京王電鉄の初台駅北口と新国立劇場・東京オペラシティ(筆者撮影)

大手私鉄のターミナルの隣の駅は、対照的にひっそりとしていることが多い。鉄道事業者としては、ターミナルに百貨店などを用意して利用者を集めようとしているので、分散してもらうと困るということがあるだろう。

初台駅は異色の存在

その点で言えば、京王電鉄京王新線で新宿駅の隣にある初台駅は異色の存在だ。駅に隣接して新国立劇場や東京オペラシティがあり、周辺にはNTT東日本、カシオ計算機、ロッテといった有名企業の本社が並んでいるのだから。

京王電鉄によると、2023年度の1日平均乗降人員は5万4828人で、井の頭線渋谷駅の隣、神泉駅の約5倍、井の頭線との乗換駅である明大前駅の京王線の数字より多い。

【写真】昔の面影は?京王線が地上を走っていたころの初台駅付近と現在の南口を見比べてみる(7枚)

その初台駅、これまで2回場所が変わっており、現在の地下駅は3代目だ。しかも地上にあった初代から地下駅の2代目になったあと、新宿―笹塚間複々線化によって地下のまま位置が変わるという、変わった経緯を持っている。


地上時代の初台駅(写真:京王電鉄)


地上駅があった場所と現在の南口(筆者撮影)

当初の駅名は「改正橋」

『京王電鉄五十年史』によると、京王線はまず笹塚―調布間が1913年に開業し、2年後に新宿まで延びた。初台駅は当初、改正橋駅と名乗っていた。

この付近の京王線は、玉川上水の河川敷を通っており、改正橋も玉川上水の橋の名前だった。しかしまもなく地名を取って初台駅に改称されている。

当時は初台駅だけでなく、新宿駅も地上にあった。しかもJR東日本や小田急電鉄の西側という今の位置ではなく、甲州街道(国道20号線)上の併用軌道でJR・小田急の新宿駅を越え、青梅街道が分岐する新宿追分あたりに駅があった。

第2次世界大戦中、新宿―初台間にある天神橋変電所が被災し、電車が甲州街道の陸橋を登れなくなったので、急遽新宿駅西口に起点を移設したのだった。同時に省線新宿駅前、天神橋、西参道の各駅は廃止され、新宿の次が初台駅になった。


地上時代の新宿駅付近(写真:京王電鉄)

ただし新宿駅が西口に移っても、駅を出て300mほどは併用軌道のままで、その先は玉川上水に沿っていたのでカーブが多く、スピードアップの障害になっていた。そこで京王電鉄では新宿駅および併用軌道区間の地下化に取りかかり、1963年に完成した。

2代目初台駅の誕生

ところがこの間、東京オリンピックの開催が決まり、甲州街道がマラソンコースになることから、初台交差点で交わる山手通りの踏切を立体交差化して渋滞を緩和することになり、翌年初台駅も地下化された。これが2代目初台駅だ。

2代目初台駅は、2024年春に惜しまれつつ終了したNHK総合テレビの人気番組「ブラタモリ」で紹介されたことを、覚えている人もいるだろう。現在も島式ホームは残っており、トンネルの中なので暗いものの、車内からも見ることができる。

ただし2代目は、1978年までの14年間しか存在しなかった。高度経済成長で郊外の人口が爆発的に増加するのに対応して、京王線は都営地下鉄新宿線との相互乗り入れを決定し、新宿―笹塚間の複々線化を決断したからである。

京王電鉄広報部によると、最初から地下での複々線というプランではなかったようだ。

「当初、甲州街道下の新線は初台駅の先で在来線に接続し、そこから先は高架とする計画でしたが、沿線住民から日照権や騒音などを理由に地下化が強く要望され、幡ヶ谷駅の先で在来線と合流し、高架の笹塚駅に至る形になりました」

つまり初台駅は現在の姿で考えられたものの、幡ヶ谷駅は地上のまま残る計画だったということになる。

2代目では島式だった地下ホームは、上下2層式に姿を変えた。初台交差点は甲州街道がアンダーパスする構造なので、幅に余裕がなかったためと思われる。広報部からはこの区間の工事について、興味深い話を聞くことができた。

