1月20日、アメリカではドナルド・トランプが大統領に就任している。これは「世界の潮流」に力を得た結果ともいえるだろう。

 21世紀初頭、世界はボーダーレスし化し、グローバリズムに向かって突き進んできたが、その猛烈な流れは収束しつつある。代わって勢力を増しているのがナショナリズム、ローカリズム。それはともすれば、内向きの政治転換へとつながる。

 ヨーロッパ各国ではかつてないほど右派が台頭。ポピュリズムにローカリズムが歪(いびつ)に結びついている。スコットランドはイギリスからの独立で国民投票を行ない、僅差で反対派が上回ったが、一方でそのイギリスは国民投票を行ない、EUからの離脱を決めた。皮肉にもボーダーレス化が、人々にボーダーを認識づけることになっているのだ。

 2016年12月28日、ビルバオ(スペイン)。バスク代表はFIFAランキング35位のチュニジア代表(ちなみに日本は45位)と対戦し、3−1で勝利を収めている。スペイン代表のアリツ・アドゥリス、ミケル・オジャルサバルらが得点を決め、大いに気勢を上げた。

「なぜスペイン代表選手なのにバスク代表に?」

 この矛盾に、世界の流れの断片が見える。バスク代表はFIFA非公式のチーム。バスクはあくまでスペインの自治州のひとつであって、国としては認められていない。複合民族国家であるスペインは、国内にも"国境"が存在するのだ。

 スペインでは国民的娯楽であるフットボールに、イデオロギーが色濃く投影されている。それにより、リーガエスパニョーラは他の国にはない熱狂の渦を生み出すのだろう。例えばバルセロナはカタルーニャ人、アスレティック・ビルバオやレアル・ソシエダはバスク人、デポルティボ・ラコルーニャやセルタはガリシア人という言語も文化も異なる地域の想いを背負い、リーグを戦っている。

 リーガの存在は、「民族主義を安定させるひとつの均衡」でもあった。

 しかしナショナリズムに触発されたローカリズムの波は、スペインでも半ば暴発しつつある。

 2014年11月、カタルーニャ地方は「スペインからの独立を問う」住民投票に踏み切り、過半数(約80%)がイエスの票を投じている。これに対してスペインの憲法裁判所は「主権に関する住民投票ができるのは中央政府のみ。従って違憲」とし、決定を一切認めていない。しかし、カタルーニャ自治政府は法整備を行ない、今年、あらためて分離独立投票をする予定だと言われる。

 万が一、独立した場合は、バルサがリーガから消えることになるだろう。なぜなら特例を除いて、ひとつの国のクラブチームが異国のリーグに参加することは認められていないからだ。

 もしカタルーニャが独立したら、カタルーニャ国内リーグを戦うことを余儀なくされ、バルサも自動的にそこへ所属する。それはリーガにとっても、バルサにとっても、メリットのある話ではない。クラシコのようなドル箱マッチが消失し、バルサも平凡なチームを相手に週末の試合を戦うことになる。

 感情の着地点を見つけるとしたら、やはり代表チームの編成があり得るのかもしれない。

 カタルーニャやバスクは、これまでも代表チームを編成し、国際大会を戦うことを求めてきた。これは独立せずとも、実現不可能ではない。事実、イギリスにおけるウェールズ、スコットランド、北アイルランドは、ワールドカップやユーロを戦っている。

 啓蒙活動の一環として、バスク代表、カタルーニャ代表は主に年末に代表戦をマッチメイク。どちらもW杯に出場するような国と戦い、互角以上の戦績を残している。

 カタルーニャはジェラール・ピケ、ジョルディ・アルバ、ブスケッツ、セルジ・ロベルト(いずれもバルサ)、セスク・ファブレガス(チェルシー)、マルク・バルトラ(ドルトムント)、ジェラール・デウロフェウ(エバートン)など、バルサ育ちの選手だけで、豪華な陣容になる。いずれもスペイン代表歴を持っており、他にもレアル・マドリードのキコ・カシージャ、アーセナルのエクトル・ベジェリンなど有力選手は少なくない。

 昨年、そのカタルーニャ代表を破ったバスク代表にしても、ワールドカップに出ればベスト8も狙える陣容だろう。アスレティック・ビルバオの点取り屋アドゥリス、レアル・ソシエダの新星オジャルサバル、さらに欧州有力クラブに在籍するハビ・マルティネス、シャビ・アロンソ(ともにバイエルン)、セサル・アスピリクエタ(チェルシー)、ナチョ・モンレアル(アーセナル)、アンデル・エレーラ(マンチェスター・ユナイテッド)と実力派の面子がそろう。

 ちなみにSportivaの日本代表リポートでもおなじみのミケル・エチャリは、バスク代表監督を務める。最近はボリビア、ペルーも下すなど、6試合負けなしの記録を更新している。

 もっともスペインのサッカー関係者は、代表編成についても急激な変化は望んでいない。なぜなら、それが必ず軋轢(あつれき)を生むことを歴史的に知っているからだ。時間をかけ、然るべきときがきたら――。

 フットボールまでが世界の流れに翻弄されることは、なんとしても避けなければならない。

小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki