全国交通系ICカードから離脱する方針を示した熊本市電(記者撮影)

日常的に電車やバスを使う人ならほとんどが持っているであろう「交通系ICカード」。2013年にJR東日本のSuica(スイカ)やJR西日本のICOCA(イコカ)など全国10種類の交通系ICカードの相互利用が始まり、1枚のカードで国内各地の交通機関に乗れるようになった。

その交通系ICカードの「縮小」ともいえる動きが話題となっている。熊本県内のバス・鉄道5社は5月下旬、2024年内にスイカなど全国交通系ICカードの取り扱いを終了し、代わりにクレジットカードのタッチ決済を導入すると発表した。広島県でも、県内の交通機関で使えるICカードが2025年春に姿を消し、一部の会社はQRコードを使った新システムを導入する。

一方で、新たに全国交通系ICカードを導入する地域もあり、交通系ICカードをめぐる動きは一様ではない。

「全国交通IC」離脱する熊本の事情

2024年内に全国交通系ICカードの取り扱いをやめるのは、熊本県内でバスや電車を運行する九州産交バス、産交バス、熊本電気鉄道、熊本バス、熊本都市バスの5社。一度導入した全国交通系ICのシステムから離脱するのは初といい、地元のみならず全国的に注目を集めた。

5社は全国交通系ICカードに代わる決済手段として、2025年春をメドにクレカタッチ決済を導入する方針だ。

ただ、「ICカードを完全にやめてクレカタッチ決済に移行する」わけではない。現在、各社のバス・電車では全国交通系ICカードのほかに熊本県内限定のカード「くまモンのICカード」が利用でき、こちらはサービスを継続する。

全国交通系ICカードの取り扱い終了を決めた理由は、システムの更新費用が高額なためだ。5社でつくる「共同経営推進室」の担当者は「コロナ禍で各社の経営が厳しくなったのが検討のきっかけだった」と話す。

バスは5社で約900台あり、全国交通系ICカード対応の場合は更新費用が約12億円かかるのに対し、くまモンのICカードとクレカタッチ決済であれば約6億7400万円に抑えられるという。

共同経営推進室の資料によると、5社のバス・電車の利用者のうちくまモンのICカードを使っているのは51%(2023年度)で、全体の半数を超える。これに対し、全国交通系ICカードの利用者は24%。各社が窓口などで販売しているのもくまモンのICカードだ。

今後もキャッシュレス決済の軸は地元のICカードで、クレカタッチ決済はそれを補完する役割という形になる。


熊本のバス・鉄道5社は全国交通系ICカードの取り扱いを2024年内に取りやめる(記者撮影)

市電はカードそのものが消える?

一方、2026年春をメドに全国交通系ICカードの取り扱いをやめる方針を示している熊本市電(熊本市交通局)の場合はやや事情が異なる。市電のICカード「でんでんnimoca(ニモカ)」は、スイカなどと同様に全国で相互利用できるカード、つまり全国交通系ICカードだ。取り扱いの終了は、現行のカードそのものの廃止を意味する。

市交通局が全国交通系ICカードから離脱する狙いは、システム更新費用の面もあるが「バス事業者(前記の5社)と共通の形にする」(担当者)という点だ。更新費用は全国交通IC対応のままだと約2億円、新システムに変えると約1億1000万円という。

市電の運賃支払いは全国交通系ICカードやくまモンのICカードのほか、2023年からクレカタッチ決済やQRコード決済にも対応しているが、市交通局によると利用の割合が高いのは全国交通系ICカードで、全体の約半数を占める。

定期券としても使えるでんでんニモカの利用に限らず、実は「スイカの利用が多い」と市交通局の担当者は話す。他地域からの来訪者だけでなく、地元在住でもスマートフォンアプリのモバイルスイカを使っている人が多いようだという。

これに対し、市交通局のアンケート結果(2023年度)によると、タッチ決算を使ったことがある人は回答者の約19%、QRコード決済は約10%に留まる。利用したことがない人の理由は「交通系ICカードのほうが便利」が最多だ。

利用者の多い全国交通系ICカードの廃止には反対の声も上がっており、市交通局の担当者は「(廃止の)方向性は示したが決定ではなく、市民の意見などを踏まえ議論して判断する」と話す。


