地獄の一丁目で安らかに眠った翌朝(トルクメニスタンで筆者撮影)

外国のとんでもないトイレ、各国の国境職員や交通を取り締まる警察官との飽くなき闘い、車の残骸が転がる地雷地帯――。

新著『今夜世界が終わったとしても、ここにはお知らせが来そうにない。』は、リモートワークをしながら世界中を旅する夫婦が、楽園(移住先)を探すため、軽自動車とともに南アフリカを目指す旅の記録です。

放浪して9年、いまだ日本に戻れていない事情とは…

同書から一部を抜粋し、3回にわたってお届けします。

最終回の舞台はトルクメニスタンです。

第1回:『サハリン島「ギネス級に親切」おじさんと北の果て』

第2回:『中央アジア「ATMと米ドル」使えない国・使わない国』

トルクメニスタンのビザをあっさり取得

キルギスで3週間ストーカーのように電話をしてももらえなかったトルクメニスタンのビザは、ウズベキスタンでするっととれた。二重請求は問題なかったようである。

いっときはパンツを脱ぐ覚悟までしたビザ騒動だったわりに、滞在はたったの5日間しかない。トルクメニスタンはケチだから、6日以上旅行したいならガイドを雇えと言うのだ。もっともうちだってケチだから、そんなお金は払わんのである。

でも、5日もあれば十分。行かないと後悔しそうな観光地は「地獄の門」くらいしかない。幸いなことに、ほかの観光地はひとつも知らないし、調べたくもない。次の目的地イランまで700キロ。距離的にも3日もあれば楽勝だった──、のだ、昨日までは。

というのも、わが家の旅の法則に「国境を越えるとき、仕事が舞い込む」というのがあって、ズバリ昨日、日本から“超特急”の指令が下ってしまった。

となると、できるだけ早くインターネットを手に入れなくてはならない。

国境を越えて、両替えをして、ガソリンを入れた今は土曜日の夜。あたりを見渡しても一軒もお店が開いていないから、スマホのSIMカードは買えそうになかった。

首都へ向かってミッドナイトラン

トルクメニスタンは町らしい町があまりないみたいで、確実にインターネットをするとなると首都まで行かないと無理そうだ。

Yuko、首都のアシガバートまで何キロあるかな?

「600キロくらい」

そんなに遠いのかあ。明日の朝から走ったんでは、月曜日の仕事に間に合わないかもしれない。困ったなあ。どうしよう。

「じゃあ、今晩走るっていうのはどう?」

「ちょうどね、中間地点に地獄の門があるし」

なにが“ちょうど”なんだかよくわからないけれど、旅の家訓「海外では暗くなったら運転しない」的にあずましくない(北海道の方言で落ち着かないの意)よね?と言おうとしたら、

「地獄を見るなら、夜だよね」

まったくもっておっしゃる通りだと思い、ミッドナイトランが決まってしまった。

正直言うと、独裁国家の闇を駆け抜けるというのはいかがなものかと不安でならない。 けど、もし納期に間に合わなかったら、閻魔様より怖いクライアントに地獄に突き落とされる。そっちのほうがいやだ。

幸い、南へ下る道は明るかった。

強盗が隠れられないくらい街灯がぎらぎらと輝いていた。電気代を無料にしても電気が余るらしく、無駄に街灯を明るくして消費するとはさすが産油国である。と感心していたら、突然、真っ暗になった。街灯は町のなかだけだったのだ。

でも暗くてもさほど気にならなかったのは、アスファルトの質がすこぶるいいからだ。 シワひとつなく、いぶし銀的に黒光りしている。タイヤに吸い付くように滑らかだ。

アスファルトの原料はオイルだから、これもまた産油国の賜物である、と褒めていたら、ガタガタ道になった。懊悩に満ちた深いシワが刻まれていて、ときどき穴が空いている。暗いから、落ちる寸前まで存在がわからないという立派なトラップとして。穴に落ちては、その衝撃にChin号が壊れたんじゃないかと肝を冷やした。

強盗は隠れていまいかと左右の闇を睨みながら路面の穴をまさぐり、木一本生えていない土漠の一本道をひた走った。

地獄の門が見つからない

地獄の門にほど近い集落、ダルヴァザに着いたときには夜中の1時をまわっていた。粗末な建物がふたつみっつ見えるだけで、周囲360度、闇しかない。

これが日本なら、近づくにつれて「地獄まであと5キロ」とか、「おいでやす、地獄へ」とか、地獄の門ならぬ、地獄の戸、窓、塀、庭と類似品が並んでいて賑わっていそうなものだけど、ひとつも看板がない。豆電球すら灯っていない。

「夜の地獄ツアー」なるものもないようで、ひとっこひとりどころか、生きとし生けるものすべての気配がないのだ。

はて、困った。どこに地獄があるのだろう?

