「大谷翔平」にたとえて日銀の政策変更を説明する
日銀の政策変更を、「大谷翔平選手の移籍」にたとえてわかりやすく解説します(写真:共同)
「お金の本質を突く本で、これほど読みやすい本はない」
「勉強しようと思った本で、最後泣いちゃうなんて思ってなかった」
経済の教養が学べる小説『きみのお金は誰のため──ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」』には、発売直後から多くの感想の声が寄せられている。本書は「読者が選ぶビジネス書グランプリ」総合1位を獲得、19万部を突破した話題のベストセラーだ。
著者の田内学氏は元ゴールドマン・サックスのトレーダー。資本主義の最前線で16年間戦ってきた田内氏はこう語る。
「みんながどんなにがんばっても、全員がお金持ちになることはできません。でも、みんなでがんばれば、全員が幸せになれる社会をつくることはできる。大切なのは、お金を増やすことではなく、そのお金をどこに流してどんな社会を作るかなんです」
今回は、日銀が廃止を決めたYCC(イールドカーブ・コントロール)とは何か、廃止することでどんな影響が予想されるのかを、「大谷翔平選手」にたとえて解説してもらう。
日銀YCC廃止を「大谷翔平選手」でたとえてみると
3月19日、日銀は17年ぶりの利上げに踏み切った。マイナス金利を撤廃し、短期金利の誘導目標を0%から0.1%にした。そして、長期金利を抑え込んでいたYCC(イールドカーブ・コントロール)と呼ばれる金融政策を終了する。
住宅ローンなど、多くの人にとって影響を与える金利。17年ぶりの政策転換で何が起きるのか不安になっている人も多いことだろう。
そもそもYCC(イールドカーブ・コントロール) とは何なのか。金融機関で働いている人でも理解できている人は一握り。この単語を聞いたことすらない人もほとんどだ。
ところで、連日メディアを賑わしている大谷翔平選手の「カーブのコントロール」はすごいらしい。カーブの最大落差は193センチあるそうだ。
今回は、その大谷翔平選手の移籍を例にして、YCCの終了がもたらす生活への影響について説明しようと思う(信じられないことに、筆者は「話題の大谷翔平選手の話を織り込んで説明してくださいよ」と担当編集者に無茶な依頼をされた)。
YCCの前に、まず短期金利の利上げから。
今回のマイナス金利撤廃によって、「無担保コールレート」と呼ばれる、銀行同士がお金を貸し借りするときの金利が0%から0.1%の間になるように、日銀は市場を誘導することになる。
それに伴って、銀行が日本銀行にお金を預けると0.1%の金利をもらえるようになった。その結果、多くの銀行で預金金利がほんの少し上昇した。
たとえば、三菱UFJ銀行は0.001%から0.02%に預金金利を引き上げた。とはいえ、1億円預金しても、1年間で2万円しかもらえない。利上げをしたといっても、まだ影響は軽微だと言える。
日銀は「大谷翔平選手の熱狂的ファン」のようなもの
では、長期金利はどうだろうか。これまで行っていたYCCというのは、長期金利を低く抑えるために10年ものなどの国債を日銀が購入していた政策だ。
国債と言われても多くの人には馴染みが薄いので、大谷選手を獲得したドジャースの観戦チケットで考えてみようと思う。
ロサンゼルスにあるドジャースタジアムで販売されているチケットには、大きく分けて2種類ある。1試合ごとに売り出される一般的なチケットと、1年分のシートを確保して観戦し続けることができるシーズンチケットだ。
大谷選手の移籍によって、チケットは飛ぶように売れているらしく、今シーズンは、全球団で1番の売り上げを記録しているそうだ。
ドジャースとしては、1年分のシーズンチケットを全席分、すなわち5万シート分売れれば、チケット販売に気を煩わせることがないのだが、そこまではシーズンチケットを売ることができない。また、今日だけ試合を観戦したいと思う人もいるだろうから、1日分のチケットも用意している。