広島はカードからQRコードへ

更新費用の面から、ICカードを新システムに切り替える動きはほかにもある。2008年から広島県内の鉄道・バス各社で利用できた交通系ICカード「PASPY(パスピー)」は2025年春でサービスを終了し姿を消す。パスピーは地域限定のICカードだが、同カードのエリア内では全国交通系ICカードが利用可能な仕組みだ。

パスピー終了の流れをつくったのは、広島市を中心に路面電車やバスを運行する広島電鉄(広電)だ。同社と日本電気(NEC)、レシップの3社はスマートフォンの画面に表示したQRコードを利用する乗車システム「MOBIRY DAYS(モビリーデイズ)」を開発、広電とグループ会社の計4社で9月(一部は先行して7月)から導入する。

モビリーデイズは乗車データなどをクラウド上で処理し、車両に搭載した機器では高速な計算処理を行わない仕組みで、従来のICカードよりもコストダウンが図れるという。スマートフォンを持たない人向けには、同システムで使える新たなカードを用意する。

費用については非公表だが、広電の広報担当者は「ICカードシステムの更新費用がかさむことが新システム導入の狙い」と説明する。具体的に決まった内容はないというものの、割引などのサービスがICカードより設定しやすい柔軟性も導入理由の1つだ。

ただ、完全にICカードが消えるわけではなく、全国交通系ICカードも別の端末を設置して引き続き利用可能だ。また、パスピー終了に伴う新たな決済手段として、モビリーデイズではなくJR西日本のイコカに切り替える事業者も目立つ。QRコード決済の新システムがどこまで拡大するかは未知数だ。

ここまで挙げた事例では、クレカタッチ決済などの新たな決済手段に押されているようにも見える交通系ICカード。だが、実際には全国交通系ICカードのエリアは広がっている。

2024年に入ってからも、これまで独自のICカードのみだった岐阜バス(岐阜県)で、3月から全国交通系ICカードが利用可能に。​伊予鉄道(愛媛県)の路面電車も同月から全国交通系ICが使えるようになった。さらに同鉄道は現行の独自カード「ICい〜カード」を2025年9月に終了し、全面的にイコカに切り替える予定だ。

また、地域独自のICカードが全国共通型に「進化」するケースもある。2012年に登場し、長野市と周辺市町村のバスで利用できるICカード「KURURU(くるる)」は、2025年春からスイカの機能を備えた新たなカードに切り替わり、導入から10年以上を経て全国交通系IC対応となる。


地域独自のICカード「くるる」が使える長野の長電バス(記者撮影)

新しいくるるは、JR東日本などが開発した「地域連携ICカード」を導入する。これはスイカの機能と、地域独自のICカードが備える割引やポイント制度などの機能を1枚にまとめて搭載できるカードだ。2021年以降、JR東日本エリアで14種が発売されている。

このカードに切り替えることで高齢者割引などの独自サービスを維持できるほか、既存の機器更新ではなく「新規のシステム導入なら国庫補助があるので、費用面でもメリットがある」(長野市交通政策課)として導入が可能になったという。

やっぱり強い交通系IC

全国の交通機関に広がりつつある​クレカタッチ決済。都市部の大手私鉄や地下鉄をはじめ、地方のバス会社なども訪日客に対応したキャッシュレス決済手段として導入する事例が増えている。QRコードを利用したシステムの拡大も含め、これまで電車やバスの利用では「一強」だった交通系ICカードの立場が変化しつつあることは確かだろう。

だが、全国相互利用の利便性やスムーズなタッチ操作など、多くのユーザーが慣れ親しんだ交通系ICカードの優位性はやはり高い。一方で、経営環境が厳しさを増す地方の交通事業者にとっては、システムの更新費用が大きなネックとなる。

現状では「新たな決済手段がICカードを凌駕する」というよりは、用途によるすみ分けの状態にあるといえそうだが、一度導入した全国交通系ICの取り扱いをやめる熊本の動きは、今後の交通機関キャッシュレス決済の動向に少なからず影響を与えそうだ。


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(小佐野 景寿 : 東洋経済 記者)