渋沢栄一「論語と算盤」を形作った少年時代の原点
渋沢栄一の子どもの頃の逸話を知っていますか?(イラスト:伊藤ハムスター)
チラホラと見られ始めた新しい1万円札に描かれているのは渋沢栄一。「近代日本経済の父」と呼ばれた彼の子どもの頃の逸話を知っていますか?
齋藤孝さんが子ども向けに歴史人物の意外な10代の話を楽しくまとめた『子どものころはしょぼかった!? すごい人の10歳図鑑』より一部抜粋、再構成してお届けします。
お金だけでも道徳だけでも世の中動かない
渋沢栄一(1840〜1931):日本生まれ、実業家。日本初の銀行を設立したほか、約500もの会社の設立にかかわった。「近代日本経済の父」
2024年7月に登場した、新1万円札の顔は渋沢栄一です。
きみは、渋沢栄一がどんな人か知っているかな? 日本で最初の銀行をつくり、約500もの会社設立にかかわったというすごい人。今では当たり前にある銀行も会社も、明治初期にはまだありませんでした。27歳のころにヨーロッパを見た渋沢栄一は、銀行が心臓になって、会社を通じてお金という血液を社会全体にいきわたらせる資本主義のシステムに興味を持ちました。日本にも銀行と会社をつくって、国を強くしようと思ったんです。
渋沢栄一は大蔵省の役人をやっていたのですが、4年ほどでやめます。そのとき、いっしょに働いていた友人にこんなことを言われました。
「金に目がくらんで、役人をやめて商人になるとは情けない。そんなやつだと思わなかった」
それに対して、渋沢栄一は言いました。
「私は『論語』で一生をつらぬいてみせる」
『論語』とは、人として生きていくうえでの大事な考え方やあり方、道徳を伝えている書物です。『論語』の精神を持ちながら、社会にお金をめぐらせようとする決意! かっこいいよね。
この考え方の根っこになるものは、渋沢栄一の子ども時代にあったようです。
栄一は、江戸時代の終わりに農家の家に生まれました。当時のふつうの農家とはちょっと違います。お父さんにビジネスセンスがあり、かなりもうかっていました。
お父さんは、周りの村から染料のもととなる藍の葉を買って集め、それを「藍玉」という製品に加工して売る商売をやって成功したんです。江戸時代の農家といえばお米をつくって年貢をおさめるイメージだけど、仕入れから製造・販売まで手がけて、栄一の家は現代の商売に近いものをやっていたんだね。
「本を読んでいて溝に落ちました」
14〜15歳くらいの栄一は、藍の葉を買いつけるお父さんについてまわり、そのうち、一人で買いつけができるようになっていました。
そうして商売をする中で、強い疑問を持つこともありました。お金が足りないときに領主が「御用金」といってたびたびお金を出すよう命じるのですが、そのとき「さっさと出せ」という態度をとるのです。「農家はお金を出して当然というあの態度は何なんだ」と不満を感じていました。
栄一はよく本も読んでいました。6歳ごろから『論語』をはじめとする書物を習い、読書に夢中になります。12歳のお正月のときなんて、本を読みながら歩いていたら溝に落ち、晴れ着を汚してお母さんに怒られたんだって。
お父さんも「本ばかり読んでいないで、仕事を手伝いなさい」と言いました。このときは、読書と仕事が別々のものだったけれど、大人になって、つなげることができたわけです。
後年、渋沢栄一が書いた『論語と算盤』は、今もとても人気のある本です。一見つながらない『論語』と「算盤=経済」をつなげたのがとてもおもしろい。
この本には、人として正しくあることと、お金をもうけることとを両立させなさいということが書かれているんです。
■出展
『渋沢栄一自伝 雨夜譚・青淵回顧録(抄)』渋沢栄一著 角川ソフィア文庫
『渋沢栄一 よく集め、よく施された』武田晴人著 ミネルヴァ書房
『渋沢栄一 社会企業家の先駆者』島田昌和著 岩波新書
(齋藤 孝 : 明治大学教授)