昭和一学園vs八千代松陰
交流試合が行われた八千代松陰グラウンド
1980(昭和55)年春に、創部2年目で甲子園出場を果たして話題になった八千代松陰。その後、98年夏にも多田野数人投手を擁して、出場を果たしている。近年は、県内では他校の躍進もあって、苦戦も続いているが、いわば新興勢力躍進の先駆として活躍した実績があり、その歴史を継承している。そして、その多田野投手とバッテリーを組んでいたのが現在の大木陽介監督で、就任3年目となるところである。いわゆる、松坂世代でもある。
八千代松陰は京成勝田台駅から、まさに首都圏のベッドタウンと呼ばれて久しい村上団地へ向かってバスで15分ほどのところにある。すぐ隣には、黄色地のユニフォームでも注目されている聖書学園千葉英和もある。いわば、文教地区と言ってもいいところにあるのだが、キャンパスも広く、高校駅伝の強豪の陸上部は400mトラックがあり、それとは別にラグビー部とサッカー部の専用蔵運ともキャンパス内にある。
野球部も両翼100mで中堅120mという専用球場を所有している。ネット裏の土手の上にあるブルペンも同時に6人が投げられるという広さである。電光のスコアボードは、創設に尽力した初代監督で、その後同校校長にも就任した山下章監督の名を冠して「YAMASHITA BALLPARK」と記されている。県内でもトップクラスの施設といって間違いないだろう。
一方、昭和一学園は、立川市にある私立の総合学園だ。元々は、昭和第一工業学校として1940(昭和15)年に機械科、航空機科など技術系の学校だったが、昭和第一産業などを経て47年の学制改革後に昭和第二高校となって、さらに学校法人昭和第一学園が母体となり昭和第一工として、工業系の私立校としての位置づけだった。
昭和一学園ナインやがて普通科を再設置して、89年から現校名となった。野球部も、近年は中堅校として躍進しようとしているが、この夏までは、現在はコーチを務めている多田倫明監督を引き継いで、この秋より、社会人野球監督経験もある田中善則監督を迎えた。
田中監督は、法政一(現法政大高)時代の84年春夏と2年生ながら三塁手として甲子園出場を果たしている。その後、法政大に進み東京六大学でプレーし、社会人野球で当時躍進著しかったシダックス入り。都市対抗野球にも出場し、野村克也監督の後を受けて、監督にも就任した。また、その後チームが休部すると、シダックスがメインとなって音頭をとっていた中学生を対象としたKボール連盟の事務局長も務めていた。そんな経験を基に、質の高い野球を選手たちに伝えようとしている。
「自分も経験がありますけれども、高校生というのは、何かの拍子ですごく伸びることがあります。それだけ可能性があるということだと思います。それは、ある程度完成されている社会人とは全く違うと思いますね」と、高校野球の現場に対して意欲的な田中監督である。ただ、その一方で、「今の子はおとなしいですよね。良い子すぎちゃって、向かってくるというか、そういうところはないんですよ」と、現場に立ってみて自分たちの時代との違いも感じているようだ。
八千代松陰と昭和一学園との縁は、大木監督と千葉県の志学館出身でもある多田コーチとが同級生という縁で、ここ何年か毎年試合を組んでいるという。
八千代松陰ベンチこの日の試合は、2試合とも終盤にもつれる展開で、2対2の同点から、8回にミスで2点を失ってしまった八千代松陰が安海君の左翼への代打本塁打で勢いづき、さらにいくらか動揺した齋藤純君からさらに2四球を選び、榎本君のタイムリーで同点とするという粘りを見せた。
しかし、その裏昭和一学園が、一死から失策の走者を生かし、犠打失策に四球などで満塁として、最後は三塁を強襲する一打で昭和一学園がサヨナラ勝ちした。
投手は八千代松陰は志治君は、ボールの引っ掛かりが具合がいい感じでスライダーのキレもよかった。昭和一学園は右の嶋田君と、状態を見て左の齋藤純君への継投というのを予定していたが、6回からリリーフした齋藤君は走者が出ていないときは、ポンポンと自分のリズムで投げ込んできていてリズミカルだった。走者を出した時の投球を工夫していかれれば、さらに面白い存在となっていくのではないだろうか。
2試合目も、似たような展開で2対2のまま8回となったが、この試合では4番に入っていた安海君の安打からチャンスを作った八千代松陰が失策と暴投などもあって3点を奪って試合を決めた。
改めて、失策が得点に絡んでいくことは非常に多いということを再認識していくのには、格好の反省材料となる試合展開だったのではないだろうか。ことに、落球した後に、慌てて送球することで、それが悪送球になって傷口を広げてしまうというケースもあった。それが失点につながっていったということで、ミスの後のプレーのがいかに大事なのかということを改めて、学習することになったはずである。
(文=手束 仁)