「不適切にもほどがある!」3月15日に放送された第8話より(写真:ドラマ公式サイトより)

今シーズンのドラマ「不適切にもほどがある!」が話題だ。

先日放送された第8話(3月15日放映)では、“炎上”が起きる仕組みが的確に描写されていた。炎上した事象をどう評価すべきか? 炎上した場合にどういう対応を取るべきか? 本稿ではドラマをヒントに、炎上について知っておきたい点を論じてみたい。

ドラマで描かれた“炎上”のプロセス

ドラマの中で描かれていたのは次のような内容だ。

不倫スキャンダルで干されていた若手のアナウンサーが、復帰を企図して早朝のニュース番組に出演する。その際、SNS上に2件の批判的な投稿がされたが、それが「コタツ記事」としてネット上にアップされる。それがSNSで拡散し、その現象が新たなコタツ記事としてまとめられ、ネットに上がる。その記事で状況を知った、番組を見ていない人たちも批判をはじめ、最終的に番組スポンサーへの“不買運動”まで起きてしまい、アナウンサーはその番組にも出られなくなってしまう。

「コタツ記事」というのは、自身で取材を行わず、SNSやネットからの情報を集めて書かれた記事のことを示す。家から(取材に)出かけず、「コタツに入っていても書ける」ということから、このように呼ばれている。

手間やコストをかけずにアクセスを稼げるため、メディア側からすると効率はよいのだが、裏取りができていない真偽不明の情報が広がったり、ネタの盗用が起きたりもするため、弊害も大きい。

最近は、既存メディアの報道を切り貼りしてAI音声で解説を入れた「コタツ動画」とも言うべき動画がアップされ、話題の拡散に一役買うようになっている。ドラマの中では「きつねとうさぎの毒舌解説」という動画コンテンツとして登場している。

ドラマの中での描写には誇張やデフォルメはあるが、現在起こっている“炎上”のプロセスは、おおむねこのような感じだ。

「予言の自己成就」という言葉がある。人がある事柄について「そうなる」と思い込んでいると、その事柄が実際に実現してしまうという現象を示している。例えば、新型コロナウイルスの感染拡大時に「トイレットペーパーが品薄だ」という情報が拡散することで、買い溜めが起きて、店頭から本当にトイレットペーパーが消えてしまうといった現象がそれに当たる。

“炎上”についても、炎上とまでは言えない段階で“炎上した”と言われて騒がれることで、本当に炎上が起きてしまう――といったことが実際に起こっている。ドラマの中で描かれていたのも、まさにそうしたケースで、たった2件の批判的な投稿がきっかけで炎上が起きてしまっている(実際に2件程度の投稿で炎上が起きるケースは、筆者は見たことはないが‥…)。

筆者は、広告業界で電子掲示板、ブログ、SNS等の口コミを分析して、炎上対策を講じる仕事を10年以上にわたって行ってきた。その際には、対象とする事象について「何件の投稿があるのか?」「そのうち批判的な意見はどのくらいあるのか?」を分析して判断をする。コタツ記事の場合、そこまで口コミデータをしっかり読み込んで“炎上”だと判断して書かれていることは、まずないと言ってよい。

“炎上”が作為的に作られてしまうという問題

明確な炎上の定義があるわけではないが、100件や200件程度の批判的なコメントが出ていても、一般社会に対する影響力はさほど大きくない。したがって、その程度の話題量では炎上とは呼ばないのが一般的だ。

ところが、コタツ記事では、アクセス稼ぎのために「批判殺到」「炎上」「物議」といった刺激的な言葉を使って、起こった事態を解説する。状況を直接知っているわけでも、さほど詳しく調べたわけでもない第三者が「これは炎上だ」と解釈して、SNSで批判をして火に油を注いでしまう。

筆者の経験では、こうした事態が加速したのは、新型コロナウイルス感染問題の前後あたりからだ。

コロナ禍の2020年4月、テレビ放映されたアニメ「サザエさん」でゴールデンウィーク中の外出が描かれていたことが「不謹慎」とされて“炎上”が起きた。東京大学の鳥海不二夫教授(当時は准教授)の分析によると、この番組内容に関するX(当時はTwitter)上の批判的な投稿は少数だった。しかし、デイリースポーツがそれを“炎上”として報道(後で訂正はしたが)し、この記事が拡散されたことにより、炎上したのが事実であるかのようなイメージが定着していってしまったという。

