人は、なぜ「さみしい」という感情に苛まれてしまうのか(写真:Pangaea/PIXTA)

コロナ禍を経て「ソロ活」がすっかり市民権を得た一方で、この数年で人とのつながりが希薄になり、ひとりで過ごすことに苦痛を感じたり、強い孤独感やさみしさを抱えていたりする人も増えているといいます。

私たちは、なぜ「さみしい」という感情に苛まれてしまうのか。脳科学者・中野信子氏の著書『人は、なぜさみしさに苦しむのか?』より一部引用・再編集して、人類とさみしさの関係を脳科学や生物学の観点から解説します。

さみしさは「人間が生き延びるため」の仕組み

さみしいという感情は、誰のなかにも存在します。

大人になってからあまりさみしさを感じなくなったという人も、おそらく子どもの頃は、一緒にいたはずの両親からはぐれてしまったり、突然ひとりぼっちになったりするとさみしくなり、不安で泣いてしまったという経験があるのではないでしょうか。

なぜわたしたちには、さみしいという感情が生じるのか――。

この問いに対しては、脳科学や生物学の観点から、さみしいという感情には人が進化するうえで、なにかしらの役割があったからだと考えられます。

さみしいという感情は、人という社会的な生物にとって必要不可欠なものであり、ときに強い痛みを伴うほど強力に発動させることで、人という種を存続させ、進化を果たしてきたと示唆されます。

赤ちゃんや幼い子どもは、母親の姿が見えなくなったとたんに泣き出し、抱きかかえられると泣き止むことがあります。ひとりでは生きられないほど未熟な状態であるため、自分を守ってくれるはずの存在がそばにいないことは、いわば大きな生命の危機にさらされている状態です。その危機をさみしさというシグナルで敏感に感じ取り、誰かに守ってもらえるように大声で泣くことで、まわりに知らせていると見ることができるでしょう。

そう考えると、さみしさは危険や危機を予測する防御反応であると同時に、「生き延びること」を強く欲する力の淵源でもあるといえそうです。

わたしたちが「現代社会」と呼ぶいまの世界は、人の進化の過程においては、ほんの一瞬の出来事、それこそまばたきするような期間に過ぎません。人類は、これまで多くの時間で集団をつくり、狩りをして過ごしてきました。初期の人類は、単独でいるよりも集団でいるほうが生存の可能性が極めて高く、共同体や組織などの社会的集団をつくることで生き延びてきたのです。

哺乳類では多くの種が、餌を得るために、また個体としての脆弱性をカバーするために、群れをつくって生きてきました。その哺乳類のなかでも、とりわけ足が遅く、力も体も弱いのが人類です。そんなわたしたち人類が、ここまで生き延びることができたのは、より濃密で、極めて高度な社会性を持つ集団をつくることに長けた生物だったからといえます。

そして、その社会的結び付きをより強く維持するために、集団でいるときは心地よさや安心感を抱き、孤立すると居心地が悪くなり不安やさみしさを感じるようになったと見ることができます。

そうしたシステムが、わたしたちの遺伝子に組み込まれていると考えるほうが自然なのです。

さみしさが、コントロールすることが難しい情動である理由も、これで説明できそうです。人が種を残し生き延びるためには、食欲や性欲と同じように、さみしさも意志の力などで簡単にコントロールできないように仕組まれた「本能」であると考えることができるのです。

さみしさの本質を知る意味

さみしさは、人にもともと備わっている本能です。だからといって、「どうしようもないものだから放っておけばいい」といいたいわけではありません。

そのさみしさが深い苦しみを伴うものなら、その苦しみを少しでも和らげるために適切に対処する必要があります。

さみしさは本能であると知ったとしても、さみしさから解放されることはないでしょう。しかし、さみしさの仕組みや本質を知ることは、決して無意味なことではありません。さみしさを脳科学や心理学の視点から、人類の進化、社会の発展との関係で科学的に考察すると、さみしさを感じる自分は心の弱い人間でもなければ、劣っている人間でもないということに気づくはずです。

また、他人のさみしさを感じにくい、理解しづらいという人も、さみしさは他人と共有するのが難しい感情ですから、決して冷淡な人、思いやりのない人ではないことがわかるでしょう。

