歌舞伎町にある稲荷鬼王神社。その意外ななりたちとは?(撮影:梅谷秀司)

日本において「鬼」は昔から、悪の象徴のような存在とされてきた。到底、人間に幸や福をもたらしてくれそうに思えないが、新宿歌舞伎町にはそんな鬼の名を冠した神社がある。稲荷鬼王(いなりきおう)神社だ。

しかも単なる鬼ではなく、名前のとおり、“鬼の王様(正確には「鬼の王様と同等の力を持つ神様)”がまつられているという。日本で唯一という鬼をまつる神社の歴史や、歌舞伎町とのかかわりなど、16代目宮司の大久保直倫さんに聞いた。

歌舞伎町の一角にある、400年近い歴史を持つ神社

東新宿駅にほど近い歌舞伎町の一角、雑居ビルやホテルなどが立ち並ぶなかに稲荷鬼王神社はある。一目で見渡せるくらいの広さの境内には木々が生い茂っており、歓楽街とは思えないほど静謐な雰囲気だ。

400年近い歴史を持つ稲荷鬼王神社は、江戸時代から全国的に有名だったという。悩みや苦しみを持つ人、願い事のある人が、鬼の持つ圧倒的な力にあやかりたいと、わざわざ遠方からお参りに来ていたからだと大久保宮司は話す。


(撮影:梅谷秀司)

「近くの神社やお寺では願いがかなわなかったという方たちが、鬼の王様の力にすがろうとやって来るんですね。現代でも同様で、かつてある大きな事件があったときは、担当する検察の方が、こっそり参拝にいらしたそうです。事件を追いかけていた新聞記者からも、関係者が来ていないか問い合わせがあったとか」

正義の味方とも違う、強い力を持ったダークヒーローに、助けを求める人々が多かったのだろうか。

病を抱える人も多く訪れるという。その理由は、稲荷鬼王神社の「豆腐断ち」と「撫で守り」という風習にある。

参拝客が豆腐を同神社に奉納し、豆腐を断つ。そして「撫で守り」というお守りで患部をなでることで、病気が治ると言い伝えられてきた。あまりにも多くの人が訪れたため、かつては奉納用の豆腐だけで、商売が成立した豆腐屋が何軒もあったそうだ。


(撮影:梅谷秀司)

また境内には、鬼の形をした水鉢が置かれている。新宿区の有形文化財にも指定されたこの鉢に水をかけると、子どもの病気や夜泣きに効能があるとされている。だが、実はいわくつきのしろもの。かつてこの水鉢から、水を浴びる音が毎晩聞こえてきたため、持ち主が刀で斬りつけた。すると家族に不幸が続いたため、神社に水鉢が奉納されたと言い伝えられている。

早朝から夜中まで、さまざまな人が参拝に訪れる

そもそも「鬼王」がまつられたことにも由来がある。紀州熊野へ旅をした近くのお百姓が、途中で病気にかかり、鬼王権現(きおうごんげん)という神様をまつる神社を参拝。治癒したため、感謝の意を込めてこの地にあった稲荷神社に迎え入れ、合祀し、稲荷鬼王神社になったとされている。


(撮影:梅谷秀司)

歌舞伎町という土地柄か、神社には早朝から夜中まで参拝客が絶えないと大久保宮司。どのような人が訪れるのか、筆者が何度か足を運んだなかだけでも、会社員風の男性、大柄な少し強面の男性、金髪の青年とアイドル風の若い女性、年配の女性など、実にさまざまな人を見かけた。彼ら彼女らは、鬼の王にどんな祈願をしたのだろうか?

しばしば参拝に訪れるという会社員の男性(60歳)は、祈願ではなく、「今日がすばらしい1日であることに感謝します」とお礼の気持ちをいつも伝えていると話した。そうすることで心が穏やかになり、他人への感謝も自然と芽生えるのだという。鬼の王様がまつられていることについては、「菅原道真も恐ろしい神様ですし、鬼が神様でも珍しくない。その怖い存在に対して、感謝と畏怖の両方を持つのが良いことだと思います」と笑顔で続けた。

訪問介護士の女性(41歳)は、「家族の健康と疫病神・貧乏神のお祓い祈願で来ました」と教えてくれた。霊感があり、占い師もしているという彼女が、神社に訪れたきっかけは何とも不思議な縁。数十年前から夢に出てきた神社が稲荷鬼王神社だと気づき、それから新宿に来るたびに参拝しているのだそう。

「圧巻の神社だと思います。特有の祈祷方法や、歴史もそうですが、珍しい鬼さんも普通にいらっしゃいます」。彼女によると不思議な結界もあるそうで、「例えると青森県の恐山みたいな雰囲気」なのだという。

ちなみに稲荷鬼王神社の祭神の1人が、月夜見命(つきよむのみこと)だ。月の神様にあやかり、占いやスピリチュアル関係の参拝客も多いと大久保宮司。最近では、コロナ禍には激減していた、遠方からの参拝客や外国人も戻りつつあるそうだ。

願い事や悩みは、すべて神様に申し出るべき

稲荷鬼王神社の特徴の1つとして、願い事や悩みがたくさんあれば、すべて神様に申し出るべきという考えがある。神社によっては、願い事は1つだけ……というところもあるが、正反対のスタンスなのだという。


(撮影:梅谷秀司)

「家庭をお持ちの人であれば、商売繁盛のことは考えるけど、子どもの受験は気にならない……ということはありませんよね。稲荷鬼王神社の神様は、皆様が正直な姿を見せてくれるよう望んでいます。願いが多い人は、欲が深いのではなく、すべてかなえるために努力していける人。そういう人が、神様に隠し事をするほうが不誠実になってしまうんです」

そのため祈祷を受ける際は、願い事や悩みがいくつあっても、料金は変わりませんと大久保宮司は笑顔を見せる。

2020年、新型コロナによって社会は一変した。「マスク警察」「自粛警察」なる存在も現れ、世の中は殺伐とした空気になり、人々の間には分断が生まれた。だが大久保宮司は、コロナ禍にあって、人の温かさや思いやりも目の当たりにしたという。

「ある参拝客が、病院に行きたくても行けない人のために、『千羽鶴を神様に奉納してください』と寄付をしてくださったんです。神社に千羽鶴を飾ると、お参りに来た人が『あれは何ですか?』と聞きますよね。説明すると、『思いやりのある人がいるのですね』と笑顔になる。ウクライナ戦争もあって、ギスギスしがちな世の中ですが、そのようにして優しさや温かさも広がっていったと思います」


(撮影:梅谷秀司)

東日本大震災の翌年には、神社として、被災地への寄付に加え、太陽を見るためのメガネ、日食グラスを送った。太陽と月が重なって見える「金環食」の時期だったため、空を見て一時でもつらさを忘れてほしい、という思いからだった。

新宿で子ども食堂を開催している団体に協力し、境内でお祭りを開催したこともある。こういった活動はすべて、「人々の喜びや苦しみに寄り添える神社でありたい」という、稲荷鬼王神社が大事にしてきた思いから生まれている。

もちろん、最も大事なのは神様をまつること。コロナ禍においても、感染対策や規模の縮小をしつつ、年中行事は休まず行った。具体的には「福は内、鬼は内」と独特の掛け声をする節分、疫病退散のためにさくら草を境内に並べる鎮花祭(はなしずめのまつり)、けがれや罪を払う夏越の大祓(なごしのおおはらえ)などなど。

大久保宮司が「これらがイベントだったら中止にしていた。さくら草を並べるのも、あくまで神様にお見せするため」と断言するように、いずれも神事だからこそ決行した。神様に喜んでいただくことを第一に、神社の運営をしていることが大久保家の誇りなのだと、16代目宮司は目を細めた。

人々を見守り続ける鬼の王様

稲荷鬼王神社がある一帯は、かつて「西大久保村」と呼ばれていた。その後、合併や改称があり、終戦後に「歌舞伎町」という地名になって、歓楽街として栄えていった。そのはるか昔から、稲荷鬼王神社はこの土地で神様をまつり続けてきた。神社の歴史の一部といっても過言ではない歌舞伎町を、大久保宮司は「変化に対して柔軟で、大抵のことを受け入れる許容量の広い街」と称する。


(撮影:梅谷秀司)

「新宿コマ劇場がなくなっても、ゴジラビル(新宿東宝ビル)ができて、新しいランドマークになっています。とてもいいことだと思います。新宿ゴールデン街も、昔はどこも一見さんお断りで、誰かの紹介がないと入れなかったけど、今は気軽に行ける。親しみやすくなりましたね」と、変化を楽しんでいるようだった。

歌舞伎町に鎮座する鬼の王様は、これからも力強く、にらみをきかせて、この街と人々を見守り続けていくのだろう。


この連載の一覧はこちら

(肥沼 和之 : フリーライター・ジャーナリスト)