(写真:© 2024 Bloomberg Finance LP)

2016年アメリカ大統領選挙では大方の予想を覆し、民主党ヒラリー・クリントン候補を破った共和党ドナルド・トランプ前大統領。

今年11月の大統領選で捲土重来を期すトランプの「勝利の方程式」は、8年前と同じく、リベラルなエリートに反感を持つ親イスラエルのキリスト教福音派の支持と、ユダヤ系大富豪による巨額の献金です。

トランプとイスラエルの密接な関係はいかにして生まれ、育まれたのか。共同通信エルサレム、ニューヨーク支局長などを歴任した、アメリカ・イスラエル関係と宗教の研究者・船津靖氏の新刊『聖書の同盟 アメリカはなぜユダヤ国家を支援するのか』より、一部抜粋、再構成してお届けします。

トランプのタブー破り、米大使館エルサレム移転

ドナルド・トランプ米大統領(在2017〜21)は2017年5月の初外遊でサウジアラビア、イスラエル、パレスチナ自治区を訪問し、トランプ流の中東外交を始めました。現役の米大統領では初めてユダヤ教の聖地「西の壁」(嘆きの壁)で祈りを捧げました。

トランプ政権は2017年12月、イスラエルが第三次中東戦争後に併合したエルサレムをイスラエルの首都と承認し、地中海岸テルアビブの米大使館を山間の聖地エルサレムに移転する方針を発表して世界を驚かせました。イスラエルが1980年にエルサレム首都化を宣言した際、国連安全保障理事会は非難決議を採択しています。トランプの移転決定は国際法違反でしたが、イスラエル国民と米福音派は喝采しました。

翌2018年5月14日、エルサレムで新大使館の開館式典がおこなわれました。イスラエルが独立宣言を発した日からちょうど70年。トランプ政権はその約1週間前、オバマ前大統領が苦心の末に結んだイラン核合意からのアメリカの離脱を宣言していました。 

共和党主導の連邦議会が1995年に採択した「エルサレム大使館法」は移転を義務付けていましたが、クリントン、ブッシュ(子)、オバマの歴代大統領は、和平交渉を仲介するアメリカの立場を損なうとして同法の適用を繰り延べる措置を取り続けてきました。

トランプの決定はタブーを破る異例の親イスラエル政策でした。

トランプとユダヤ社会のつながり

大使館の開館セレモニーにはトランプの愛娘イヴァンカ(大統領補佐官)、娘婿のユダヤ教正統派ジャレッド・クシュナー大統領上級顧問、ラスベガスのユダヤ系大富豪アデルソン夫妻、米キリスト教福音派のへイギー牧師らが参列しました。

へイギーは南部テキサス州サンアントニオのメガチャーチ、コーナーストーン教会の牧師で、全米最大のキリスト教シオニスト組織「イスラエル支援キリスト教徒連合」(CUFI)の指導者です。

イヴァンカはユダヤ教正統派のクシュナーと結婚してキリスト教徒から改宗し、米大統領一家としては初めてのユダヤ人になっていました。クシュナーは不動産会社を経営する富豪の息子です。ハーバード大学卒ですが、父親が大学に巨額の寄付金を提供した見返りの入学といわれています。米名門大では珍しいことではないようです。クシュナー家はネタニヤフ家と長年、家族ぐるみの交際があります。

式典に参列したフリードマン駐イスラエル米大使はニューヨークの高名なラビ(ユダヤ教指導者)の息子です。トランプが1990年代、カジノ経営で巨額の借金を抱えたとき破産法専門の顧問弁護士でした。西岸の入植地ベイトエル(神の家)を長年支援しています。

入植地ベイトエルで1996年12月、母親と息子がユダヤ教のハヌカ(光の祭り)の最中にパレスチナ過激派のテロで射殺されました。葬儀にはネタニヤフ首相が参列しました。私は翌年1月、妻子を殺された入植者の男性の自宅を訪ねて心境を聞きました。取材後、地中海を遠望できる丘の上の入植地内を見て回っていると、ネタニヤフの義弟ハギ・ベンアルツィ氏と出会いました。彼は「ここにまた新しい入植地をつくる。もちろんアラブの土地だったさ」と平然と言い放ちました。

ユダヤ人の社会は小規模です。有力者同士はたいがいどこかで接点があります。ネタニヤフと入植者の義弟、大使館移転を進めた大使は、西岸の入植地でつながっていました。


エルサレム「神殿の丘/聖域」の岩(黄金)のドーム(写真:オリーブ山から筆者撮影)

