「円安の終わりはアメリカ次第」という思い込み
ジャクソンホールでも日米欧の中央銀行総裁のスタンスは分かれた(写真・Bloomberg)
早いもので夏が終わろうとしている。
年初に支配的だったドル円相場のシナリオは、「早ければ3月、遅くとも5月にFRB(アメリカ連邦準備制度理事会)の利上げは停止。夏を境に利下げ機運が高まり、これに伴って円高・ドル安が進む」といったものだった。
現実はまだ利上げも円安も続いており、円安に至っては加速している。すぐに反転したものの、8月29日夜には年初来高値である1ドル147円を突破した。
なお、「早ければ3月、遅くとも5月にFRBの利上げは停止」という見通しは筆者も同様であったが、同時に「利上げ停止の直後に利下げが議論されるわけではない」といった主張を続け、米金利が円高のトリガーをひくという想定には否定的な立場を示してきた。
「FRB頼み」で円相場を見通す危うさ
現状の為替市場を見渡すと、いまだに「米金利低下と共に円高になるというシナリオが後ずれしているだけ」という論調は多く、「FRB頼み」の風潮は強い。だが、そのようなシナリオメークはやはり同意しかねる。
確かに円安のピークアウト時期を見極めるにあたって、米金利と円相場の関係性に着目することは有用だと思う。歴史的にもそれは奏功してきた。
しかし、そうした米金利動向に依存した円相場見通しでは「なぜここまで大幅な円安が進んでいるのか」という根本的な問いに答えられないように思う。
主要通貨の年初来の対ドル変化率を見ると、円(マイナス11%)よりも下落幅が大きい通貨はロシアルーブル(マイナス33%)とトルコリラ(マイナス42%)、そしてアルゼンチンペソ(マイナス97%)しかない。
アルゼンチンペソは図表が崩れるので掲載を控えた
G7に所属する国・地域の通貨(英ポンド、ユーロ、カナダドル)はほぼ対ドルで横ばいか上昇しているので、日本という国の属性(先進国)を考えれば明らかに異質な立ち位置であることがわかる。
1ドル=152円の昨秋より安い
しかも、この構図は2022年から1年半続いている。
日本では円安の理由として「アメリカの利上げが長引いている」という事実が持ち出されやすいが、そもそも2023年はドル高ではないのでその説明は不十分である(詳しくは2023年8月17日配信のコラム『「どうせ円高に戻るはず」という時代遅れの発想』をご参照)。
むしろ、ここまで「円独歩安」のような状況が続いている以上、日本側の要因に関心を向けるのが普通の分析姿勢ではないのか。
ちなみに主要貿易相手国に対する円相場(いわゆる実効相場)の変化率を見ると、名目・実質の双方で年初来はもちろん、1ドル152円に迫った昨年10月と比較しても下落している。
アメリカを含めた主要貿易相手国通貨に対して継続的かつ広範囲に売りが続いているというのが円相場の現実である。アメリカの情勢は言うまでもなく重要だが、日本の情勢を理解する必要性も確実に高まっている。
なお、あくまで杞憂に過ぎないものだが、一応紹介しておきたい論点がある。
年初来で円よりも下落幅が大きかったロシアルーブル、トルコリラ、アルゼンチンペソはいずれも高インフレで購買力が毀損している通貨の代表格である。それは恐らく為替に詳しくない読者でも知っているのではないか。
日本のインフレは米欧に近づいてきた
日本がその仲間に入っているとは思わないが、現時点で消費者物価指数(CPI)の上昇率はアメリカを上回り(ユーロ圏にも肉薄し)、それでもマイナス金利を堅持する方針を示していることが、インフレ抑制という観点から不安を抱かせ、円売りにつながっているという説は一応筋が通っている。
特に日本の事情がよくわからない海外市場参加者からすれば腹落ちしやすいテーマだろう。
ジャクソンホール経済シンポジウムの日米欧中銀総裁の言動を見る限り、「タカ派の欧米 vs. ハト派の日本」という構図は今後1年で簡単に変わりそうにない。とすれば、「日本はインフレを制御できるのか」が海外市場を中心としてにわかにテーマ視されるような展開には構えておきたい。
もちろん、今はまだ話半分以下でよく、リスクシナリオとしてもマイナーな部類だが、頭の片隅には置いておきたい論点である。
日本側の要因を主体として先行きを分析した場合、行き着くところは日本だけマイナス金利であることや、需給環境において外貨流出が大きくなっているという従前から言われている事実である。
金利と需給。いずれの理由を重く見るかという点は論者により異なるものの、FRBが利上げを停止して、いずれ利下げ転換する動きがあったとしても、それで日銀がマイナス金利解除に至る理由はないし、もちろん貿易収支やサービス収支の赤字が小さくなったりする理由もないだろう。
ゆえに円相場の現状や展望を検討する際、FRBの挙動は目先の方向感を多少規定することはあっても、「かつてのような円高に戻る」と主張するには材料として不十分だというのが筆者の認識である。
「日米金利差」で語る限界
言い方を変えると「アメリカ要因だけでかつての円高を取り戻すのは難しい」という話である。
この点、「日本は経常黒字国だからいずれ円高に戻る」という主張はいまだ目にするが、「会計上の黒字」と「実務上の赤字」を混同してはならない。黒字の源泉となっている第1次所得収支は外貨のまま再投資される割合が大きく、黒字が額面通りの円買いを意味しない可能性を直視すべきだ。
FRBの政策運営の方向感(タカなのかハトなのか)といった論点、いわゆる日米金利差の拡大・縮小に応じて先行きを読もうとするアプローチは「円安のピークアウト時期」を特定するには有用かもしれないが、「1ドル=120〜140円のレンジが常態化してしまったドル円相場」、もしくは実質実効為替相場などに象徴される「安い日本」の背景を解き明かすにはさほど役に立たない材料である。
日米金利差はシナリオの方向感を、需給環境は円相場の地力を規定する論点と考え、展望を作っていきたいと思う。
(唐鎌 大輔 : みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト)