錦織圭選手(写真左)、ロジャー・フェデラー選手(写真中央)と共にイベントに参加する国枝慎吾選手(写真右、Photo by Jun Sato/WireImage)

グランドスラム車いす部門で、男子世界歴代最多優勝を達成し、「車いすテニス界のレジェンド」と称される国枝慎吾さん。初の自著『国枝慎吾 マイ・ワースト・ゲーム』には錦織圭選手を含め、トップアスリートたちと国枝さんの対談を収録している。一流選手だからわかる国枝さんのすごみとは? 本書から一部抜粋・編集して紹介する。

肌身で感じてきた「常勝」の重圧

「常勝」の重圧を肌身で感じてきたビッグネームとは、共鳴し合う点が多い。

ここで、テニス界の同志である錦織圭に登場してもらおう。改まって対談するまでもない、テレビゲーム仲間であり、共にユニクロ所属の「グローバルブランドアンバサダー」として、イベントで一緒になる機会も多い。

テニスの4大大会は健常者の部の大会後半、車いすテニス部門が同じ会場で開かれる。敗者は荷物をまとめ、早々に帰路につく。観光を楽しむ気分になんてなれないし、次の戦いの地へと旅立つ。

2014年ごろから、錦織がベスト8に勝ち上がる頻度が増えたことで、次第に国枝と顔をあわす機会が増えていった。2014年の全米オープンは、錦織にとって忘れられない記憶だ。アジア人として4大大会の男子シングルスで初の決勝進出を果たした大会だ。

その快挙から2年後、国枝について聞いた。

印象深いシーンとして錦織が挙げたのが、やはり、2014年の全米オープンだった。

「勝ち進むにつれ、広いトレーニングジムで汗を流す選手がどんどん減っていったんです。とくに最後の3日間ぐらいは、大会序盤はあんなに人がいたのに、僕と国枝さんしかいない場面が何回かあって。なんか日本人2人ですごいなあ、と我ながら思っていましたね。国枝さんが、『試合すごかったね』と声をかけてくれたのを覚えています」


2023年に世界ランキング1位のまま引退した国枝慎吾さん(撮影:朝日新聞出版 写真映像部・東川哲也)

この年、全米オープンのシングルス、ダブルスの2冠に輝いた国枝の記憶はもっと鮮明だった。

錦織が世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)を破った準決勝をジム内にあるテレビで見ていた。

「帰ってきた錦織くんを待ち受け、イエーイ!とハイタッチで祝福しました」

先に世界の頂点に立ったのは国枝だ。初めて世界ランキング1位になったのは、2006年秋だった。

2007年、国枝は当時の「車いすの4大大会」と称されていたオーストラリア、フランス、日本、アメリカでの主要大会をすべて制した。「年間グランドスラム」の完成だ。ちょうど、錦織がプロに転向したのが、この年になる。

「日本にはクニエダがいるじゃないか」

テニス界のレジェンドであるロジャー・フェデラー(スイス)が、「なぜ日本のテニス界からは世界的な選手が出ないのか」という日本人記者の質問に対し、「日本にはクニエダがいるじゃないか」と発言したのも、このころだ。

幼いころからフェデラーにあこがれてきた錦織は、その逸話を知っていた。2016年のウィンブルドン選手権を直前に控えたころのインタビューで聞いた。

「そりゃあ、知っていますよ。ロジャーにも国枝さんは知られているんだ。すごいなあと思いました」

このとき、国枝の強さを分析してもらった。

「メンタルがとにかく強いと思う。約10年にわたり、ほぼ世界ランク1位を保ち続けるのは並大抵じゃない。トップレベルになればなるほど、勝負を分けるのは紙一重の違いだから。勝利が近づくにつれて、緊張で力みが出たりするのが自然なのに、そうした状況で勝ちきる、いつも勝ちきるのはすごい」

自身も、その世界に身を置く錦織だから、説得力がある。

錦織は車いすテニスをイベントで体験したとき、ボールをとらえる位置まで移動して、最適なボールとの距離を調整する大変さを味わっている。足で細かくステップを踏んで微調整を繰り返せる自分との違いを実感していた。

国枝が採り入れていた錦織のプレー

2015年11月、2人は東京・有明コロシアムでのチャリティーイベントで直接対決した。国枝の言葉を借りれば、「錦織くんは実力の2%も出していなかったはず。僕は必死に頑張りましたけど」。試合は12−10で国枝が勝った。