カジノ王アデルソンのトランプ支援

「カジノ王」アデルソンは開館式典で、最前列中央に妻と着席していました。米西部ネバダ州のラスベガス・サンズ・コーポレーション会長です。米誌「フォーブズ」の億万長者番付で世界第8位にランクされたことがあります。共和党の有力政治家はアデルソン詣でを欠かせません。イスラエルでネタニヤフ支持の新聞を発行し、右派長期政権を支えました。無料紙です。リベラル派は「アメリカで安全、快適に暮らす大富豪が、中東でアラブ人と生きていくわれわれの政治を左右するのはおかしい」と不満を口にしていました。

2016年の大統領選挙でアデルソンは当初、反ユダヤ主義者にも人気のあるトランプへの支援に慎重でした。トランプは同年3月、白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)の元最高幹部からの支持表明を直ちに拒否しなかったことで批判を浴びていました。アデルソンは秋以降、巨額の政治資金を追加支援しました。トランプへの最大の「メガドナー(大口献金者)」です。彼の支援なしではトランプの当選は難しかったでしょう。

アデルソンはシンガポールのリゾートホテル「マリーナ・ベイ・サンズ」も経営していました。シンガポールで2018年6月におこなわれたトランプと金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の米朝首脳会談の際、金正恩は同ホテルに案内されています。トランプは、自分と手を打てばピョンヤンもシンガポールのように繁栄すると印象付けたかったのでしょう。

アデルソンはソフトバンクグループの孫正義会長と親しいことでも知られていました。安倍晋三首相がトランプの当選直後にニューヨークのトランプタワーを訪問できた影の立役者です。2016年12月、安倍政権主導でカジノを含む統合型リゾート(IR)を推進する法律が制定されました。アデルソンはIR開業を検討しお忍びで訪日しましたが、新型コロナウイルス感染症拡大などで2020年、日本進出を断念しました(日本経済新聞)。アデルソンは2021年1月、87歳で病死しました。トランプ、ネタニヤフをはじめ多数の有名人が追悼のコメントを発表しました。

副大統領も国務長官も福音派

トランプ政権は2019年3月25日、イスラエルの右派ベギン首相が1981年12月に併合したゴラン高原のイスラエル主権を承認しました。ゴラン高原は第三次中東戦争でイスラエルがシリアから占領した土地です。占領地の併合は国際法違反でした。

主権承認の直前、ポンペオ米国務長官がエルサレムの「西の壁」をネタニヤフ首相と一緒に訪問しました。ポンペオ長官は熱心な福音派です。主権承認発表の当日、ペンス副大統領が在米イスラエル・ロビー「アメリカ・イスラエル広報委員会(AIPAC)」の年次総会に出席し喝采を浴びました。ペンスも、妻を伴わないで女性と会わないといわれる敬虔な福音派です。トランプが副大統領に選んだのも福音派の票目当てです。

世論調査機関ピュー・リサーチセンターによりますと、白人福音派プロテスタントの77%が2016年の大統領選挙でトランプに投票しました。トランプがバイデンに敗れた2020年の選挙では、トランプに投票した白人福音派は84%に増加しています。

トランプ支持者は、反進化論の原理主義者が嘲笑された「モンキー裁判」の舞台テネシー州などに目立ちます。同州は、南部山地の農民を侮蔑的に呼ぶヒルビリーという言葉で知られる土地柄です。北部の都会人に見下される田舎のイメージがあります。トランプが2016年の大統領選で「忘れられた人々」と呼んだのはヒルビリーなどの貧しい白人福音派です。トランプの巧みなレトリックは大衆の共感を呼びました。民主党のヒラリー・クリントン候補は「忘れられた人々」を「困った人々」と呼び、上から目線だとの反発を招いて敗因のひとつになりました。


(画像:『聖書の同盟 アメリカはなぜユダヤ国家を支援するのか』より)

アブラハム合意と防空システム、スパイウエア

ホワイトハウスで2020年9月15日、アラブ首長国連邦(UAE)とバーレーンの外相がネタニヤフ首相と国交正常化に合意する文書に署名しました。旧約聖書の族長アブラハムがユダヤ人、アラブ人双方の父祖とされることにちなみ「アブラハム合意」と呼ばれました。10月23日にスーダン、12月10日にはモロッコがそれぞれトランプ政権の仲介でイスラエルと国交正常化に合意しました。

