関連画像

写真拡大

連日のように報じられる子どもの虐待死事件。その陰には、ふだん光の当たらない人々がいる。虐待環境で命は失わなかったものの、何とか生き延びて大人になった「虐待サバイバー」たちだ。

2019年刊行の『わたし、虐待サバイバー』(ブックマン社)で自身の虐待被害とその後の人生を綴って以来、虐待サバイバーを取り巻く問題を発信し続けている羽馬千恵さんも、その1人だという。

羽馬さんは自身の過去を振り返り、「虐待を生き延びて大人になってからのほうが地獄でした」と語る。実は膨大な数いると推測される虐待サバイバーたち。彼・彼女らは今、何に苦しんでいるのか。どうすれば新たな虐待サバイバーの発生を防げるのか。羽馬さんに聞いた。

●虐待サバイバーは「棄民」になっている

――「虐待サバイバー」とは、子どもの頃に虐待から救われず、そのまま大人になった人たちのことですよね。彼らは統計上、どれくらいの数いると考えられるのでしょうか?

羽馬:はっきりとした数はわかりません。実は、国による調査がおこなわれていないのです。直接の数字はないので、子どもの虐待に関する統計を引用しながら状況を説明しますね。

以下は、児童相談所(児相)による児童虐待の相談対応件数を示したグラフです。子どもの数そのものは減っているはずなのに、対応件数は右肩上がりに増えていて、2021年現在は20万7659件にも達しています。

今は景気がよかった時代と比べ、貧困層が増えています。だから虐待が発生しやすい社会になっているのでしょう。とはいえ、これだけ急激に対応件数が増えているのは不思議ですよね。

実はこのグラフが右肩上がりになっているのは、ある出来事を機に、それまで表に出てこなかった児童虐待が可視化されやすくなった結果だと考えられます。きっかけになったのは児童虐待防止法です。同法が制定・施行されたのは2000年。そこから児相への通報が増え、対応件数が増えたと推測できるのです。

逆に言うならば、同法の施行前は児相への通報が少なく、そのために児童虐待の被害者も数字に反映されづらかったのではないかと考えられます。昭和の頃は現在よりも子どもの数が多かった時代ですよね。虐待されても児相にも通報されず、グラフから抜け落ちてしまっている人たち――専門用語で言うと「潜在的児童虐待被害者」は、膨大な数いるでしょう。

――虐待サバイバー全体の数を把握する調査はおこなわれておらず、その数は児童虐待相談対応件数のグラフにも反映されていない可能性がある。彼らは社会からは見えない存在となっているわけですね。

羽馬:そう、いわば「棄民」にされてしまっています。虐待サバイバーの多くは、長期にわたる子ども時代の虐待の影響で「複雑性PTSD」という重篤な精神疾患を抱えます。そして二次障害で依存症やうつ病、解離性障害、「第四の発達障害」とも呼ばれる発達性トラウマ障害などの病気になって、社会生活を営むのが困難になりがちです。

仮に子ども時代に児童養護施設などに保護されていれば、国が「児童虐待の被害者」と認めているも同然なので、大人になってからもアフターケアなどの福祉サービスが受けやすくなります。しかし、ひとたび保護もれとなれば、「虐待との因果関係が不明」とされ、公的支援や福祉サービスはほとんど受けられません。

その結果、追い詰められた虐待サバイバーはどうなるか。貧困状態に陥って生活保護を受給したり、人によっては犯罪を犯したり、自分の子どもを虐待してしまったりします。児童虐待の事例を見ていると、加害者自身が虐待サバイバーであるケースが非常に多く見受けられるのです。

こうした負の連鎖を断つには、虐待被害に遭っている子どもの保護もれをなくすと同時に、大人になった虐待サバイバーにもケアを提供するのが早道だと私は考えています。でも現在は、虐待被害を受けた子どものごく一部を支援しているだけですよね。「なぜ虐待が起きるのか」という原因に目が向いていない証拠だと思います。

