「どうしよう。動けない」。いつも通りの通勤途中に、関西テレビで長年キャスターを務めた村西利恵さんを突如襲った不安感。正体は、パニック症でした。生放送を担当して9年目のベテランでも「恐怖で放送から逃げたくなった」という村西さんを救ったのは、ハイヒール・モモコさんがかけた言葉だったそうです。

【写真】「まさか40代とは」抜群のスタイルが目を引く村西さん ほか(全14枚)

通勤途中に突然…「怖くて足が動かない」

── 25歳から12年間、夕方のニュース番組を生放送で担当される中、34歳でパニック症を発症されたことを公表していらっしゃいます。どのような症状があってパニック症だと気がついたのでしょうか?

村西さん:ある日突然、会社に行けなくなってしまいました。いつも通り、朝に家を出て、駅に向かうための暗い地下通路へと続く階段をおりたところで、急に恐怖心を感じて、動けなくなってしまったんです。体調は別に悪くなかったし、何の前触れもありませんでした。どうにかホームへ向かって電車に乗ろうとしても、怖くて足が動かない。とにかくその場で「遅刻します」と会社に連絡をして、いったん落ち着こうと帰宅しました。

パニック症を初めて経験した34歳当時の村西さん

家に着いてからもパニックで、「会社に行けない」「生放送の出番があるのに、どうしたらいいの」と焦って、信頼している先輩アナの藤本景子さんに「景ちゃん、どうしよう。動けない。怖くて電車乗れない」と相談したんです。藤本さんは当時、産休中で「それはすぐに病院へ行ったほうがいい」と、業界の方も通うクリニックに電話をしてくれて「連絡しておいたから、ここの病院にタクシーで行くといいよ」とテキパキ指示してくれました。

その病院は耳鼻科だったのですが、めまいや耳鳴りからパニック症がわかることも多いらしく、メニエール病や突発性難聴などストレス性の病気にも詳しいところでした。そこで「パニック症状だね」と言われ、抗不安薬を出してもらいました。薬を飲んだところ少し気持ちが落ち着いて生放送には間に合い、その日もいつも通りにニュースを読みました。視聴者の方からすれば、普段と変わらず出演しているように見えたと思います。しかし内心は「危険が迫っていない状況にも関わらず、恐怖で絶望してしまう自分」に戸惑い、一体なぜ急にこんな病気になってしまったのだろうと、葛藤する日々が始まりました。

同時に今になってしみじみ思うのは、最初にパニックを発症したあの日、誰にも相談できないままだったら、パニック症とわからず恐怖を繰り返し、しばらく会社に行けていなかった可能性もあったということ。藤本さんはたまたま同じ症状の方が身近にいた経験から、私へのアドバイスが的確で、すぐに病院へ行って薬をもらえたのが本当に幸運でした。

── パニック症にはホルモンバランスの変動も影響があり、女性患者は男性の2~3倍多いと言われています。

村西さん:30代半ば、その影響もあったかもしれません。ただ、子どもの頃から閉所恐怖症ではありました。大人になってからも狭いところや暗いところが苦手で、エジプトに行ったときにピラミッドの通路が人とすれ違えないくらい狭過ぎて息苦しくなったことや、趣味のダイビング中に「このマウスピースを外したら息ができなくなる」と思ったら怖くなって、それ以降ダイビングができなくなったこともありました。パニック症を発症してからは、美容院や歯医者など、施術や治療が終わるまでは動けないという状況も恐怖を感じることもありました。

2012年ごろまではダイビングが趣味で潜水取材の経験も

生放送中も「飛び出したい。逃げたい」心境に

── 薬を飲んで治療をしながら、アナウンサーの仕事を続けていらっしゃったのですか?回復したと感じるまでにどのくらいかかったのでしょうか。

村西さん:5年くらいは心療内科や精神科に通って、少しずつ薬を変えたりしながら治療をしていました。パニック症は突然、強い不安や恐怖を感じて身体的、また精神的にパニックを引き起こす病気。人によって症状はさまざまですが、私の場合は「この場にいたくない。飛び出していきたい。逃げたい」と思ってしまうタイプでした。

