古代の日本人はなにを考えていたのか…最古の歌集に隠された「驚きの秘密」

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明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。

※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。

人新世の今だからこそ

「自然」ということばを聞いて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。山や川、草や木の花や実、それに集まってくる昆虫や鳥を思い浮かべる人も多いであろう。私たちはそれらに取り囲まれて生きている。自然は私たちにとって親しい存在である。

しかし、いま、その自然が脅威にさらされている。過剰な開発によって破壊されたり、有害な物質を含む大量の廃棄物によって環境が汚染されたりしている。あるいは温室効果ガスの排出により地球温暖化が進行して、異常気象が増加したり、生態系に大きな影響が生じたりしている。

そのような状況のなかであらためて人と自然との関係について考えることが私たちに求められている。長い歴史のなかで日本人がどのように自然と関わり、生活を営んできたのかを見ることによってそのヒントが得られるのではないだろうか。本講ではそのような関心から自然に目を向けてみたい。

日本人の自然との向きあい方に関して重要な示唆を与えてくれるものに寺田寅彦の「日本人の自然観」というエッセーがある。寺田は著名な物理学者であったが、俳句にも親しみ、秀逸な随筆を数多く残したことでも知られる。このなかで寺田は次のように記している。「日本の自然界が空間的にも時間的にも複雑多様であり、それが住民に無限の恩恵を授けると同時にまた不可抗な威力をもって彼らを支配する、その結果として彼らはこの自然に服従することによってその恩恵を充分に享楽することを学んで来た、この特別な対自然の態度が日本人の物質的ならびに精神的生活の各方面に特殊な影響を及ぼした」。

万葉集の「秘密」

日本人の「特別な対自然の態度」がその物質的・精神的生活にある特殊な影響を及ぼしたということが言われているが、具体的にどういうことであろうか。

日本では人々は自然の威力に対処するために、経験から必要な知識を集め、蓄積していった。そのことによって多くの恩恵を享受してきた。しかし自然を科学的な方法で分析し、普遍的な法則を発見することはしなかった。自然は分析の、あるいは研究の対象ではなかったのである。それは言いかえれば、観察され、分析される「自然」(nature)が生まれなかったということである。人間とともにある山川草木は存在したが、自然科学の対象となる「自然」は存在しなかった。人々はむしろそれと一体になって生きてきた。自然は分析ではなく、共感の対象であった。あるいは畏怖の対象であった。

『万葉集』においても、自然は美しいだけでなく、「神々しい」ということばで表現されるような神秘性をもったものであった。そのなかに吉野を詠んだ次のような歌がある。「神さぶる岩根こごしきみ吉野の 水分山を見れば悲しも」(巻七・一一三〇)。神々しいほどに岩のごつごつしている吉野の水分山を見ると、切なる思いが込みあげてくるというような意味であろう(「み吉野」は吉野地方の美称)。

また高橋虫麻呂に次のような歌がある。「富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を 雪もて消ち 降る雪を 火もて消ちつつ 言ひも得ず 名付けも知らず くすしくも います神かも」(長歌の一部、巻三・三一九)。富士の高い山は、雲も進むことをためらい、鳥も飛び上がることができず、燃える火を雪で消し、降る雪を火で消してしまうような、ことばで言い表すことも、名付けることもできない、霊妙な神であるという意味であるが、ここでは「くすし(奇し)」、つまり人間にははかりしれないという意味のことばで神が形容され、富士の美しさが表現されている。

古代の人々は自然のなかに美しさとともに、神威とも言うべきものを認め、畏れ、敬ってきた。それに祈りをささげてきたと言ってもよい。このように自然は詩歌のなかで、くり返し共感の対象として、あるいは畏怖の対象として詠われてきたのであるが、哲学のなかではそれはどのように論じられてきたであろうか。

さらに連載記事〈日本でもっとも有名な哲学者はどんな答えに辿りついたのか…私たちの価値観を揺るがす「圧巻の視点」〉では、日本哲学のことをより深く知るための重要ポイントを紹介しています。

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