UAEなどがイスラエルとの国交に踏み切った大きな理由は、イランと親イランの武装組織の脅威でした。2019年9月、サウジアラビアの石油施設がドローン攻撃を受けた事件が代表的です。イエメンの親イラン武装組織フーシ派が犯行声明を出しました。サウジ、UAEなどにとってイスラエルの高度な防空システムは、喉から手が出るほどほしい兵器です。イスラエルとアメリカが共同開発した「アイアンドーム」は、ガザ地区のハマスやレバノンのヒズボラが発射する短距離ロケット弾の9割以上を破壊してきたとされます。防空システム「アロー3」はイランの中距離弾道ミサイルを大気圏外で迎撃できるとされます。

権威主義的なアラブ諸国の政府は、イスラエルの高度な盗聴・監視技術にも関心があります。イスラエルの民間企業NSOグループのスパイウエア「ペガサス」はスマートフォンの全情報を盗み取れるとされ、隠れた輸出品になっていました。世界各地で政府高官、野党指導者、ジャーナリスト、人権活動家などのスマートフォンの個人情報が盗み取られ、監視や脅迫に使われた事例が報告されています。2018年にトルコのイスタンブールにあるサウジアラビア領事館で、サウジ出身のジャマル・カショギ記者が殺害された事件でも、ペガサスが利用された疑いが濃いとみられています。

イスラエルは占領地のパレスチナ人をいわば実験対象に、人工知能(AI)やスパイウエアを駆使し、さまざまな監視・盗聴技術を開発し蓄積しています。アラブ諸国のイスラエル接近には、中東の政治的安定や経済発展への期待がありますが、防衛システムや盗聴・監視機器への関心も大きいとみられます。

トランプ登場と反ユダヤ主義の台頭

トランプの登場後、反ユダヤ主義的な白人至上主義者が勢いづきました。

2018年10月、米東部ピッツバーグの「生命の樹」シナゴーグ(ユダヤ教会堂)で男が銃を乱射し11人を殺害する米国史上最悪の反ユダヤ主義事件が起きました。実行犯は白人至上主義者です。2021年1月6日、トランプに煽られて「Qアノン」と呼ばれる謀論者を含むトランプ支持者がワシントンの連邦議会議事堂を襲撃し、選挙結果を覆そうとする大事件が起きました。陰謀論は、過去の反ユダヤ主義のストーリーと酷似しています。

ユダヤ系の米作家フィリップ・ロスに『プロット・アゲンスト・アメリカ』という小説があります。「アメリカへの陰謀」という意味です。1940年の米大統領選挙で、ローズヴェルトではなく、ヒトラーと親交のあった大西洋単独無着陸飛行の英雄リンドバーグが大統領になっていたら、という仮想歴史小説です。

リンドバーグは孤立主義的な「アメリカ第一主義者」でした。小説では、リンドバーグ大統領がハワイで近衛文麿首相と会談し、大日本帝国の「東亜新秩序」を承認します。同じ「アメリカ第一主義」を唱えるトランプが2015年、大統領選出馬を表明すると、ロスの小説は未来を先取りしていたと話題になりました。

ユダヤ系アメリカ人の約7割は、大統領選挙で伝統的に民主党候補に投票します。トランプはこれが不満で「アメリカにはイスラエルを愛さないユダヤ人がいる」「ユダヤ人のサルツバーガー家が経営するニューヨーク・タイムズはイスラエルを憎んでいる」「福音派の方がアメリカのユダヤ人よりイスラエルを愛している」と発言しました。ユダヤ系アメリカ人はこうした言葉に反ユダヤ主義の響きを感じ取り、不安を覚えています。


福音派の終末論では、ユダヤ教徒の聖地再集住後にイエスが再臨し、大戦争や大地震など「大いなる苦難」に見舞われます。ユダヤ人の一部は改宗してキリスト教徒になり、改宗しない多くのユダヤ人は死ぬとされています。福音派の黙示思想には、キリスト教の生みの親であるユダヤ教徒をキリスト教に改宗させたいという願望が秘められているのです。戦後の福音派の巨人グラハム師は1960年にイスラエルを初訪問した際、ユダヤ人への宣教はまったく意図していないと強調しました。

ユダヤ人の側はキリスト教徒の福音宣教を警戒しています。トランプが親イスラエル政策を取ったのは福音派への配慮が大きな理由でした。ユダヤ系アメリカ人がトランプへの警戒心を解かないのは、ユダヤ人の「改宗か死」を預言する神学に立つ福音派を信じきれないことに一因があります。

(船津 靖 : 広島修道大学教授)