今秋パリで世界初のストーマ(人工肛門・人工膀胱)の装具を現代アートにしたファッションショーが開催されます。日本で22万人存在する、排泄物を貯める専用の装具(パウチ)を装着しながら生活するオストメイト。装具は「隠すもの」という認識が強いなか、オストメイトモデルとしてショーに登場する医師のエマさんに意気込みを伺いました。

【写真】「カッコ良すぎる!」医療器具もアートに魅せるオストメイトモデルのエマさん(全13枚)

医療とファッションの舞台に「緊張と責任感」

── 今秋パリで開催予定のファッションショーは、ストーマ(人工肛門・人工膀胱)のパウチを「魅せるアート」にした世界初の試みだそうですね。病気などの理由から腹部に排泄のためのストーマをつけた人はオストメイトと呼ばれていますが、エマさんはそのショーでオストメイトモデルとして登壇すると伺いました。

エマ 大辻 ピックルスさん(以下エマさん):今回のファッションショーで使用する衣装はすべて新作で、京都の伝統工芸の西陣織を使い、金箔が入ったゴージャスなドレスになるそうです。私は大トリだと聞いています。

誰かのロールモデルになれたらと話すエマさん

医療とファッションがコラボレーションしたプロジェクトで、とても大きな意義があるものを背負っているので、自分がしっかりその役割を果たせるかという緊張と責任感が、今から日に日に強くなっています。

これまでもオストメイトモデルとして活動した際にデザイナーさんが手がけた衣装を着用してきましたが、パウチは医療器具ではなく、もはやファッションの一部にしか見えませんでした。今回もどんな衣装になるか楽しみです。

── オストメイトになって7年が経つと伺いました。

エマさん:「排泄がここまでコントロールできなくなるんだ」というのは、7年経った今でも感じます。自分の意思に関わらずシャワー中でも、食事中でも排泄物が出てきてしまいますし、先日コンサートに行った際も、よりによってショパンの静かな曲のときに「ブーブー」とガスの音が鳴り始めてしまって。「もっと違う曲のときがあったのに」と思ってしまいました。パウチの上に手を当てて音を抑えて、そのあと曲の合間にトイレに急いで。次からは通路側の席を取ろうと思いました。

── 外出先ではオストメイト対応のトイレを使っているのですか。

エマさん:ありがたいことに最近はオストメイト対応のバリアフリートイレが増えてきていて、そのコンサートホールにもオストメイト対応トイレが2つありました。1つは足が不自由な方が入られて、もう1つのトイレはなかなか開きませんでした。その日に限って白のスーツを着ていたのですが、よりによって少しリーク(漏れること)してしまっていて。

外出先でトイレに行けずに中身が爆発してしまうのはすごくハラハラします。しばらく待って中から成人女性が出てきたのでトイレに入りましたが、モヤモヤした気持ちが残りましたね。外から見えない障がいもたくさんあるので、オストメイトマークもヘルプマークのように皆さんにもっと認識されるといいなと感じますね。

そうはいっても、日本はオストメイト対応トイレが普及しているほうなので、パリではどうなってしまうんだろうと心配です。ショーの当日は何も食べずに出ようと思っています。

難病の診断まで25年「生死をさまよう経験も」

── エマさんは36歳頃に難病の慢性犠牲腸閉塞症(CIPO)との診断を受け、胃亜全摘出(胃の80%の切除)、ストーマ(人工肛門)を造設してオストメイトになったそうですが、その後も大腸全摘出や小腸軸捻転による緊急手術などをされています。そもそも最初に体に異変を感じたのはいつ頃でしたか。

エマさん:16歳から食べると急にお腹が膨れるようになって、苦しさを感じていたのですが「周りもこうなのかな」と思っていました。ところが症状はどんどん悪化し、法学部から医学部に編入して徹夜で勉強していた26歳のときにお腹の激痛で倒れました。

そこからありとあらゆるドクターを巡って検査をしたのですが異常が見つからず…。ようやく10年後に慢性犠牲腸閉塞症(CIPO)という診断名がついたのですが、心身性のものだと言われ続けて過ごしてきました。

入院中の1枚。これまで何度も入退院を繰り返してきた

── お腹の激痛で運ばれ緊急入院したこともあるなど、体調と向き合いながらも学びを続け、法学部から医学部に編入したそうですね。研修医時代の生活はいかがでしたか。

エマさん:起き上がっていると、空気を飲みこんでどんどんお腹が膨れてしまい、また、座っていると、消化管が全く動かず苦しくなるので、「横になりたい」と常に思っていました。横になれば、消化管内の食べ物や飲み物が一気に流れるので。体が思い通りにならないので授業も休むことが多かったですし、臨床の研修やオペの立ち合いにもあまり行けませんでした。

