東京都内のホテルにて、企画発表の様子(写真:ⒸHTB/プレスリリースより)

『水曜どうでしょう』待望の新作がいよいよ放送される。新作は約3年ぶり。事前に全国でライブビューイングも開催されて大いに盛り上がった。若き大泉洋が出演していたことでも有名な番組だが、なぜいまもこれほど『水曜どうでしょう』は愛されるのか? 開始当時のテレビバラエティの状況も振り返りつつ、その尽きぬ魅力の源を探ってみたい。(敬称略)

北海道から全国区へ 異例の躍進

『水曜どうでしょう』(以下、『どうでしょう』)は1996年10月にスタート。「ミスター」こと鈴井貴之と大泉洋が出演するバラエティ番組である。鈴井が大泉の所属する事務所の元社長という間柄。

大泉洋が北海道出身であることはよく知られているだろうが、この番組も北海道テレビ放送の制作である。開始当初地元の大学生だった大泉はこの番組で一躍ブレークし、全国的な人気者への道を歩み始めることになる。


なぜこれほどまでに人気なのでしょうか(写真:ⒸHTB/プレスリリースより)

企画は多彩でどれも粒ぞろいだが、代名詞といっていいのが旅企画である。ただ「旅」といっても優雅な観光とは無縁で、ひたすら過酷なハプニング続出の旅に鈴井と大泉の2人、さらに2人の同行ディレクターを交えた4人(そこに大泉とは「TEAM NACS」の盟友・安田顕が加わることもある)が翻弄されつつ珍道中を繰り広げるという内容だ。

なかでも有名なのが、「サイコロの旅」。国内の場合、遠く離れた場所からスタートして次の仕事の期限までに札幌に帰るのが目的。ただサイコロの目一つひとつに行き先と移動手段が割り振られていて、出た目の指示に従わなければならない。

例えば東京が出発地点として、必ず北へ進めるわけではなく、いきなり飛行機、鉄道や夜行バスでまったく違うところへ行かなければならなくなる場合もある。

というか、当然そうなる確率のほうが高い。ひどい時には青森の弘前まで来ていながら、札幌との二者択一のサイコロで博多へ一気に逆戻りということもあった。だから、時間切れで失敗というケースもあった。

そんな予測不能な展開も人気を呼び、番組の人気は右肩上がり。北海道では深夜帯ながら15%以上の高い世帯視聴率を記録して、北海道以外でも放送されるようになった。ローカル局制作のバラエティ番組としては異例の躍進である。

レギュラー放送はいったん2002年に終了したものの、「藩士」と呼ばれる熱狂的ファンからの支持も根強く、いまも不定期ながら新作がつくられ続けている。そして今回、約3年ぶりの新作放送となったわけである。

ずっと変わらない大泉洋は永遠の「弟キャラ」

その間に、ご存じの通り、大泉洋はいまや誰もが認める売れっ子になった。

記憶に新しいところではNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022年放送)や『ラストマン-全盲の捜査官-』(TBSテレビ系、2023年放送)など、ドラマや映画での俳優としての活躍のみならず、3年連続で『NHK紅白歌合戦』の司会を務めるなど、タレントとしての活躍の場もますます広がっている。


福山雅治主演、大泉洋共演の『ラストマンー全盲の捜査官ー』は、FBI捜査官と警視庁刑事がタッグを組んで事件を解決するバディもの(画像:TBSの公式HPより)

『どうでしょう』は、そんなタレント・大泉洋の原点である(デビューも『どうでしょう』の前身番組『モザイクな夜V3』だった)。このときから大泉は、いい意味でまったく変わっていない。

タレントとしての大泉洋は万能型だ。トーク力があり、ボケることもできるし、ツッコむこともできる。司会進行もスムーズだ。それらを同時にこなすことができるのは、天性のものとしか言いようがない。

例えば、『どうでしょう』名物企画のひとつ「シェフ大泉」も、タレント・大泉洋の真骨頂を示すひとつ。

キャンピングカーでアラスカを旅する企画で大泉が料理係になったことから偶然生まれたものだが、料理のうんちくなどがうるさいわりに出来栄えが微妙、だがたまに奇跡的に美味しい料理をつくってしまうといったキャラクターの膨らませかたにも彼ならではの冴えが感じられた。

そしていかなる場面でも発揮されるのが、いじられ適性の高さである。

いまや大物の域に入りつつあるといってもよさそうな大泉洋だが、バラエティ番組に出ればいまだにMCや共演者からいじられている。親しみやすさの証しではあるが、これほどいじられ続ける大物も珍しい。

そんないじられキャラぶりは、『どうでしょう』が始まったときからのものだ。どんな企画か知らされないまま収録がスタートするのが定番だったように、つねにどっきりを仕掛けられていたのが大泉洋だった。

そこでの大泉のリアクションがまた面白い。愚痴っぽくなったり、本気でキレたり、底力を発揮して驚異的な頑張りを見せたり。しかもそんなときでもいつもキュートさが漂うのが大泉洋の魅力である。そんないじられ上手なところは、テレビを心底楽しんでいるからでもあるだろう。テレビっ子で、テレビに夢中になりながら育ってきたのが想像できる。