●虐待の疑いがあっても保護される子どもはたったの2%程度

――現在起きている虐待、そして虐待サバイバーの問題を考えるうえでは、「社会的養護(※)への保護もれ」が1つのキーワードになるわけですね。

※社会的養護:保護者のいない子ども・保護者に任せるのが適切でない子どもを公的責任で社会的に養育・保護すること。児童養護施設や里親が受け皿となる。子どもの養育に大きな困難を抱える家庭の支援も「社会的養護」の範囲に含まれる。

羽馬:はい。しかし虐待の疑いがあっても、保護される子どもは非常に少ないのが現状です。まず、国が児童虐待の相談にどう対応しているか説明しましょう。現在は児童虐待の通報があると児相が介入し、保護の必要がありそうな場合には、子どもを一時保護します。そして、原則2カ月内以内に児童養護施設などへ入所させるべきか判断することになっています。

この一時保護の段階で児相が適切に判断できているかというと、決してそうではありません。2019年に千葉県野田市で亡くなった当時10歳の栗原心愛(みあ)さんのように、虐待がひどくて殺される危険のある子どもでも自宅に帰されてしまうケースが多いのではないかと考えられます。

――社会的養護への保護からもれている子どもたちは、どれくらいの数いると考えられるのでしょうか。

羽馬:これには統計があります。資料を引いて説明しますね。以下は児相が受けた児童虐待相談対応件数のうち、何%が施設入所などの保護につながったかを示す図です。

この図によると、2020(令和2)年の児童虐待相談対応件数は20万5044件。うち一時保護されたのは13.4%にあたる2万7390件。施設入所などの保護につながったのは、わずか2.1%の4348件です。児相にも通報されていない虐待が未発見の潜在的児童虐待被害者の数も考慮するならば、児童養護施設等に保護される子どもの割合は2%よりもっと低いと予想されます。

――つまり「虐待された子どもたちのほとんどが保護を受けられていない」という現実がある……。

羽馬:はい。「児童虐待被害者の98%は児童養護施設等への保護からもれている」と捉えてもおかしくない状態です。世間ではこうした実態が知られておらず、「児相に通報すれば安心」「虐待を受けた子どもはみんな施設に保護される」とみなされていますが、決してそうではありません。

虐待を受けた子どもが保護もれになると、どうなるか。大人になるまで虐待家庭から逃れられないため、のちに虐待の後遺症である複雑性PTSDになる危険性が高まります。この病気の原因は、長期間にわたって逃れられない状態で、反復的な被害を受けること。発症するのは虐待環境から離れた大人になってからです。

複雑性PTSDの治療法はまだ確立されておらず、すぐ治るわけでもありません。ですから、未然に防ぐのが一番です。

施設職員の方に聞いたところ、虐待被害の発見が遅れて保護される年齢が思春期以降と高くなってしまうと、複雑性PTSD発症の危険性が高まるといいます。だとすれば、できるだけ早い段階で保護し、虐待環境から引き離す必要があるでしょう。

よく「児相もそうしたいと望んでいるけれど、子どもの入所待ち件数が多くて対応できない」という話を聞きます。でも、その状態は国が作り出しているわけですよね。まずは予算を広げ、被害者を保護する体制を整えてほしいです。

●80代で「自分は虐待の被害者だったのだ」と気づく虐待サバイバーも

――複雑性PTSDは難しい病気なのですね。一度なってしまうと、すぐには治らない。

羽馬:精神科にかかっても発見されづらい状態が長らく続いていました。病院ではWHO(世界保健機関)による「ICD」という病気の分類が診断基準に使われています。そこに複雑性PTSDが載ったのは「ICD-11」からです。同分類の公表は2018年6月、発効は2022年1月。つい最近まで、診断基準すらなかったのですよ。

もちろん優秀な精神科医は「虐待を受けるとさまざまな障害が出る」と以前から知っていました。でも診断基準に頼っている大半の医師は、それに気づかなかったわけです。今も状況はあまり変わらないかもしれません。

だから虐待サバイバーたちも、自分の困難がどこから来ているかわからず、苦しみ続けてきました。私自身のことを振り返ると、虐待を受けていた子ども時代よりも20〜30代半ば、大人になって複雑性PTSDを発症してからのほうが、はるかに地獄でしたね。

複雑性PTSDの二次障害で父親的な人に愛情を求める愛着障害になり、自殺未遂による医療保護入院をし、就活に失敗したのち25歳で生活保護を受け……。助けを求めて精神科を受診しても、適切な診断がされないばかりか、看護師に「病気ではなく性格の問題」と切り捨てられました。何も解決策が見つからず、味方は皆無で、周囲からは異常者扱いされる。すさまじい孤独感が長期間にわたって続きました。

――ご自身では「この生きづらさは虐待からきている」と気づかなかった?