さて、現在、政府は約1000兆円の国債を発行している。先ほどのドジャースの話に当てはめると、1兆円のシートを1000席分、売っているようなものだ。ドジャースのチケットでは、1日券と1年券があったが、国債(短期証券とよばれるものも含める)には、3カ月券や1年券、さらには10年など期間の長いチケットも存在している。
チケットを保有している人には特典がある。ドジャースのチケットでは野球観戦という特典がついているように、国債というチケットを保有していると、利息がもらえる(最後にはもちろん元本が返還される)。
30年や40年のチケットも近年、売り出されるようになった。これは、長期間にわたって安定的に利息をもらって運用したい会社(主に生命保険会社など)からの要望があったからだ。これは財務省にとってもメリットがある。こうした長期チケットを売れば、借り換えに悩むことが少なくなるし、将来支払う利息を確定することができる。
つまり、ドジャースが観客のニーズを探りながらシーズンチケットを売るように、財務省もさまざまな期間のチケットを売っているわけだ。
その際、利息によって売れ行きは変わる。10年国債の利息を1%に設定しても、チケットが売れなければ、1.5%、2%に引き上げる必要がある。
ところが、YCCが導入されていると「1%超えたら、僕がチケットを無制限に買うよ」と日銀が言ってくれるのだ。だから、政府は高い金利を支払わずにすんでいたし、購入する客のニーズを探らなくてもよかった。
そのYCCが終了すると、長期金利がかなり上昇するのではないかという懸念がある。シーズンチケットが余り、チケット代を安くしないと(=金利を上げないと)購入してくれなくなるという心配だ。
要は、これまで大量にチケットを買っていた熱狂的な大谷ファンがいなくなるため、その他のファンだけでは全席のチケットを購入するお金が足りなくなるのではないかと危惧されているわけだ。金利が上昇したときに一儲けしようと、外国人投資家が日本国債を空売りしているのもこの理由だ。
「購入するお金が足りなくなる」ことはない
しかし、それは杞憂に終わるだろう。国債を購入するお金が足りなくなることはないからだ。
政府が借りたお金は消えるわけではない。公共工事に使ったお金も、万博に使ったお金も誰か(会社)に支払われており、その人の銀行口座の残高が同じだけ増えている。その誰かが、さらにお金を使っても、そのお金は他の人の銀行口座に移るだけだ。
銀行が国債ではなく、株などの他の資産を買ったら、国債が買えなくなるという話もあるが、これも心配無用だ。他の資産を購入するときに支払われたお金は、どこかの銀行口座に振り込まれる。銀行には、国債を購入するお金が常に存在する。
つまり、必ずどこかの銀行が国債を購入するお金を保有している。これは米国債などの外国の資産を購入する場合も同じだ。
たとえば、A銀行が150億円を支払って1億ドルの米国債を購入する場合、A銀行は誰かからドルを購入する必要がある。1億ドルを売却したのがアメリカに本店があるB銀行だったとすると、アメリカにおいて、B銀行本店からA銀行NY支店に1億ドルが移動する。そして、150億円は日本国内にあるB銀行東京支店に移動するだけで、日本から消えるわけではない。
つまり、銀行には、政府が借りた金額(売り出した国債の金額)と同じだけのお金があり、国債は日本円の金融商品の中ではいちばん信用力のある金融資産だから、国債を売りさばけなくなるということは考えにくい。
大谷選手がいなくなっても、ロサンゼルス市民にとっていちばん好きな娯楽が野球観戦なのであれば、チケットを買いたいと思う人は引き続き存在している。しかし、買うかどうかは値段によるだろう。
最終的には「預金者の行動」が金利を決める
このように考えると、銀行が国債を買えなくなることはないが、問題は金利水準だ。どれくらいの金利であれば国債を購入するのか?