ネットメディアは、この事例を真摯に受け止めることなく、依然として“炎上”を作り出し続けている。その傾向はさらに加速している。

ドラマの中身の話題に戻ろう。

山本耕史が演じるテレビ局のリスクマネジメント部長・栗田一也は、アナウンサーの不倫問題について、次のように語っている。

「もはやテレビが向き合う相手は視聴者ではない。見ていない連中なんです」

「見る人はまだ好意的、見ないで文句を言う人間には最初から悪意しかない。これがバッシングの実態です」

このセリフも、非常に現代の炎上問題の本質を突いている。

1. 問題とは直接関係がない第三者が声高に批判を行う

2. 批判をする人の多くは、事態を正しく把握・理解していない

3. 一見すると正義感から批判しているように見えても、裏側には悪意がある(あるいは日頃の鬱憤を晴らすために無関係な他者を叩いている)

というのが実際のところだ。


先日炎上した後、広告取り下げとなったキリン「氷結無糖」の広告(画像:キリンサイトより)

前に筆者が書いた、キリン氷結無糖の成田悠輔氏の広告取り下げ問題(キリン氷結「広告取り下げ」に見る"空気感の変化")についても、批判をしている人の大多数は、成田氏が問題発言を行ったとされるABEMA Primeの番組を視聴はしていないし、発言の文脈を踏まえてその内容が不適切か否かを判断しているわけでもない。「不買運動」を呼びかけている人たちも、実際に商品を買っている、あるいは買う可能性がある人たちなのか否かも定かではない(大半は購入者、購入予定者ではないと思われる)。

こうした“炎上”に対して、果たして当事者はどれだけまともに取り合う必要があるのだろうか?

“炎上”対応を講じる際の4つの視点

現代はコンプライアンスが重視される時代ではあるが、過剰な批判が起きて炎上に至ってしまう現状と、コンプライアンス社会とは区別して考えるべきだろう。

実際に“炎上”が起きた際には、次の4つの視点から対応策を講じる必要がある。

1. 問題の本質がどこにあるのかを再確認すること

2. 炎上の内容が問題の本質と関わることなのかを検討すること

3. 向き合うべき相手は誰なのかを整理すること

4. 真に向き合うべき相手に真摯に向き合うこと

まず、1と2について考えよう。批判が巻き起こると、それに右往左往してしまいがちだ。しかし、冷静になって批判の内容が本当に問題の本質を突いているのかを考える必要がある。当事者でもなく、事情を知っているわけでもない第三者の批判は、得てしてピント外れのことも多い。そうした批判を真に受けていては、身が持たない。

問題の本質が確認できれば、おのずから3の向き合うべき相手が誰なのか、4の向き合い方も見えてくるだろう。

ドラマで描かれていたアナウンサーの不倫問題は、究極的には夫婦間、あるいは家族内の問題である。家族内の問題が解決できているか否かが重要なことだ。一方で、アナウンサーは公共の電波を通じて多くの人々に情報を送り届ける役割を果たしているため、視聴者の反応も無視できない。

一方で、番組を視聴しておらず、批判だけをしている人たちの声をどれだけ真剣に受け止めるべきなのかは検討の余地がある。批判の声を集めていると、それが世論、すなわち世の中一般の人たちの意見であるかのように勘違いしてしまいがちだが、実際はそうでないことの方が多い。

SNS上の批判の声やコタツ記事は、広く拡散して問題が多くの人に知れ渡ってしまうことも多いので、決して無視してよいわけではない。しかし、それにあまりに影響されすぎてしまうと、問題の本質から外れ、問題解決からかえって遠ざかってしまうこともある。

上に述べた1から4のプロセスが重要であり、問題の本質からズレた批判や、世の中一般の声とも言えない意見に対応することは、二の次、三の次の課題である。

当事者ではない人たちも、悪意ある批判や、きちんと裏取りされていないようなコタツ記事に安易に同調したり、拡散したりしないように心がける必要がある。“炎上”に加担することは、自分たちにとってより窮屈で生きづらい社会を作ってしまうことに加担することでもあることを、肝に銘じておきたい。

また、メディアやプラットフォーム(SNS運営企業など)側、あるいは行政も不要な炎上を生み出したり、過度に批判を増幅させてしまわぬよう、具体的な対策を講じる段階に来ているのではないだろうか。

(西山 守 : マーケティングコンサルタント、桜美林大学ビジネスマネジメント学群准教授)