40歳過ぎて自分にぴったりの結婚相手に出会った二人。その軌跡をご紹介します(イラスト:堀江篤史)

若いときに自分や家族が体調を崩していたり、仕事が過酷すぎて恋愛どころではなかったり。結婚したくてもできなかった人は意外と多い。

でも、人生に遅すぎることはない。年齢を重ねるほど婚活は難しくなるのは一般的だが、「信じられる人を信じて行動する」ことが唯一無二の幸せに結びついたりするものだ。今回はそんな結婚ケースを紹介する。

優しげな雰囲気がよく似ている2人

ともに埼玉県出身で、2年前に結婚した後も県内の賃貸アパートで2人暮らしをしているのは木村真一さん(仮名、49歳)と弘子さん(仮名、46歳)。真一さんは自宅から「原チャリで20分」のところにあるレストランで雇われ店長をしている。弘子さんは専業主婦だ。2人ともメガネ姿で優しげな雰囲気がよく似ている。「兄妹みたいだね」と言われることもあるらしい。

真一さんは高校時代からファミリーレストランでアルバイトをしており、20歳のときに料理人の道を歩むことを決意。都心にあるフレンチレストランで10年間修業をした。

「シェフが厳しい人でしたが、何とか辞めずに続けて、途中で調理師免許も取得しました」

その頃に付き合っていた同い年の恋人がいた。真一さんにとっては「初めてのちゃんとした彼女」。相手は結婚したがっていた。しかし、薄給で、まだいろんな経験がしたいと思っていた真一さんは決めきれず、あるとき「ほかに好きな人ができた」と振られてしまった。26歳のときだった。

30代になってからは今さらながら結婚願望が高まった。妹や友人たちなど結婚して子どもをもうけた人が多くなり、憧れるようになったからだ。しかし、飲食業は土日が仕事。街コンなどの出会いの場に出られないことが多かった。

42歳のとき、真一さんは勝負に出る。念願の「自分の店」を神奈川県内で開いたのだ。

「でも、経営のことがよくわかっていませんでした。調理からお金の管理まですべて自分でやりましたが、接客までは手が届きません。アルバイトを雇ったら、人件費で利益がなくなりました。赤字続きです」

真一さんは1年ちょっとで見切りをつけて店をたたんだ。政府系金融機関などからの500万円ほどの借金が残った。

「地元に戻って勤め先を探しました。それが今の職場です。独身の弟が公団住宅に住んでいたので居候させてもらいました」

幼い頃から苦しいことが多かった弘子さん

弘子さんのほうは幼い頃から苦しい人生経験をしている。不仲の両親から八つ当たりをされることが多く、物心ついた頃から「私は死ななくちゃいけない」と思っていたという。外の人間関係にもなじめず、中学校時代には唯一の友だちに裏切られてクラス中から無視をされるといういじめに遭う。

「高校時代はできるだけ気配を殺して過ごしました。短大を出た後に銀行に就職したのですが、先輩にいじめられてしまって……。あるときから出勤しようとしたら足が動かなくなり、病院に行ったらうつ病と診断されました」

不幸中の幸いで両親の夫婦喧嘩は沈静化しており、弘子さんは実家に隠れ続けることができた。ただし、自室からほとんど出られず、寝たきりのような20代を過ごした。

30歳を過ぎた頃から少しずつ外に出られるようになった。しかし、派遣やアルバイトで働いてみても体がついていかず長続きしない。親しい人間関係も作りにくかった。

「私は愛に飢えているようなところがあって、一人はとにかく寂しいです。いつかは結婚して夫婦で仲良く暮らしたいと思っていました。職場の人に紹介してもらった2歳年上の男性と付き合いかけたこともあります。でも、仲良くなりそうになると逃げたくなるのです。両親の喧嘩を見ながら育ったことが影響しているのかもしれません」

人が好きだけど人が怖い。矛盾を抱えたまま暮らしていた頃、町中で高校時代のクラスメイトを見かけた。明るい人柄で人気のあったアキちゃん(仮名)で、弘子さんはひそかに憧れていた。