特に閉鎖的な空間が苦手で、窓もなく重い扉を閉める防音室状態の報道のスタジオが息苦しくなったのはつらかったです。当時、私が担当していた番組は夕方5時から2時間の生放送でした。途中で20分ほどフジテレビのスタジオから放送する時間があったので、その間に7階の報道スタジオからカンテレの1階玄関まで急いで降りて、外の空気を吸って戻ってくることもありました。

治療を始めた頃は、自分が精神疾患を患っているということにも抵抗を感じていましたし、薬の種類や強さ、飲むタイミングも手探りでした。いま思えば、予防的に薬を飲むことも問題ないとわかるのですが、当時は「薬はなるべく飲まないほうがいい、でないと薬をやめられなくなる」という思い込みがありました。薬を予防的に飲まないから、怖い思いを繰り返す、そのことでまた不安や恐怖が起こりやすくなる、という悪循環に気がついてからはやっと「怖くなる前に飲んでおく」ことが肝要だと気がつきました。体調をコントロールできるようになるまでには数年かかったと思います。

── ご家族には病気のことを知らせていたのでしょうか?

村西さん:発症した34歳の頃、プライベートでは結婚と離婚を経験し、自己肯定感が人生でいちばん低い時期だったかもしれません。同年代の友達はみんな、30歳前後で結婚して子どもを産んで、という暮らしをしているのに、私はなぜ「普通の人生」が送れないんだろうって。もともとわが家は母との関係が良好とは言えず、親に甘えたり相談したりということをほとんどしてきませんでした。「親をがっかりさせてしまう娘だから」と自分を責めて、親には病気のことは伝えても、深く理解してもらったり、支えてもらったり、ましてや甘えるということはできませんでした。

「困ったときはSOSを出してもいい」と思えたのは

── 藤本アナ以外の、職場の方には伝えていたのでしょうか?

村西さん:パニック症というのは見た目にわからない病気であることもあり、経験していない方に理解してもらうのはとても難しいことでした。病気だというとよかれと思って「休んで」と言われるので、軽々しく話すこともできず、報道のスタッフには公表していませんでした。ニュースキャスターは使命感を持って務めており、病気になったことで諦めたくなかった。しかしそのことが余計に「ここで私がパニックを起こしたら生放送はどうなるんだろう…」という心理的なプレッシャーを自分にかけていたと、今ならわかります。

当時は、番組が始まって以来、ずっと担当してくださって仲のよかったスタイリストさんとメイクさんの力を借りて乗りきっていました。ふたりには状況を正直にお伝えし、念の為、抗不安薬を持っておいてもらいました。ふたりともよく私の手を握って「大丈夫、大丈夫」と言ってくれて、その対応にどれだけ助けられたかわかりません。

そして、大きく業界という意味では、お世話になっていたハイヒール・モモコさんに報告をしていたのですが、そのときのモモコさんの言葉にすごく救われました。

2014年、ハイヒール・モモコさん(右)と

── ハイヒール・モモコさんといえば、ストレスからメニエール病や帯状疱疹を患い、苦しんだことを明かしていらっしゃいます。どんな言葉をかけられたのでしょうか?

村西さん:「テレビ業界には多い病気やから、困ったときは気にせず誰かに『助けて』って言ったら絶対助けてくれるよ」と言ってくださいました。「生放送や緊張感ある現場に挑むのに、毎日ベストコンディションを保ち続けるのはすごく難しいこと。みんなうまいこと持病や自分の特性を薬やいろんなものでコントロールしながら乗りきっているから」と。そんなふうに言われて、病院や薬に抵抗を持つのをやめて、うまく付き合っていこうと思えましたし、困った時はSOSを出してもいいんだ、と安心できました。

最近は、パニック症を公表している有名人も増えましたよね。そういった方が病とうまく付き合いながら明るく元気に活動されている姿を見て勇気をもらったから、私も人に聞かれたら臆せずに話していこうと思うようになりました。また、病をきっかけに心理学を学んだこともあり、正しい知識を発信していけたらと考えています。

取材・文:富田夏子 写真:村西利恵