わざわざ日本から軽自動車で訪ねてくる人がいるくらいの観光地だというのに、案内のひとつもないとは思わなかった。

「スマホの地図だとね、10キロくらい南に行くと、左側に点線が延びてるよ」

「線の横に、To Fire Craterって書いてある」

それって、訳すと“火の穴”だよね。地獄の門は確か、地面に空いた穴だ。そこにガスが溜まって危ないから、火を点けたんだって。それだよきっと。

さっそく地図アプリの点線道を探してみた。けど、これがどういうわけかみつからない。一本道を何度も行ったり来たりしたけれど、ヒントらしき石ころも足跡も三途の川も何もなかった。すっかり地獄なんてどうでもよくなったころ、

「もしかして、あれかも」

Yukoが指さしたのは、ひと筋のタイヤ痕だ。

ヘッドライトで照らすと、土漠の奥へ延びている。

地図アプリによると、その先は点ひとつ記載されていない空白地帯だった。さっき探していた点線とは離れているから、残念ながら別物みたいだ。

うーむ、悩む。

とりあえず、落ち着いて考えよう。

まず、これは轍である。かなり薄く頼りない。どう見ても道ではない。あえて言うなら、誰かがう○こをするためにひと目につかないところを探したって感じだ。

しかしだ、方角的には地獄の門に向かっているようでもある。

点線ルートより近道になるから、けっこうイケるような気がする。 でもだ、よーく考えてみよう。

近道なのに道じゃないとしたら、道にならないってことではないだろうか? 実は、途中で崖になっているとか。

地溝帯が横たわっているとか、それこそ穴が空いているとか。これは罠かもしれない!

と気づいた鋭いボクだが、Yukoを見たら少しも気にしている様子はなかった。ぐずぐずしてないで、さっさと行けよって顔をしている。

あ、そうですかとハンドルを握り直し、粛々とタイヤ痕をたどることにした。突然穴があっても落ちないように、そろりそろりと抜き足差し足忍び足の低速運転で。

道が徐々に砂漠になっていく

一筋の轍は進むほどに枝分かれし、本数が増えてきた。一本一本が色濃くくっきりとしてきた。しかし、喜んでいる場合ではないのである。簡単に地獄へ行けるほど、世の中は甘くはない。土漠が徐々に砂漠になっているだけ。砂が柔らかくなったぶん轍が深くなったのだ。

だからほら、タイヤがよく滑るようになってきた。ずるるるーっと。まずくね?

こんなところで砂に埋まったら、幹線道路から離れているから、誰も発見してくれないよね? もし砂嵐がきたら、轍が消えて遭難だ。もれなく涅槃ゆきだ。

すでに地獄の一丁目まで来たようで、ボクらの命は風前の灯になってきた感があった。よく考えよう、命をかけてまで頑張ることはないだろう。地獄はいつでも逝ける。引き返すことにした。

幹線道路が見える娑婆まで戻って、その夜は、車のなかで安らかに眠ったのである。すでに300キロも走ったから、仕事はなんとかなりそうだということにして。

茶屋のオヤジのJeepで突破

翌朝、目が覚めたら腹が減っていた。

地獄へ行くのに何も急ぐことはなかろうと、茶屋まで戻り、腹ごしらえをすることにした。

茶屋のオヤジに、

「うちの車、砂に弱いんだけど、地獄の門のあたりってどんなですかね?」 と訊いてみた。

「普通の車じゃ無理だ。砂に埋まって動けなくなるぞ」

「あんたの車ってあれか? あれじゃあ、絶対に埋まる」

「このあたりじゃ、俺のJeepだけだな、あそこに近づけるの」

「悪いこと言わねーから、俺のJeepに乗ってけ。安くしてやっから」。やっぱり砂が深いのか。

日本の閻魔様には、地獄で砂に埋まったから納品できませんでした、と言っても理解してもらえるとは思えないから、オヤジのJeepに乗ることにしよう。

ご自慢のJeepは、一度もスタックすることなくがんがんと土漠を突き抜けた。

「地獄」の名に恥じない観光地

トルクメニスタン観光のハイライト「地獄の門」は、真っ平らな大地に、唐突にぽっかりと口を開けていた。

恐ろしい。

これは本当に恐ろしい。

こんな大きな穴が看板も柵もなく、結界のカケラもなく空いているなんて、単なる落とし穴じゃないか。昨夜、もし火が消えていたら、間違いなく落ちていた。

文字通り地獄行き。その名に恥じない観光地である。


しかし思うに、確かに火は燃えていたけれど期待したほどに萌えなかったのは、柔らかな朝の日差しがかかっているからに違いない。

業火は、天国の絹のように穏やかに揺れていた。

こんなにもほっこりと優しい気持ちになったのでは、血も湧かないし肉も躍らない。痛くも痒くも臭くもない。まるでシズル感がないではないか。

看板はないにしても、看板に偽りありである。

と言いたくなければ、これから行く人はぜひ夜を目指してほしい。轍をたどると着くと思う(う○こを踏むかもしれんけど)。

そしてもし茶屋でJeepを見かけたら、伝えてほしい。その車、トヨタのカムリだよって。

(石澤 義裕)