人はさみしさを感じてしまう生物だという、生物学的事実を大前提にしながら、

「なぜ、いま自分はさみしいと感じてしまうのだろう?」

「仲間といるのに、さみしさを感じるのはなぜだろう?」

「自分を苦しめているこの感情の正体はなんだろう?」

というように思考を巡らせて、さみしさの本質と向き合っていく。

そうすることで、あらためて自分の人生を捉え直したり、それまであいまいにしていた自分の本心や勝手な思い込みなどに気づいたりしながら、よりよい人生を歩んでいくことができるのではないでしょうか。

ネガティブな感情は脳の防御メカニズム

自分のネガティブな感情は、実は脳の防御メカニズムによるものだという知識を持つことで、自分を客観的に見つめ、「より適切な対処法を考えよう」と思える気持ちの余裕と、ベースづくりができるはずです。

前述したように、さみしさはコントロールすることがとても難しい感情です。もし、さみしさという感情に支配されて思考が停止してしまうと、他人からのどんなアドバイスも真剣に受け止めることができなくなってしまいます。

さみしいという感情に気づかないふりをしたり、ほかのことで紛らわせたりすることはできるかもしれませんが、完全になくすことはできません。その感情を紛らわすために、不適切な方法を選択し、より大きなトラブルを抱えてしまうこともあります。

さみしさは、人が人間社会を生きるうえでのレジリエンス(回復力)を高め、進化の源につながってきた本能だとすれば、さみしさがつらく、ときに痛みを伴うやっかいな感情だったとしても、さみしいと感じている自分の心を静かに見つめ、大切にしながら上手に付き合う方法を考えることができます。

そうすることで、さみしさをおそれて健康や日々の生活が乱されることがなくなり、少しでも生きづらさを減らしていけるのではないか――。

さみしさは、特定の出来事が原因としてあるわけでなく、生理的に生じてきてしまうこともあり、それがやっかいなところです。幾度も湧きあがってくるこの捉えどころのない感情の仕組みを知っていれば、そのたびに、「このさみしさはどこからやってきたのだろう」「どうすればこれ以上、心の痛みを強くせずにやり過ごすことができるだろう」と考え、知恵と知識によって、この感情を乗り越えやすくなるのではないかと思うのです。

大人になると、「さみしくなってしまうのは心が弱い人間だからだ」と自分を責めてしまう人が多いかもしれません。

でも、それは違います。

さみしさを感じるのは心が弱いからではなく、「孤独な状態は危険である」ことを、脳が不快な感情を生じさせることで知らせているからです。

生物学的な観点から「適者生存」を考えると、自然のなかで生き抜く強い肉体を持つのと同じくらい、自身の生存に対する危険や、種の存続の危機を知らせてくれる「さみしいという感情」を持つことは重要だったのです。

人類の生存戦略とさみしさの関係

さみしいという心の痛みを伴う感情をとおして危機を感じることができたから、人類は生き延びることができたともいえるでしょう。

いわば、さみしさは、人類にとって生存戦略のひとつであると考えられます。

現代社会においては、ポジティブな感情こそが善で、さみしさなどのネガティブな感情は悪であり、とにもかくにも、ポジティブな感情へ切り替えることがいいとされているように思います。


でも、さみしいという感情は生きるためのセキュリティシステムであり、なくすことはできないものなのです。

さらに、さみしさを感じる度合いは人によって大きく異なりますが、さみしさに対する感受性の差異もまた、人類が生き延びるうえでは必要だったといえます。

さみしさに苦痛を感じ、他人とのつながりを維持しようとする人がいる一方で、仲間とのつながりを自ら断ち、未知の世界へ出て行くことを厭わない人が存在するからこそ、人は多様性を保ち絶滅することなく生き延びてきました。

さみしさを感じるのは、人が進化してきた証なのです。

わたしたちの遺伝子には、他人とつながっていない状態の不快・不安感が組み込まれていて、今日まで受け継がれてきました。ですから、さみしさを感じるのは、他人とのつながりを求める生物としてあたりまえのことなのです。

さみしいのはその人の責任ではなく、その人が劣っているわけでもなく、むしろ脳が正常に機能している証拠といえるでしょう。

(中野 信子 : 脳科学者)