最終的には、これは僕ら預金者次第である。僕らが5%の預金金利をもらっても満足することなく、「その程度の金利しかもらえないなら、預金しないで使うよ」と預金を引き出すような状況になれば、金利は5%を超えることになる。
しかし、ありえるだろうか? これだけ老後に備えて貯めようとしている状況で、そんなことが起こるとは思えない。預金金利が1%ももらえるなら、喜んで預ける人がほとんどだろう。そうであれば、銀行が国債を買う金利水準もその程度になるだろう。
大谷選手がいなくなっても、ロサンゼルスの中でいちばんエキサイティングな場所がドジャースタジアムなら、チケットを買ってくれる人は存在している。それと同じようなものだ。
今回利上げした理由も、春闘で5%の賃上げを達成できたからだと言われている。たしかにこの数年物価も上昇して、一部の人の賃金は上がっている。しかし、これは景気がよくなったからだとはとても考えにくい。
実態は、輸入品の値上がりによって、国内の物価が上がっただけだ。国内の物価を上げた後に輸入価格が下がったことが、企業に利益をもたらして賃金を上げられただけで、景気が本当によくなっていると感じている人はほとんどいない。今後も5%上がり続けると思っている人は存在しないだろう。
国の信用力や格付けについて議論する人もいるが、エンドユーザーである預金者が気にしないかぎり、それが国債金利に反映されるとは思えない。
1つの気掛かりは財務省の対応だ。通常、長期チケットが売れ残りそうであれば、代わりに短期のチケットを増やすことで需要と供給のバランスをとる。
ところが、YCCが導入されていた期間は、市場のニーズをヒアリングする機能が失われていた。以前は生命保険会社などが、30年や40年のチケットを欲しがっていたが、今ではさほど必要なくなっているという話を聞く。
YCCを終了したところで、根本的には長期金利がさほど上がるとは思えないが、財務省のヒアリング機能が回復しなければ、金利が乱高下する可能性はありそうだ。
住宅ローン金利について心配する人も多いと思うが、アメリカのように5%に上がることはないだろう。
お金はただ移動しているだけで、増減しない
逆に、金利が上がれば、年金の運用利回りも高くなり、日本の未来が明るくなるという声もあるが、これはまったくの見当違いだ。
お金はただ移動しているだけ。金利が上がれば、年金基金の収入は増えるが、その高い金利を支払うのは国債を発行している財務省であり、国民から集めた税金だ。もらえる年金が増える分だけ、支払う税金が増えているに過ぎない。
小説『きみのお金は誰のため』では、経済全体におけるお金の流れについて、説明している。
以前の話を思い出して、優斗は後ろを振り向いた。ビリヤード台には、今も3つの玉が乗ったままだった。玉をどれだけ転がしても、玉の数が減ったり増えたりするはずはないのだ。
七海はまだ眉間にしわを寄せていた。
「お金の移動はわかります。ですけど、金利の分だけ、お金は増えるのではないでしょうか。日本は低金利ですが、預金していれば利息がつきますよね」
ボスは「いや」と一度首を横に振ってから説明を始めた。
「利息もまたお金の移動なんや。利息ってのは、銀行がもうけたお金を、預金者に払っているだけや。空中からパッと出てくるわけやない。金利の分だけお金が増えると思うのは、よくある誤解や」
七海は、意外そうな顔をしたが、しばらく考え込んで納得したようだった。
「投資銀行に入って、真っ先に金利について教わるので、金利の分だけお金が増えていくものだと思い込んでいました。全体の視点で考えていなかったです」
『きみのお金は誰のため』116ページより
金利の上昇によって、受け取るお金が増える人がいれば、支払うお金が増える人もいる。全体として重要なのは、経済活動がどのように変わるかだ。
日本銀行ができるのは、2%という物価目標に過ぎない。17年ぶりの利上げで盛り上がるのはいいが、実質賃金が減っている現状をどうにかする経済対策を考えないといけないだろう。
(田内 学 : 元ゴールドマン・サックス トレーダー)