NY Timesが「Huffingtonリブログ」に負ける理由
先日AOLに巨額で買収(日本語版記事)されて話題を呼んだ『Huffington Post』は、『The New York Times』(NYT)等の記事をもとにしてブログ記事を書いているが、その「リブログ」記事の人気は元の記事よりはるかに高い。その実例を見てみよう。
左側がNYT、右側がNYT記事を「リブログ」したHuffington Post
NYTの記事(2月8日のスクープ)には93件のコメントが寄せられているが、『Huffington Post』(HuffPo)の「リブログ」記事への反応はその比ではない。記事執筆時点[2月9日]で、『Facebook』ではコメントが2088件、「いいね」評価が1392件、共有340件、つぶやき89件、電子メール52通となっている。
HuffPoでは、これらの反応は記事のトップに、カラフルな色のボックスで見やすく掲示されている。一方、NYTの記事はこうした反応の数を掲示していない。コメントの数は見ることができるが、内容審査中のコメントについては不明だ。
NYTではおそらく、1つの広告について、ページビューあたりの広告収入はHuffPoより高いだろう。しかしHuffPoのほうがページビューが多く、広告も多いのは明白だ。そしてHuffPoは、オリジナルの記事を書いたNYTのBill Carter氏とBrian Stelter氏に対する、高い原稿料は支払っていない。
NYTのページが図書館の中へ入っていくようなイメージであるのに対し、HuffPoのページは、タイムズ・スクエアをぶらぶらと散歩しているような印象を与える。HuffPoでは、サイト内のいたるところにある面白そうな記事へのリンクがたくさん用意されている。エジプト情勢、スーパーボウルの「ダースベイダー幼児」の広告(日本語版記事)、そして、Facebookの友人たちが読んでいる記事は何か、などだ。他記事へのリンクもたくさんあり、それぞれに写真が付いている。
これに比較すると、NYTの記事は「行き止まり」的な印象がある。この記事は「Media Decoder」というNYTのブログの一部だが、記事中にあるリンクのほとんどはこのブログ自体の記事だ。写真もほとんどなく、色使いもほとんど無い。
重要なのは、HuffPoのページは、正真正銘インタラクティブということだ。訪問すれば、必ずと言っていいくらい、クリックしたくなる何かが見つかる。いいね! コメント! ツイート! ここをクリック! 試してみて! ここを訪問! サイト・ナビゲーションはあるが、レイヤーはたった1つだ(リッチで複雑なページ構造なのだが)。
NYTのページはこれとは対照的で、『Media Decoder Blog』セクションから出るためには、たとえば「スポーツ」などの総合ナビゲーション・ボタンをクリックするか、サイトから完全に離れるしかない。
NYTに読者が支払う購読料は、本質的にはナビゲーション料だ。横の入り口はいつでも開いている。たとえばHuffPoの記事からNYTのウェブサイトへ行けば、該当記事を読むことができる。1ヵ月のうちにNYTの他の記事を何本読んでいるかには関係ない。
NYTによれば、訪問者の80%が、1ヵ月の購読料に見合うだけのページを読んでいない。彼らは、本当に購読する必要があるのかわからないことになる。読者はNYTに(NYTだけに限られた話ではないが)、特定の記事を読みにくる。そのセクションが何であるかには関心がないし、「元の報道と、それに基づくブログ記事の違い」にも関心はない――NYTは読者が、NYTで作成されているニュース世界だけを回遊するよう努力しているのだが。
有料化の壁が一度できてしまえば、購読者でない人々――NYTの読者の大多数――が1ヵ月あたりに見るページは、有料化以前より少なくなり、サイト全体のページビューが落ちて行くのは当然のことだ。
ニュース・メディアが抱える矛盾の1つに、それを利用するためにお金を払えば払うほど、ナビゲーションしにくくなることが多い、ということがある。HuffPoのようなサイトでは苦労せずに内部を動き回ることができるが、『Bloomberg』や『Westlaw』のようなサイトでは、正しい使用法を学ぶのに数週間から数ヵ月かかることがある。
NYTは、HuffPoのようなサイトの編集技術を積極的に学ぼうとせず、熱心なコア的読者たちからできるだけ多くの金を得ようという守りの姿勢になっている。そのことでNYTは、読者たちが、離れることのない熱心な読者になることを、困難で費用のかかることにしている。一方、オープンなウェブは、よりアクセスしやすく、よりソーシャルになっていく。友人同士が互いにニュースを教えあい、その際にサイトが意識されることはない。NYTはそうした読者同士のコミュニケーションから距離を置き、孤高の地位を保ち続けているが、そのやり方は失敗するだろう。
{この翻訳は抄訳です}
[日本語版:ガリレオ-藤原聡美/合原弘子]