そのころ、病名がついていれば周りの目も違っていたかと思いますが、きっと「ただの怠け者だ」と思われていたと思います。食べても苦しくなるので、実習前は食べない日も多かったのですが、それも「過激なダイエットをしている人」だと思われていました。

── 体調と向き合いながら30歳で医師免許を取得されました。41歳で人工肛門を造設するオペを経てオストメイトになりましたが、あらかじめ予備知識はあったのでしょうか。

エマさん:実習や研修医の間も、オストメイトの患者さんと接する機会がありませんでしたし、恥ずかしながら、医療に携わっていた身であるにも関わらず、オストメイトという言葉は自分が41歳で当事者になって初めて知りました。ストーマを造ったオペの後、排泄物を受け止める透明のパウチがついて、自分の腸がソーセージのように腫れているのが見えたのですが、医療知識はあるものの自分の内臓の一部が出ていることには一瞬ひるみました。

それでも私の場合は、ストーマを造って、溜まってしまうガスを外に出せたら「楽になれる」というほうの気持ちが上回りました。「これで少しは苦しみから解放されるかもしれない」「ご飯が食べられるようになるかもしれない」と思うと、糸口を見つけてくださった方々には感謝しかありません。

先生から「これでトンカツを食べられるよ」と言われて喜んだのは、入院前にはもう固形物を食べられなくなっていたからで。食事ができないので、訪問診療を受けて、家で高カロリーの点滴をしていたのですが、ルートから菌が血中に回って敗血症になり、生死をさまよいました。今は51キロですが、その頃は45キロまで落ちてしまっていていました。

病室で決心したオストメイトモデルとしての生き方

── オストメイトモデルになろうと思ったのは入院中のことだったと伺っています。術後すぐの大変な時期だったと思います。

エマさん:入院中に排泄ケアの資格取得を目指している看護師さんからオストメイトの実態について話を聞いたのですが、「オストメイトになることを受け入れられず、1年以内にみずから命を断つ患者がいる」ということを知りました。生きるための選択が、悲しい結末になってしまうことが残念に思いましたし、入院中にいただいたパンフレットにはオストメイトになって「できなくなること」ばかり書かれていることは悲しくなりました。

看護師さんと話をするなかで、海外にはオストメイトモデルという存在がいることを知って。インスタグラムで調べてみたら、とにかくオストメイトであることをオープンにしていて、パウチが人から見える状態でジムやプールに行き、ハッピーに過ごしているんです。「海外のオストメイトモデルのマインドを輸入して、私にしかできないことしてみたい」という思いをすぐ行動に移しました。

── 日本と海外では環境や文化の違いが少なからずあると思います。人前に出ることに抵抗はありませんでしたか。

エマさん:私の母は日本人で、父がイギリス人なのですが、3歳から日本で生活しているものの、この見た目なのでいまだに「日本語お上手ですね」と言われることが多くて。だから、この外見で変わったことをしても、そこまで怒られないだろうと思ったんです。それに、皮肉にも、食べたくても食べられずに痩せてしまった体型がスチールに写るにはちょうどよかったんですよね。

ちょうど多様性が叫ばれ始めた頃で、いい意味で人との違いや自分が持っている要素を最大限に活かしてみようと思いました。たまたま時代が背中を押してくれた、本当にラッキーガールなんです。

── 世間の反応はいかがでしたか。

エマさん:アンチが出ることも想像していたものの、ほとんどなく、「私もオストメイトで勇気をもらいました」「救われました」という言葉をたくさんいただいて、びっくりするくらい賛同してくださる方が多かったですね。本当にやってよかったと思っています。

── オストメイトモデルの活動を通じて、どんなことを伝えたいと思っていますか?

エマさん:先日48歳になったのですが、正直、私はここまで生きられると思っていませんでした。オストメイトモデルとしての活動が私の代で終わってしまうのではなく、次の世代が主役となる流れを作れたらいいなという思いでいます。

私のポリシーは、「ありのままの自分を享受してアカペラで生きる」ということ。私は歌が好きなのですが、伴奏がない状態で声のみで歌うアカペラのように、自分そのものを受け入れていけたらと思っています。オストメイトになることは、絶望ではなく生きる希望だということをみなさんに伝えられたらいいですね。

 取材・文:内橋明日香 写真:エマ 大辻 ピックルス サムネイル撮影:小林正嗣