「京王新線の建設と首都高速4号新宿線の工事が重なったことから、建設工事は首都高速道路(当時は公団、現在は株式会社)に委託しました」

『首都高速道路公団三十年史』を見ると、4号新宿線は東京オリンピックに合わせて都心環状線から初台交差点の手前まで開通した。その後高井戸まで延伸し、中央自動車道と接続する工事が、下を走る甲州街道の立体交差工事と合わせて行われるので、京王新線の建設を委託したようだ。


首都高速が上を通り甲州街道がアンダーパスする現在の初台駅付近(筆者撮影)

地上には超高層ビル

新国立劇場と東京オペラシティはその後誕生した。

まずオペラ、バレエ、ダンス、演劇という現代舞台芸術のための舞台として、この地にあった東京工業試験所の跡地に新国立劇場が建設されることになった。ここで隣にあった京王電鉄の観光バスセンターの一部が、新国立劇場の敷地にかかることがわかった。

そこで京王電鉄では、残りの土地の活用を周辺の民間地権者と協議し、共同でビルを建てることにした。これが東京オペラシティだ。建物は新国立劇場と一体化していて、オフィスビルがメインだがコンサートホールやギャラリーもある。

ここまで読んできた方は、地上時代の初台駅の面影は何も残っていないと思うかもしれないが、現地を訪れると、そうでもないことを知ることになる。

まず地上を走っていた時代の線路跡は、「玉川上水旧水路緑道」という名前の遊歩道になっている。商店街が連なる道路と交わる場所には、「改正橋」と刻まれた橋の親柱と高欄のモニュメントがある。

地上時代の初台駅は道路の西側にあり、相対式ホームで、駅舎は新宿駅行きホームの道路側にあった。ホームがあった場所は駐輪場などに活用されている。さらに西に進むと、甲州街道側に富士急行の東京本社ビルがある。地下化された2代目初台駅の頃は、このあたりで地上に出ていた。


地上時代の京王線と玉川上水があった遊歩道(筆者撮影)

周辺には昔ながらの住宅地も

駅舎があった場所は、現在は京王初台駅ビルとなっており、駅の出入り口がある。現在の駅は甲州街道下にあるので、街道沿いの歩道に出入り口を設けたほうが便利そうだが、そうならなかったのは2代目の出入り口を活用したためである。

一方、甲州街道北側の出入り口は、東京オペラシティ地下1階に連絡する東口、新国立劇場の脇およびメインエントランス前で地上に出る北口がある。この2つはいずれも新線になってから生まれた。改札は東口と中央口の2つで、中央口は北口と以前からあった南口につながっている。

駅を降りて地上に出ると、まず目につくのはやはり新国立劇場と東京オペラシティで、最初に紹介した有名企業のビルも望める。ただし新宿駅西口とは違って、高層ビルが林立しているわけではなく、周辺には昔ながらの住宅地が広がっている。

広報部によると2022年度の1日駅別乗降人員は、定期利用が45.9%、定期外利用が54.1%で、ターミナルの新宿駅、井の頭線との乗換駅である明大前駅とは逆に、定期外利用者のほうが多い。オペラやコンサートを観るために初台駅を利用する人が、それなりにいるということになる。


新国立劇場エントランスと出入り口(筆者撮影)

筆者は10年以上、この地域にオフィスを構えており、初台駅もひんぱんに利用している。たしかに通勤客も目にするが、新国立劇場や東京オペラシティで催し物がある日は、来場者と思わしき人々が多く訪れることも知っている。実際の乗降客数にもそれが反映していたということになる。

都営新宿線直通の利点

京王新線と都営地下鉄新宿線の相互乗り入れは、境界駅である新宿止まりの電車は稀で、ほとんどが相手線に直通運転する。山手線の外側にありながら、2つの施設が相応の来場者を集める理由の1つとして、都営地下鉄の駅という感覚で利用できることは大きいのではないだろうか。

新国立劇場の建設がこの地に決まったのは、相互乗り入れが始まった後であり、NTT東日本とカシオ計算機の本社ビルは、劇場とほぼ同じ時期に竣工している。上に書いた運行体系が、これらの建造物の誘致を後押しした可能性もある。

その結果初台駅は、新宿駅の隣でありながら、独自の存在感を発揮できている。直通運転の恩恵を受けるのは郊外だけではないことを、この駅は教えてくれる。


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(森口 将之 : モビリティジャーナリスト)