99年のアベイ・ド・ロンシャン賞を制したアグネスワールド(99年10月撮影、ユーザー提供:raizapさん)

写真拡大

 パリ五輪が盛り上がっているが、ちょうど四半世紀前の99年に仏G1のアベイ・ド・ロンシャン賞を制したのがアグネスワールドだ。小倉→小倉→フランス→小倉と渡り歩いて4連勝を果たし、世界のトップスプリンターへと上り詰めた戦いを振り返る。

 アグネスワールドは米国産馬で父Danzig、母Mysteries、母の父Seattle Slewの血統。3歳上の半兄には95年のスプリンターズSを制したヒシアケボノがいた。2歳時に新馬、函館3歳Sと連勝。年末には全日本2歳優駿を制し、早々と芝ダート双方での重賞勝ちを成し遂げる。しかし、3歳初戦のシンザン記念で2着に敗れた後、故障が判明。約1年の休養から復帰した後も、なかなか勝利に手が届かなかった。そんな中、確勝を期して挑んだのが、夏の小倉の北九州短距離Sだった。実績が評価されて、単勝1.4倍の圧倒的1番人気に推された一戦。アグネスワールドは1分6秒5という驚愕の日本レコードをマークして、1年7カ月ぶりの美酒を味わう。勢いに乗って、同じく小倉芝1200mの小倉日経オープンも快勝。そして次の目標に据えたのが、フランスのアベイ・ド・ロンシャン賞だった。

 森秀行厩舎は前年の98年、シーキングザパールで同じく仏GIのモーリス・ド・ギース賞を制した実績があった。その時と同じように、まずはイギリスのニューマーケットに向かい、僚馬ドージマムテキとともに調整を進める。そしてレース3日前にロンシャン競馬場へ。レースでは好スタートを決めると番手追走。早めに抜け出すと、追ってきたインペリアルビューティを短首差退けて、待望のG1初制覇を果たした。まさしくアグネスワールドと武豊騎手、そして陣営の力が一つになっての戴冠だった。

 レース後は帰国し、凱旋レースの舞台は再び小倉だった。CBC賞で単勝1.2倍の支持を受けると、高松宮記念覇者のマサラッキを半馬身凌いで勝利。堂々の4連勝を決めた。

 その後、スプリンターズSで2着に敗れ、連勝は4で止まったものの、翌年には英G1のジュライCを制覇。2つ目のビッグタイトルを手にして、世界が認める名スプリンターとなった。残念ながら種牡馬として自身を超える大物を出すことは叶わなかったが、その類まれなスピードはいつまでも語り継がれるに違いない。