を占めていることがわかる。旋盤は円柱状の被切削物を回転させ、バイトと呼ばれる工具で切削加工をする工作機械である。現在の日本では、この二つの機種で全工作機械生産高の約8割程度を占めている。また、現在日本で生産される工作機械のほとんどは、NC装置が付いたNC工作機械である。

■NC工作機械産業を主導したファナック

1980年代は、日本の製造業の国際競争力が向上し、それに対する世界的な関心が高まった時期だった。ちょうどその頃、米国の産業競争力の回復を目的として、マサチューセッツ工科大学(MIT)を中心として産業生産性調査委員会が組織された。

その委員会の調査報告書『Made In America』では、日本の強い産業競争力の背景にあるいくつかの要因を挙げているが、NC(Numerical Control、数値制御)工作機械産業についても一定のスペースを割いてその特徴を記述している。

報告書はまず、NC工作機械産業の戦略的重要性について次のように述べている。

NCおよびNC工作機械は、自動車やエレクトロニクス、機械工業などに対して少量・多品種かつジャストインタイムで納入している業者に、フレキシブルなオートメーションをもたらした。

このようなNC装置の設計と製造を主導したのが、ファナックであった。日本の工作機械メーカーの多くは、NC装置の開発をファナックに完全に任せて、自らは工作機械それ自体の革新に注力することができた。つまり日本の場合、ファナックと工作機械メーカーとの間で分業が行われたのである。

■互換性を維持するとともに、規模の経済的メリットも

一方、米国の場合、日本のような分業体制ではなく、工作機械メーカーが自社でNC装置を開発した。今から振り返ると、この草創期の開発形態の違いこそが、後述するような大きな違いをもたらすことになった。しかし、黎明期は、まだそのような先のことまで見通すことはできなかった。日米の開発形態の違いに関して、報告書は次のようにいう。

柴田友厚『日本のものづくりを支えた ファナックとインテルの戦略』(光文社)

日本はNC工作機械のNCの設計と生産をファナック1社に絞った。この為、規模の経済的メリットが得られただけでなく、アメリカの工作機械ユーザを悩ませた互換性のなさという問題も回避できたのである。工作機械メーカーは自社でNCを開発する重荷から解放され、ファナックがエレクトロニクス分野にその全力を集中した為、ファナックと工作機械メーカーとの直接の競合も回避された。

私の調査では、日本がNC装置の開発を意図的にファナック1社に絞ったという事実は存在しない。産業用ロボットなど、メカトロニクス製品の製造を行うメーカーで知られる安川電機もNC装置の開発をしていたからである。より正確にいえば、ファナックが結果として主導する形になり、ファナックのNC装置が大きなシェアを占めたということだろう。その結果、日本の工作機械メーカーは確かに、規模の経済のメリットを享受できたし、互換性も維持することができた。

ここでいう工作機械ユーザーとは、工作機械を使用して自社製品を作る自動車メーカーや精密機器メーカーなどを指す。これらの工作機械ユーザーは、自社の加工条件に従ってNCプログラムを作成し、それを使ってNC工作機械を動かす。したがって工作機械ユーザーにとっては、一度作成したNCプログラムを他の機械でもできるだけ使用したいという要望は当然であろう。

だが、NC装置メーカーが違えば、NCプログラムの言語仕様や操作性が異なるために、他のNC工作機械で使えない可能性が出てくる。これが互換性の問題である。日本の場合、たとえ工作機械が違っても付加されるNC装置の多くはファナック製であったために、互換性の問題が顕在化しなかった。

他方、米国の場合、工作機械メーカーがそれぞれ独自のNC装置を作るために、工作機械ユーザーは互換性の欠如という問題に直面していたのである。それが、強力なNC工作機械産業を発展させるのに大きな障害になった、と報告書は指摘する。

ファナックは先端技術をいち早く取り入れた

さらにファナックの技術戦略について、調査結果は次のように報告している。

アメリカの制御機器メーカーとは異なり、ファナックは早くから先端的な半導体技術を採用し、コストに見合った設計を行って標準品を低コストで生産した。

ここでいう先端的な半導体技術とは、半導体技術を使った記憶素子である半導体メモリやインテルのMPUを指す。これらの先端技術をファナックは積極的に取り入れたのに対して、米国のメーカーはそうではなかったと指摘する。

さらに報告書は、標準化を積極的に図ったことでコストを下げることができたという、ファナックの製品戦略の特徴を明らかにしている。

米国の産業生産性調査委員会では、産業競争力における工作機械産業の重要性と、その中で果たしたファナックの役割について、明確に認識していたことがわかる。

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柴田 友厚(しばた・ともあつ)
東北大学大学院経済学研究科教授
1959年生まれ、京都大学理学部卒業。ファナック株式会社、笹川平和財団、香川大学大学院教授を経て2011年4月から現職。「イノベーションと変化のマネジメント」を研究分野とし、大学でイノベーション論や企業論の授業を担当する。著書に、『イノベーションの法則性』(中央経済社)、『日本企業のすり合わせ能力』(NTT出版)など。

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(東北大学大学院経済学研究科教授 柴田 友厚 写真=時事通信フォト)