『TOKYOHEAD RE:MASTERED』大塚ギチ/bootleg! books
舞台はグローブ座で、3月23日まで上演中

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開幕から30分くらいして、空気が変わった。
舞台上で、俳優たちがガチでバーチャ対戦をはじめたのだ。
「TOKYO HEAD 〜トウキョウヘッド〜」 は、90年代半ば。ブームになったセガの3DCG対戦格闘ゲーム・バーチャファイターに青春を賭けた男たちのドキュメンタリー「TOKYOHEAD:REMASTERED」(大塚ギチ著)の舞台化。
バーチャファイターは94年にアーケードゲームとして登場、リアルな格闘技とシンプルな操作性が受けて人気を獲得、ハマった人達(主に男子)による勝ち抜き大会が行われ、95年にはブームが沸騰した。その熱狂の様を当時新人ライターだった大塚ギチが密着取材してノンフィクションとして発表した。
西新宿のゲームセンターSPOT 21に通い詰める新宿ジャッキー(菅原永二)、池袋サラ(石田明)、ブンブン丸(尾上寛之)、柏ジェフリー(吉沢亮)・・・などという通り名をもったおそろしくキャラ立ちした人たちはただひたすらバーチャをやり続け、お金も人生もなげうってしまう。という話がメインなので、ほとんどゲームセンターの中で芝居が進行する。舞台上にはホンモノのバーチャの筐体が置かれ、上手の上部のスクリーンにキャラが闘っているモニター画面が映し出される。
背中合わせの筐体に向かって座った達人たちがモニターを凝視しながらスティックとボタンを操作している様子がホントかウソ(芝居)か、観客の中には半信半疑だった人もいるだろう。私はあらかじめガチでやることがあると聞いていたので、あ、はじまったと身を乗り出した。
俳優の目つきも、スティックを操る手つきもボタンを押す指も呼吸も、勝って嬉しかったり負けて悔しかったりのリアクションもマジだ。
と言うと、対戦になるまでの芝居がウソっぽいみたいで、俳優たちには申し訳ないが、どんなにうまく演じていても、段取りが決まったものと決まってないものの差はなかなか埋められない(そこを埋めようと努めるのが俳優の使命でもある)。
だからこの舞台は、単にバーチャファイター全盛期の記録を舞台化しただけではなく、演劇というウソに堂々と向き合った意欲的な作品だった。
大塚の原作を脚本化し、演出まで手がけたのは劇団ヨーロッパ企画の上田誠。
彼は本に書かれた事実をベースにしながら、取材者である大塚(劇中ではオーツカ/亀島一徳)を登場させ、他にも結婚を間近に控えていたにもかかわらずバーチャのせいで破局した恋人たち(今井隆文、村川絵梨)というオリジナルキャラを作った。
物語のクライマックスでは、彼らがそのまま別れてしまうか、それとも元さやに戻るか、人生の選択をバーチャ対決に委ねる。
この対決もガチで、つまり、彼女が勝った場合と負けた場合の2通りの結末が用意されているのだ。
初日は、この運命の対決のはじまりでいきなりマシーンの調子が悪くなり、いったんストップがかかってしまった。店員 (酒井善史)が筐体を修理してゲーム再開。さすがにこの流れは、台本? ホントのこと? と迷ったが、アフタートークで、本当に故障したと明かしていた。そりゃあヒヤヒヤものだっただろう。店員役の酒井は、こんなときのために、筐体修理の稽古を、芝居の稽古の時間にやっていたそうだ。舞台上で冷静に対処した酒井、GJである。
ゲーマー役の俳優たちは、稽古中、バーチャの稽古を半分くらいやっていたそうで、どうりで、レバーを独特の持ち方とさばき方でコンコンコーンッ! と動かす快感が伝わってくる。たぶん、バーチャやったことのある人は、舞台上の俳優の動きと共鳴していたに違いない。当時、私は、舞台のオリジナル女子キャラ・トーコと同じくパイを使っていて負けっぱなしだった。当時つきあっていた男子がバーチャにハマっていて(カゲ使い)、夜な夜なゲーセンについていき、「トウキョウヘッド」のファーストエディションを読んだのもその男子のススメでした(遠い目)。
それはさておき、バーチャ世代ではない俳優たちに技を教えたのはバーチャの達人たち。俳優たちはそれを「殺陣をつけてもらった」と言っていた。
結果がわからない対決の様子を、他のみんなが見てわいわい楽しんでいるグルーヴ感もいい(集団の空気をつくりあげるのは上田の得意技)。
時折、モニターに映る当時の映像の中の人たちは、演劇以上にキャラが立っていて言動に突拍子がなく眼が離せない。一般市民が続々登場するフェイクドキュメンタリー「山田孝之の東京都北区赤羽」と近い感覚か。

あともうひとつ、俳優の動きをモーションキャプチャーの技術を応用して取り込んでCGキャラクターを動かすリアルタイムCG再生システム・DL-EDGE(R)が使用されたシーンも興味深かった。華奢なイケメン吉沢亮のアクションに合わせて、いかついジェフリーが動くのが違和感含めて面白い。ジェフリーがかわいく見えたり、吉沢がたくましく見えたり、各々の個性が重なり合い混じり合っていくような不思議体験。

それにしても、世紀末を前に90年代半ばってまだ熱かったんだなあ。ゲーセンに集う人々や思いを語る人々に、6、70年代の市民運動の余熱は、90年代、ゲームセンターにあったのではないかとすら思ってしまった。
すると、大塚ギチが著書の冒頭で寺山修司を引用している意味も、なんとなく説明がつくような。上田、新宿と全く関係ない、京都の人なのに、新宿の地面の中にまるで立ったまま眠っているような熱い血を感知しちゃったのか。
バーチャが青春だった人はもちろん、演劇に一家言ある人も見てほしい。3月
23日まで!(木俣冬)