ホンダ創業者の今でも語られる「小4の頃」の逸話
「世界のホンダ」も最初は小さな会社でした。創業者の本田宗一郎は物をつくったり、「こうすればもっとよくなる」と思って工夫したりするのが好きだったんです(イラスト:伊藤ハムスター)
世界一の二輪車メーカーであり四輪車メーカーとしても日本のみならず世界にその名を轟かせるホンダのルーツをたどると、1人の男に行き着きます。創業者・本田宗一郎。その子どもの頃の逸話を知っていますか?
齋藤孝さんが子ども向けに歴史人物の意外な10代の話を楽しくまとめた『子どものころはしょぼかった!? すごい人の10歳図鑑』より一部抜粋、再構成してお届けします。
赤い金魚ばかりじゃおもしろくない
本田宗一郎(1906〜1991):日本生まれ。本田技研工業(ホンダ)創業者。オートバイの開発で技術力を世界に印象づけた
世界中で一番有名なオートバイといえば、ホンダのオートバイです。だれでも扱いやすい小型の「スーパーカブ」は世界中で大ヒット! しかもホンダのエンジンはオートバイのレースでも、自動車レースのF1でも、世界一になっているんだよ。
そんな「世界のホンダ」も最初は小さな会社でした。創業者は本田宗一郎です。
宗一郎の家はかじ屋でした。カン、カン、カン。お父さんが鉄を打って加工し、さまざまな道具をつくるのです。
その横で幼い宗一郎は、くず鉄を集めてくっつけたり折り曲げたりして遊びました。使い道のない切れ端だって工夫すればかっこいいものがつくれます。手先が器用だったので、かじ屋の手伝いもするようになりました。
あるとき小学校の職員室に忍びこんだ宗一郎は、真っ赤な金魚が泳ぐ金魚ばちから、金魚を数匹引き上げました。
「赤ばかりじゃおもしろくないからな」 青や黄色のエナメル塗料をぬって金魚ばちに放してやると、一気にカラフルになりました。
ところが、満足したのも一瞬のこと。塗料をぬられた金魚は死んでしまい、大目玉をくらいました。
大人たちからすると、悪ガキだろうね。字を書くのがきらいで試験はさっぱりだったけど、宗一郎は物をつくったり、「こうすればもっとよくなる」と思って工夫したりするのが好きだったんです。
無料で飛行機ショーを見るためにとった行動
小学校4年生のときは、家から20キロも離れた場所でアメリカの飛行機ショーが行なわれると知り、一人で見にいきました。「行っちゃダメ」と言われると思ったから、親にはないしょ。学校をさぼってお父さんの自転車を持ち出し、出かけます。ようやく着いた……と思ったら、ショーを見るための入場料が足りず、入れてもらえないのです。
ここですごすごと引き下がる宗一郎ではありません。なんとかして見ることはできないか? 見ると会場のすぐ外に松の木があります。宗一郎はこれによじ登り、木の上からの見物に成功しました! もちろん、下から見つからないように枝の位置なんかも工夫したんだって。
はじめて見た飛行機ショーのすごいこと! パイロットになった気分で大興奮で家に帰りました。お父さんにバレて大目玉をくらったかって? いいえ、じつはお父さんも興味津々で「どうだった?」と盛り上がったらしいよ。
のちに本田宗一郎は「創意工夫は苦しまぎれの知恵である」と言っているんだけど、困ったときに工夫のアイデアが出てくることってあるよね。思い通りにできないことも多いからこそ、工夫の楽しさを知ることができるのかもしれないね。
■出展
『本田宗一郎 やってみもせんで、何がわかる』伊丹敬之著 ミネルヴァ書房
『本田宗一郎 夢を力に』本田宗一郎著 日経ビジネス人文庫
(齋藤 孝 : 明治大学教授)