1回戦屈指の好カード、横浜隼人がサヨナラで横浜商大高を下す

 全国一の大会参加校数を誇る神奈川大会。当然全国屈指の激戦区でもあるのだが、そんな中で、2000年以降を見てみても、その頂点に立ち甲子園へ届いた学校というのは限られている。ところが、数ある中からそんな二校がいきなり対戦することになった。組み合わせが決まった時から、大会序盤の最高のカードと話題にもなった。

 横浜商大高は03年に、横浜隼人は09年に甲子園出場を果たしている。そんな両校だが、春季大会は早めに敗退したことで、ともにノーシードとなり、初戦での対決が実現してしまったのだ。

 この日は全校応援となった横浜隼人は、約1800人の全校生徒が詰めかけて三塁側内野スタンドだけでは入り切れず、レフトスタンドにまで溢れ出していた。横浜商大高の一塁側スタンドも、ほとんど立錐の余地もない入りになっており、1回戦ながら準々決勝くらいの雰囲気に包まれていた。

 そんな緊張感の中での試合は、横浜商大高が初回死球と2番荒井君の左翼線二塁打でいきなり二三塁。続く秋野君の左前打で先制。さらに一三塁という場面で、4〜6〜3の併殺の間に三塁走者が帰って、横浜商大高が2点を先取した。もっとも、横浜隼人としては走者がいなくなったことで、切り替えはしやすかったのではないだろうか。

 2点を追いかける形になった横浜隼人は、3回に8番百合野君の右中間二塁打と伴君の左前打で一三塁とすると、1番川島君の内野ゴロの間に三塁走者が帰り1点を帰した。さらに、4回には振り逃げで出た深野君をおいて、6番手塚君が自校応援団の見守るレフトスタンドの上にまで飛ぶ大本塁打で逆転した。

 もっとも、これでそのまま試合が治まっていくとは思えなかった。しかし、ここからは横浜隼人の左腕橋本 龍太君と、横浜商大高の続木 悠登君との投げ合いという展開になっていった。

 橋本君は、決してスピードがあるというものではないが、丁寧にコーナーを突いていきながら、終始自分のリズムを大事にしていた。5回には先頭の渡部君に二塁打されたものの、丁寧に攻めてその後をきっちりと抑えていた。

 また、続木君は強気に打者の内側を攻めてきており、文字通り攻めの投球と言う姿勢を崩していなかった。

 次の1点がどう入るのかも見どころとなったが8回、横浜商大高は2死から3番秋野君が中前打すると、続く永原君が中越二塁打を放って同点とした。橋本君としては2ストライク1ボールと追いこんでいたところだったのだが、ちょっと投げ急いだのだろうか。そこをさすがに4番永原君は見逃さずにきっちりと打った。

 これで試合は振り出しに戻ってしまったのだが、8回の横浜隼人は1死から深野君、手塚 渓登君の連打で1死一二塁と好機を作りかけたのだが、ここは続木君が踏ん張って、三振、中飛と抑えきった。こうなると、延長戦も視野に入れながらの戦いとなっていく。

 9回の横浜商大高はあっさりと3者凡退となり、その裏の横浜隼人は、1死後川島君に中前打が出ると、早川君も左前打で続いて一二塁とする。ここで、本来ならば注目の好打者宗 佑磨君というところだったのだが、以前から痛めていたヒザの故障ということもあってこの日は早めに退いていたこともあって、代打の大塚君を起用したが凡退。2死一二塁となって、4番藤澤君だったが、ボールカウント2ボール2ストライクから、外角低めボール気味の球を捉えると、打球は一二塁間を抜いていった。早めにスタートを切っていた二塁走者が帰って、横浜隼人は劇的なサヨナラ勝ちとなった。

 序盤の大一番を制した横浜隼人。いつも熱い水谷哲也監督だが、あまりにもの劇的な勝利に目を潤ませ素直に喜びを表していた。

秋の大会、春の大会と、比較的早い段階で負けた横浜隼人。例年に比べ大会での経験値は少ないが、今日のような満員のものすごい雰囲気の中で、勝てたことで間違いなく経験値が上がったといえるだろう。今後の戦い方に間違いなく変化をもたらす一戦となった。

 そんな横浜隼人、影の勝因の一つには『ひたむきな』バックアップの姿勢があったことも忘れてはいけない。ミスが出た時に備えての次の動きとしてのバックアップ。それを怠らなかったことで、傷口を広げなくて済んだという場面もあった。『ひたむきさ』こそが、横浜隼人の野球でもあるのだ。

 そういえば、5年前に横浜隼人が初出場を果たした時にも、1回戦は大苦戦の末にこの人々4対3のサヨナラ勝ちだった。2度目の悲願へ、何となく暗示的でもある。

(文=手束 仁)