もちろん、錦織は本気ではなかっただろうが、国枝がバックハンドで順回転のスピンをかけてクロスに放った強烈なショットを、返球し損ねた場面があった。わざとではなく、明らかに追いつけなかった。

錦織にそのときのことを振り返ってもらった。

「想像より速い打球が来たんです。バックの片手打ちで、あれだけ強力なスピンがかけられるのは、相当な筋力と肉体の調整力がないと無理です」

国枝が引退してから1年近く経った2023年の12月、改めて国枝慎吾のイメージを錦織に聞いた。

「基本、尊敬しかない」

もう少し具体的な説明を頼んだ。

「圧倒的な勝率とかは当たり前ですけど、練習に取り組む姿勢ですね。僕もまじめなタイプですけど、国枝さんは練習からこれほど全力で取り組むのか、というくらい。見た目の気迫と、あまり話しかけられない雰囲気。試合に関しては勝って当然、というプレッシャーとの戦い。自分が経験したことがないから、想像もつかないけど、100連勝とか……」

一方、国枝が錦織を語るときの目線は、どこかファンのまなざしが交じる。

「錦織くんのプレーには遊び心がある。とにかく堅実のジョコビッチとかと違う。日本人だからというのと関係なく、そのスタイルが好きです」

錦織のプレーを見て、国枝は自分の戦術に採り入れていた。

「僕もフォアの回り込みは多いので、その辺は、錦織くんのプレーが参考になる。彼は連続してフォアで回り込んで打つじゃないですか」

自分のバック側に相手の返球が来るのを予測し、回り込んでフォアで強打を打ち込むテクニックだ。ストレート、もしくは逆クロスへ。相手が動く方向の逆を取れば確実にポイントになる。

国枝は話を続けた。

「僕もストローク戦を支配しているときは、けっこうやる。攻め方としては似ている部分だと思う」

勇気と自信をもらった試合

2022年のウィンブルドンのとき、ふだん健常者のテニスをどれくらい参考にしているか、国枝に聞いた。

――国枝選手はフェデラーが好きですけど、今大会、ジョコビッチが2セットダウンからシナーに大逆転勝ちするなど勝負強さを発揮している。トップ選手の試合をけっこう参考にしているんですか?

「見ますね。やっぱり、勝つんだなあと思いますね。ジョコビッチも、ナダルも。もうボロボロな感じの状態からでも勝つのかあ、本当にすげえな、と思いながらいつも見ています」

――勝負強さに関しては、国枝さんも同じカテゴリーに入るのでは?

「同じカテゴリーなんて恐れ多くて言えないですけど、でも、ジョコビッチはなんかこう、僕が言うのもなんですけど、ちょっと参考になる部分はありますね」

深掘りしたら、興味深そうな流れだ。さらなる解説を頼んだ。

「人並み外れたパワーがあるわけでもないし、ものすごいビッグサーバーなわけでもない、という意味で似ている気がして。フォアハンドも、バックハンドもすごくうまいけれど、球の威力だけなら、もっとパワフルな選手はいる。車いすテニスで僕よりもっとパワーのある選手はいる。それでもジョコビッチは最強というところが勇気と自信をもらえるところです」

あこがれはフェデラーで、自分と重ねるのはジョコビッチ

――あこがれは、フェデラーだけど、自分と重ねるのはジョコビッチ、ということ?


「ビッグ3でいえば、フェデラーは繊細なタッチとか、天性のうまさという感じがするじゃないですか。ナダルは圧倒的なパワー、練習なんか見ていても、すごい。ボールをぶっつぶす感覚の豪打ですし」

――興味深い比較です。

「そうですか? それと、僕はチェアワークは負けない。ジョコビッチも足のフットワークはすごいじゃないですか。そこも似ている気がする」

――改めて確認すると、あこがれはロジャーで、重ねるのはジョコ、と。

「そうなんですよ。勇気をもらえるところは、ありますね」

一瞬、間を置いて、国枝が慌てて言った。

「ジョコビッチのファンにたたかれそうですね、こんなことを言ったら。大丈夫っすか?」

国枝は車いすテニスと健常者のテニスには、観客やテレビなどの注目度に厳然とした差があることをわかっている。だから、自分とジョコビッチを重ね合わせて話すことが、一部で反発を招くのでは、という危惧だった。

心配は無用だろう。国枝の言葉からは、ジョコビッチへの最大級のリスペクトがにじみ出る。

(国枝 慎吾 : 元プロ車いすテニスプレーヤー)
(稲垣 康介 : 朝日新聞編集委員)