羽馬:はい。実は虐待サバイバーが「自分は虐待の被害者だ」と気づくまで、意外と時間がかかります。多くの方は30代、40代になってから。私自身が自覚したのは30歳のときでした。私の本の読者には、70代、80代になってから自分が虐待サバイバーだと気がついたという方もいます。

もちろんみんな「自分の家庭は変だ」とは思っているけれど、それが「虐待」だったとは気がつきません。子ども時代に何らかのかたちで保護されていれば、第三者が「あなたは虐待を受けたんだよ」と言ってくれたり、自分と似た経験をした当事者に出会ったりして、もっと早く虐待の被害者だと自覚できたのではないかと思います。

●苦しんでいる虐待サバイバーに支援を

――虐待サバイバーの多くは生活上の困難を抱えていても、社会的養護への保護もれが原因で国の支援対象にはなっていないわけですよね。今後どのような支援ができれば助けになりますか?

羽馬:まずは治療の支援をしてほしいです。複雑性PTSDに理解のある精神科医や心理士を増やす。そして「虐待が原因だ」と診断できる状態にあれば、保険または無料で治療が受けられるようにする。トラウマに効くとされる治療法はいろいろあるのですが、そのほとんどは保険が効かず、1回1万円以上します。虐待サバイバーには貧困状態の人が非常に多いため、現在は諦めざるを得ない場合も多いです。

加えて、経済的な支援があるといいですね。いくら治療を受けても食費にも困るような貧困状態に陥れば、劣悪な労働環境でも働き続けなければならず、病状が悪化してしまいます。現在は「複雑性PTSD」という診断名では障害年金はあまり認められないと聞きます。これを変更して虐待の後遺症と診断されれば障害年金の対象にする、もしくは新しい制度でもいい、何年か休んで治療に専念できるような経済的支援ができていけばと考えています。

それから、スキル習得に関する支援がほしいです。虐待サバイバーの多くは、コミュニケーションや社会で生きていくためのスキルが非常に低い状態です。ハローワークがやっている職業訓練のように、いったん働くのを休んで技術習得ができる制度があればと考えています。そうすれば、早く安定して働けるようになる人も多いのではないでしょうか。

――羽馬さんは今後どのような活動をする予定ですか?

羽馬:複雑性PTSDと社会的養護への保護もれ問題を啓発するため、虐待サバイバー・パレードを名古屋で開こうと、仲間と一緒に準備を進めています。

名古屋には虐待に関心のある方が非常に多く、児童虐待防止を訴えるオレンジリボン運動が盛り上がっています。しかし、残念なことに「虐待の被害者は子どもだけ」と考えている方が大半です。そこでパレードを開催し、大人になった虐待の被害者――虐待サバイバーの存在を知っていただきたいと思っています。

今年12月には、パレードへの参加を呼びかけるシンポジウムを名古屋で開催します。シンポジウムもパレードも、当事者だけでなく、関心を持ってくださる方ならどなたでも大歓迎です。詳細が決まったら、X(Twitter)やnoteを通じてお知らせします。どうぞ奮ってご参加ください。

●情報

・羽馬千恵さんX(Twitter):https://twitter.com/haba_survivor

・羽馬千恵さんnote:https://note.com/haba_survivor

・羽馬千恵さんがChange.orgでおこなっている署名活動: 虐待を受けたすべての人が適切なトラウマ治療を受けられることを求めます!

・シンポジウム「見過ごされた子供たち(仮)」概要
日時:2023年12月3日(日)14:00〜16:30
場所:ウィンクあいち(※追って申し込み受付を開始)