幽霊が出ると言われる江田島だが……

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 広島県・江田島――。旧帝国海軍兵学校があったこの地は、米国・アナポリス、英国・ダートマスと並ぶ3大海軍兵学校として、また海軍将校養成の地として戦前は言うに及ばず今に至るまで知られている。

 現在も、この“江田島”は、海上自衛隊幹部候補生学校などのキャンパスとして、防衛大学校出身者など現代の日本海軍将校である幹部海上自衛官を育んでいる。

ずぶ濡れの特攻隊員の幽霊が深夜酒盛りしている

 さて、旧海軍兵学校時代の設備をそのまま用いている海自の江田島キャンパスでは、日露戦争、太平洋戦争で活躍した英雄・東郷平八郎元帥や山本五十六元帥の遺髪など旧帝国海軍の将星縁の品が展示されている。

 こうした展示物は、現代の自衛官たちにとっても「震えがくるほど緊張する」(海幕勤務の1等海佐)という。やはり戦前の旧軍人の存在は現代の幹部自衛官にとっても特別なもののようだ。

 このような背景もあり、ここ江田島では、旧軍人たちの展示物を置く教育参考館の周辺に、「旧軍人の幽霊が出る」(前出・1等海佐)という噂が絶えない。1等海佐は、自身が幹部候補生として学んでいた約25年前を振り返りこう話す。

「“赤レンガ”と呼ばれる旧海軍兵学校の校舎をそのまま用いたそこでは、深夜、ずぶ濡れの旧海軍兵学校生徒が泣いていたとか……。旧軍艦『明石』マストでは骸骨が手旗を振っていた、それから、教育参考館横に展示されている太平洋戦争開戦時、ハワイ真珠湾で突入した特殊潜航艇近くでは、旧軍の乗員らしき一群が酒盛りをしていたとか。その手の話は尽きません」

 事実、旧海軍兵学校の施設を用いている海自・江田島キャンパスは他の自衛隊基地とは異なり、戦前の旧海軍時代から時間が止まっているかのような空気が漂っている。

「学生たちの朝の行進、総短艇と呼ばれるボート競走など、行なっている教育は戦前の旧海軍兵学校のそれとほとんど違いがないからでしょう。防衛大出身者は1年、この江田島で学びますが、ここのよくいえば澄んだ空気、悪くいえば時が止まったかび臭さから、防衛大出身者でもここ江田島から逃げ出す者もいる始末です」(前出・1等海佐)

戦艦・陸奥の砲塔から旧軍人の声が聞こえた!

 海自江田島キャンパスでの幽霊目撃談は、旧軍人や特攻隊員の姿を見たというものの他、日常では考えられない出来事を経験したというそれも数多い。

 たとえば、この江田島には戦艦「陸奥」の砲塔が旧海軍兵学校時代から“教材”として置かれているが、この砲塔内に深夜、こっそり入ると、「敵艦まで目標○○メートル」という号令が聞こえたとか、同じくキャンパス内に設置されている駆逐艦「梨」の魚雷発射管や高角砲近くでは聞こえる筈のないモールス信号音が聞こえてくるといった話も耳にする。

「駆逐艦『梨』は、太平洋戦争終戦直前、米軍の攻撃で沈められた艦です。戦後、鋼材の廃物利用目的で引き上げられたのですが、調査すると10年近く海中にあったにもかかわらずエンジンの調子が良好であったことから、修理改装して海上自衛隊に警備艦(護衛艦)として編入された艦です。就役時は旧軍人の幽霊が便所に座っていたとか、そんな噂が耐えなかったと大先輩からは聞いています」(同)

 今でも、海自幹部候補生学校の便所では深夜、旧軍人が用足ししている姿が目撃されたり、階段で旧海軍兵学校生徒が、「4号(1年生)、待て〜。トロトロ走るな!」と怒鳴る声が聞こえることがあるという。

 旧軍の施設を活用した自衛隊部隊は、この江田島以外にもいくつかある。だが、この江田島ほど、旧軍人の幽霊が出るところは聞かない。それだけ海の武人にとって江田島という地は死してなお重い土地といったところか。

(取材・文/川村洋 Photo by *Yaco* via Flickr)