「勇気を出して声をかけたらビックリされましたが、私のことを覚えていてくれたんです。それから連絡先交換をして、劇団員だったアキちゃんが出演していた演劇を観に行ったりして仲良くなりました」

39歳のとき、アキちゃんが埼玉県内の男性と結婚することになった。自分も行動するべきだと思った弘子さんはマッチングアプリに登録。3人ほどと会ったが、「いいな」とは思えずに音信不通になることが続いた。対人関係に苦手意識が強い弘子さんにとって、共通の知り合いが誰もいないところから知り合うアプリはハードルが高すぎたのかもしれない。

アキちゃん夫婦がキューピッド

そこでアキちゃんが手を差し伸べてくれた。夫の中学校時代の同級生で「いい人」がいるという。それが真一さんだった。

「でも、その頃に私は20年ぶりに正社員になれたところでした。地元にあるメーカーに雇っていただき、とてもよくしてもらっていたのです。主人(真一さん)は飲食店なので休みが合わず、紹介を断わってしまいました」

3年後、弘子さんは退職をする。やはり正社員として毎日働くことには体がついていかず、その頃に足を悪くした母親を車で病院まで送り迎えもしなければならなくなった。父親は高齢を理由に運転免許を返納している。

「アキちゃんが『じゃあ、彼に会ってみない?』とまた声をかけてくれたんです。主人に会ってみたら、穏やかで優しそうな人で……。すぐに付き合い始めました」

真一さんも弘子さんを見て「可愛い」と思ったと明かす。20代のときに恋人を大事にできなかったことに悔いがあり、今度付き合った女性にはとにかく優しくしようと決めていた。結婚まで2年間もかかったのは借金が残っていたからだ。

「付き合う前に借金があることを話してくれたので誠実な人だなと思いました」

と言う弘子さんのほうは病気について明かした。薬の影響もあるので子どもは望めないことも。真一さんが「付き合ってください」と言ってくれたタイミングだった。

婚活をしている男女から、「病気や借金、親の介護などのネガティブな条件をいつ切り出すか」について相談されることは少なくない。お見合いや仮交際の時点では話す必要がないと筆者は思っている。好きでもない相手の弱点は許容しにくいからだ。ただし、婚約してからの告白ではだまされたような気持ちになりかねない。真一さんと弘子さんのように、付き合い(婚活用語では真剣交際)を始める直前がベストタイミングだと思う。

真一さんは借金を完済したらすぐに婚約指輪を買ってプロポーズすることを決めていた。その思惑を弘子さんに伝えることはしなかったが、弘子さんのほうは「全面的に信頼しているアキちゃんが紹介してくれた人だから、信じてひたすら待っていました」と淡々と述べる。

「指輪をもらったときは嬉しかったです。ビックリして言葉を失ってしまいましたけど……」

毎日の幸せを手に入れた

結婚後、それぞれに「人生で今が一番幸せ」と感じているようだ。一人暮らしが長かった真一さんは仕事から夜遅くに帰って来ても弘子さんが電灯をつけて待ってくれていることが嬉しい。


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「店が忙しい時期は夜中の12時頃になることもあります。それでも起きていて『おかえり』と言ってくれて、軽い食事を出してくれます。僕は毎日何百食も作っているので、自分の料理はできるだけ食べたくありません(笑)。妻の料理は何でも美味しいですよ」

子どもがいない分だけ弘子さんに愛情を注いでいるという真一さん。弘子さんもそれを実感している。

「どんな些細なことでも私の意見を優先してくれています」

共通の趣味はゲーム。テレビゲームに興じることもあれば、2人でゲームセンターに出かけてクレーンゲームでお菓子を狙ったりもしている。

若い頃には強迫観念に近い夢や目標を持っていたりするものだ。真一さんの場合は「自分の店を構える」、弘子さんは「自活する」だった。しかし、そんな目標達成よりも大事なのは周囲の人と支え合って毎日を幸せに過ごすことではないだろうか。

真一さんは経営者から頼りにされる店長として精を出し、弘子さんは専業主婦として家庭を明るくしている。真一さんと弘子さんの縁をつないでくれた「アキちゃん」夫婦も目を細めていることだろう。

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(大宮 冬洋 : ライター)