結局、大泉洋は永遠の「弟キャラ」なのだ。生意気でついからかいたくなるが、不思議に愛嬌があり憎めない。むろん番組開始当初は年齢が若かったこともあるが、その立ち位置はその後もずっと変わっていない。風来坊のような飄々とした「寅さん」っぽいところもあるが、「弟キャラ」の感じはそれとも異なる。大泉洋は大泉洋以外の何者でもない。

番組の手作り感、一体感が生む“大人の青春”

とはいえ、『どうでしょう』の魅力は大泉洋個人に頼ったものではない。むしろ大泉の才能は、番組のコンセプト、共演者、スタッフとの関係のなかで開花したものだ。

番組の魅力としてはまず、先ほど書いたように予測不能な展開がもたらす笑いと感動がある。まさに筋書きのないドラマといったところ。なにがどう転ぶかわからないなかで、なかなかテレビでは見られない演者の素の姿がさらされ、後々語り継がれる“伝説”や“名言”が数多く生まれてきた。


地上波放送に先駆けて開催した前代未聞のライブ・ビューイング“最新作先行上映会”の様子。4人が登場したのはユナイテッド・シネマ札幌(写真:ⒸHTB/プレスリリースより)

それは、いつの時代も変わらぬテレビの本質的魅力だ。令和のいまも、そうした意外性の面白さが『どうでしょう』の強みであることは間違いない。

しかし、それだけではない。『どうでしょう』がここまで長くファンを惹きつけるもうひとつの理由として、番組の手作り感、そしてそこに醸し出されるチームとしての一体感があるだろう。

『どうでしょう』では、演者とスタッフのあいだの線引きがない。ロケへの同行スタッフは藤村忠寿と嬉野雅道の2人。「藤やん」あるいは「ヒゲ」こと藤村がチーフディレクターで、「うれしー」こと嬉野が撮影担当ディレクター。

彼らもミスターや大泉に負けない存在感がある。藤村の指示が収録中でも構わず飛んでくるのは普通のことだし、嬉野は演者よりも気に入った景色を延々と映して大泉らにクレームを受けることもある。

また藤村は、裏方のはずなのに、面白いときはもちろん、どんなときでもなにかあると大声で高笑いする。「笑い袋」とも称されるその笑い声はとても特徴的で、一度聞けば忘れられない。大泉洋は藤村の笑い声こそが番組の人気の理由ではないかとエッセイのなかで真面目に分析しているくらいだ(大泉洋『大泉エッセイ』、327-328頁)。


地上波放送に先駆けて開催した前代未聞のライブ・ビューイング“最新作先行上映会”の様子。軍団4人も5万人の藩士と一緒に鑑賞。鈴井と大泉はこれが初見だった(写真:ⒸHTB/プレスリリースより)

藤村自ら出演することも珍しくない。無類の甘いもの好きを自称する藤村は、番組中ミスターと甘いもの早食い対決をし、そのすさまじさから「魔神」と呼ばれるようになった。この甘いもの早食い対決は定番化し、「対決列島〜甘いもの国盗り物語〜」という甘いものを食べながら日本列島を縦断する番組史上最長の企画にまで発展した。

ディレクターが目立つバラエティはほかにもなくはないが、これほどスタッフが自分の好きなことを好きなようにやっている番組はあまり思い当たらない。

それはミスターと大泉についても同じで、この番組ではそれぞれが自由だ。馬鹿馬鹿しさの極みのような企画もあり、時には疲れ果て口喧嘩も起こるが、だからこそ伝わってくる損得抜きの仲の良さ、いわば“大人の青春”がそこにはある。それこそが、この番組の最大の魅力だろう。

『どうでしょう』はいまもテレビバラエティのど真ん中

『どうでしょう』が始まった1996年は、バラエティ番組の歴史にとって記念すべき年である。記憶に残る名番組がまるで示し合わせたかのように揃って始まったからである。

パッと思いつくだけでも、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』(ともに日本テレビ系)『SMAP×SMAP』『めちゃ×2イケてるッ!』(ともにフジテレビ系)など。そのなかに『どうでしょう』もあったわけである。

それぞれ違う魅力を持つ番組ではあるが、ひとつ共通点をあげるとすれば、ドキュメンタリータッチを特徴としているということだろう。

その数年前に『進め!電波少年』(日本テレビ系、1992年放送開始)が始まり、ドキュメントバラエティと呼ばれる新しいバラエティのトレンドが生まれていた。笑いのなかにもドキュメンタリー性を重視し、リアルな感動を求めるその流れはいまもバラエティ番組の中心にある。

なかでも『どうでしょう』は、意外性と手作り感を重視した企画において最も濃くそのエッセンスを受け継いでいるといえるだろう。『どうでしょう』が愛され続けるのは、実はいまもテレビバラエティのど真ん中にいるからに違いない。

(太田 省一 : 社会学者、文筆家)